文化のための新しい経済を
ー ジャン・ミシェル、インタビューの機会を与えてくれてありがとう。我々は4月15日、あなたが参加した『レジリアート』での討論をじっくり観て、あなたの言葉に感銘を受けました。新型コロナウイルス感染症の世界的大流行が文化に与える影響についてのあなたの考えと、今後前に進むために考えていることを教えてください。
地球上の半分で、制限と隔離が求められていた時、私たちは二つのことをした。つまり、外へ出ることと、家の中にいることだ。食べ物を求めるとき、病気の治療をするときは外へ出て、それ以外は家の中で、音楽を聞き、映画を観て、本を読むというように。文化は心にとって、食べ物と同じくらい重要になったんだ。私たちは医師や看護師に対する敬意をより強く意識するようになった。しかし、私たちは、まわりにある文化との関係をもっと尊重すべきだと思うよ。
インターネットの発展とともに、私たちは突然、文化を当たり前のものとして捉えるようになった。文化は空気と同じくらい無料であるべきだと考えるようになったんだ。そして、巨大なネット企業は、ある意味で新型コロナウイルスのおかげで金儲けをした。困難な状況にある著作者やクリエーターが制作したコンテンツを提供することでね。
良いことは、この危機をうまく利用して、文化のための新しい経済をどうやって創造し、発明すればいいかを考えられることだろう。さらに、もし何もしなければ、おそらく世界の文化の50%は消滅するだろうということに気付けたのも良いことだったと思う。このことは、アーティストが危機の影響を受けやすいアフリカ、南米、南アジアなどの新興国では、より現実味を帯びている話といえるだろう。これは世界的な問題なんだ。
私たちは政府が全てを解決してくれることを期待できない。他の方法を見つける必要がある。そもそもアーティストやクリエーターにとっては、創造的になることが第一の仕事。今のような時期には、ほかと違った考え方をしなければならないんだ。
これは、そう、戦争の後に似ているのかもしれない。戦争が終わるたびに人々の考え方が変わるからだ。日本を例にとってみよう。第二次世界大戦後、国中が非常に悲劇的で暗い状況にあったとき、違った考え方をする新しい世代の芸術家が突然現れただろう。例えば、暗黒舞踏や三島由紀夫、黒澤明のような芸術家も頭角を表し、戦争の悲劇を取り込んで、これまでと違った方法で自分たちを表現しようとした。幸運にも、私たちの日々は戦後ほどは暗くないし、暗さはこの話ではそれほど問題じゃない。危機の後、私たちの視点を変えるための窓が時々作られることを示すための、例として考えてほしい。
これは、インターネットのプラットフォームに対しても言うべきことだろう。私たちは彼らにもっとしっかりした方法で、例えば政府を介して、芸術家を支援するための特別税のようなものを求めるべきじゃないかな。こうしたプラットフォームは私たちのコンテンツで何十億ドルも稼いでいる上に、連帯と正義は彼らの義務でもあるのだから、彼らは貢献すべきなんだ。
クリエーティブになろう、という話題に戻すため、二つの例を挙げよう。一つは、カーボベルデという(大西洋の中央、北西アフリカの西沖合いにある)小さな国の話だ。この国では、危機の最中に突然、DJやミュージシャンがインターネット上で有料コンサートを行える仕組みが生まれた。これは、デジタル時代に、創造性を収益化する方法の非常に良い例といえる。
もう一つの例は、私がかなり前から考えていて、CISAC (国際作曲家連盟)の会長に選出されてからのこの数年でも話してきたことだ。疑問視されている著作権、そして知的所有権の概念についてだ。知的所有権の概念と著作権のコンセプトを無効にするのではなく、反対の方向に進んではどうだろうか。
もし、創作されてから何年か経った音楽や映画がパブリックドメインになるのではなく、その権利がクリエイターや新世代の作家を支援するためのグローバルファンドへ移行したらどうなるだろうか? 例えば、ヨーロッパではベートーベンの交響曲第9番『歓喜の歌』が、欧州の歌になっている。この曲が演奏されるたび、そういう使い方が可能な権利があれば、ヨーロッパのアーティストを助けることになるかもしれない。
この方法は、今の著作者たちが直面している絶対的に不公平な状況を調整するのに役立つだろう。なぜなら、私たちが知っているように、新型コロナウイルス感染症の大流行で、アーティストだけでなく、技術者、フェスティバル、美術館、映画撮影などの活動が突然停止したからだ。