やみくもに好きだから、どんな音楽にも首を突っ込んできた
—Light In The Atticが細野さんの作品のリイシューに向けて動いているという話は、2015年初頭ごろから私も耳にしていました。その頃、レーベルの方と直接日本で会ってらっしゃいますよね?
会ったね。そのくらいの頃だったんだ。
—細野さんの音楽をレーベルの皆が好きで、ぜひ世界に紹介したいという熱い思いが、彼らにはあったようです。これ以前にも細野さんのところには、海外からのアプローチはあったのでしょうか?
いやいや。特になくて。すごくパーソナルにドイツのテクノミュージシャンとやったりとか、90年代や2000年代の初頭はそんなようなつながりでしたね。
—海外でどういう評価をされているのかはご存じでしたか?
全然分からなくて。何がいいんだか(笑)。あんまりびっくりはしないけど、アメリカにもマニアがいるんだなっていう印象ですね。
—遂にアメリカが細野さんを発見したんじゃないかと思いますが。
だんだん分かってきましたけどね、最近。世界的にもそういう風潮があるって。
—今、日本の音楽の再評価が著しいですね。そのことは実感されますか?
さすがに最近はそういうリアクションがたくさんあるので、周囲の人が教えてくれたり。ヴァンパイア・ウィークエンドが(カセットブックの)『花に水』っていう、本当に大昔のインストをサンプリングしていたり。そういうことがあると「なんでだろう」とは思う。日本自体に埋もれていた音楽がいっぱいあるので、彼らが注目しているんだろうなと思います。
—それが今のこの時期にというのは、なぜだと思われますか?
なんだろうねえ。やっぱり情報の環境が変わったことかな。ネットの世界で。YouTubeもすごく有効なメディアだと思うんですけど。あとは、音楽産業が確立化されて、そこに乗ってこない音楽っていうのはいっぱいあるわけですけど、そういうことにみんな聴き耳を立てるようになってきたのかなと思います。
—細野さんは、YMO時代には海外にも行かれ、リリースもされ、向こうの反応も見てこられましたが、その当時と今の状況にはどんな違いがありますか?
ずいぶん違う印象がありますね。YMOの時はアルファレコードがすごく戦略的に考えていたり、お金がやっぱりかかったり、ビジネスの側面が強かったんですけど、今はそういう時代ではないですね。お金はかからないし、情報もすんなり伝わっていく。日本でも聴いてくれる人はそんなに多くなくて、あんまり人のことを考えないで作っていたけど、それはちょっと今変わってきつつありますね。ちょっと意識しないといけないのかなとかね、あんまり得意じゃないんですけど(笑)。
—細野さんの海外のプレスリリースには、「日本では出る杭は打たれる傾向があると聞きました。 細野晴臣は突き出ている杭だと思います。 そしてそれを維持したのです」というヴァン・ダイク・バークスのコメントが載っていました。
そんなこと書いていたんだ。ちゃんと読んでないや(笑)。ありがたいことです。
—そして、Light In The Atticが60年代以降の日本の音楽のコンピレーションを企画した時に、フォークやロックでも、シティポップでも、そして環境音楽でも、中心的な役割を果たした人物が細野さんだと気が付き、細野さんが現在の日本のポピュラー音楽の基盤を作ったと発見したんだそうです。
そうですか。なんか申し訳ない。まあ、人材が少なかったからね。
—音楽のスタイルは変わっても、ずっとそこに何か通底しているものは細野さんの中であると思うんです。それについて聞かせていただくことはできますか?
いや、自分でも分からないんですけど、音楽は子どものころから人一倍好きなんですね、多分。それに尽きるんです。普通に音楽が好きだと思っていたら、ほかの人はそうでもないっていうのに気が付いたのが中学のころで。それ以来、あまり人に押し付けることはやめるようにしていたんです。本当にやみくもに好きで。どんな音楽にも首突っ込むっていうのはそのせいですね。