インタビュー:坂本龍一

変わってしまった時代と、変わらない性(さが)

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テキスト:三木邦洋
撮影:谷川慶典

ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開中だ。坂本龍一が2012年に行った岩手県陸前高田市でのコンサートから始まり、2017年4月に発売されることになる最新アルバム『async』の完成に至るまでの約5年間を追った作品である。

東日本大震災にまつわるシーンでは、官邸前のデモでのスピーチや、防護服に身を包んでの被災地視察、津波をかぶったグランドピアノをつま弾く姿など、行動的な坂本の姿が映される。その後、カメラは、2014年に発覚した中咽(いん)頭がんによる闘病生活を経て、黙々と音楽制作と向き合う音楽家としての坂本を静かに見つめる。

映画は、5年間という時間の中で坂本個人に起こった変化のひとつひとつに焦点を集中させることなく、淡々とその姿を追い、言葉を拾いながら、時代の移り変わりや音楽の本質といった普遍的なテーマを浮かび上がらせる。坂本龍一という人物を通して、人類の業や未来について、深く考えさせられる1本だ。今回のインタビューでは、劇中の随所で坂本が発した印象的なセリフについてその真意を尋ねるとともに、アルバムに込められた「async」=非同期というテーマをひも解く鍵を探った。

強い思いでやってきたものが、今、繋がった

—『Ryuichi Sakamoto: CODA』の監督であるスティーブン・ノムラ・シブル氏からは、当初、どのような内容でオファーが来たのですか。

2011年の原発事故(福島第一原子力発電所事故)を受けて、脱原発の声を上げようと仲間のミュージシャンたちと『NO NUKES』という音楽フェスティバルを2012年に立ち上げました。最初はその『NO NUKES』を撮りたい、という話だったのです。それがそれだけで終わらず、僕が被災地域に行ったりだとか、色々しているところを撮りたいと。次第にこちらからも、今度ここに行くから撮っておくと面白いんじゃない?と伝えるようになったりもして、ずるずると続いていったという感じです。

—撮影の終了時期は決まっていなかったのでしょうか。

何も決まっていなかったです。スティーブン・ノムラ・シブル監督もどこで終わりにしようか、まとめようかと探っていたころに、僕が病気になってしまって。色々な活動がストップしてしまう。それが2014年のことで、当初アルバムを出すつもりでいたから、監督はそのアルバムの制作をドキュメンタリーのゴールにしようと考えていたと思います。それが病気によって一時中断してしまいました。

バケツに当たる雨音を聴く坂本龍一。映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』より

—結果として、『async』の完成が帰結となったわけですね。映画の冒頭、陸前高田市での演奏シーン※ があります。同じく劇中の中盤の、アメリカ同時多発テロ事件後のニューヨークについての回想シーンでは、数日間にわたって街から音楽が消えたことが語られていました。陸前高田市でのコンサートにはどのような心境で臨んだのでしょうか。

※2012年12月12日に開催された『坂本龍一 Trio Tour Japan & Korea チャリティコンサート陸前高田公演』

あのシーンの時点では、震災から1年以上が経っていました。震災が起こってすぐに、被災地に行って元気づけようとするミュージシャンもいたんですよ。しかし、周りにいたそういう人たちを僕は止めました。邪魔になるからと。災害があったときに必要なのは、水と食料と寝るところ。それらが確保できるようになり、落ち着いてきてはじめて、人間は音楽などを必要とするわけですから、それまでは行くべきではないと。

もちろん、ぼくがコンサートを行った時点でも、仮設住宅住まいの人や、避難生活をしている人もいたわけですから、いろいろな思いが充満していました。でも、いざ演奏となったら、考え過ぎると演奏できなくなってしまいますから、音楽のことだけを考え、良い演奏をすることに集中していました。コートを着たまま演奏していますが、本当は手袋もしたかったくらい。会場のみなさんも寒かっただろうと思います。

—津波をかぶったピアノに触れて、坂本さんはその音色を心地良く感じると言っていました。「人間はチューニングが狂ったと言うが、そうではなく、人の力によって鋳型にはめられたものが自然の力で元に戻ろうとしているのだ」と。それにはいわゆる「自然に還れ」的な考えも含まれるかもしれませんが、それよりも「心地良く感じる」という実感の込もった言葉に、坂本さんの変化が表れているように思えました。

「自然回帰」という考えによって、心地良さに至ったというわけではありません。ピアノが表す音楽、音階、音色や近代ヨーロッパの音楽を象徴する楽器など、そういったものに疑問をもってきた。ちょうど昨日考えていたんですが、18、19歳のころから自分はそういうことを考えていたなと。そのころからそうした不満を持っていて、そうじゃない音楽を探していたし、作ろうとしていた。

成長をしていないとも言えるかもしれないけれど、見方を変えれば、回り回って一周し、若い時に新しいことをやろうとしていた気持ちに今戻ってきたというか。そういう気分です。やはり近代のやり方ではだめなんだ。音楽として面白くないのだと思っています。

—あくまで個人的な探求の上に生まれた実感だったと。

近現代の西洋音楽の限界からはみ出そうと思ってやってきた原点が、18、9歳のころにあるんです。コンピューターやシンセサイザーとの出会いだったり、民族音楽を勉強したことだとか。そういう強い思いでやってきたものが、今、繋がった感じがしています。

—劇中では、映画『レヴェナント: 蘇えりし者』のサウンドトラック制作についても触れていますが、同作の音楽はカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)が共作者となっています。彼とはオリジナルアルバムでは頻繁にコラボレーションされていますが、映画音楽で共作するのは初めてかと思います。なぜ、そうなったのですか。

実を言うと助っ人が必要だったんです。手一杯※ で。無理だな…と。誰に助っ人を頼もうかと考えたときに、一番良いと思ったんです。彼は忙しい人なんですが、それでも引き受けてくれて。10数年来の友人ですが、本当に絆を大切にしてくれる人なんですよ。東ドイツ出身で、西ドイツ出身の人とはまた違う気質です。男らしいというか、日本男児的なところがあって、父性が強いというか。

※闘病が明けた坂本は、山田洋次監督の映画『母と暮せば』の音楽制作も平行して行っていた

—とてもクールな人というイメージを持っていました。

見た目も音楽もクールだからね(笑)。骨太で友情に厚いやつなんです。彼と僕は、アルバムも何枚も出して、ツアーもやっているけれど、契約書を交わしたことはないんです。友情だけ。男と男の契りのような。情にもろいロマンティストで、だから逆に、音楽がああなるんだろうな。

カールステン・ニコライの音楽プロジェクトAlva Noto

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今は、とてもテクノロジーを礼賛する気にはなれません

—劇中では、YMOの時代の映像も流れますね。当時の、巨大なムーグシンセサイザーやコンピューターを駆使しながら演奏する様子が、現在の坂本さんの音楽への姿勢とは対称的なものに見えました。電子音をコントロールすることに力が注がれていた当時に対して、『async』は制御から開放された「非同期」がテーマです。

そうですね。あのシーンは面白い。音楽のために使うコンピューターとしてはごく初期のもので、稚拙なことしかできないものでした。けれど、新しい技術にポジティブな可能性を感じて、そのように使ってやるのだという気持ちがあるのが見える。

当時の僕はテクノロジーに対して懐疑的だと、自分では思っていたんです。でも、こうして見てみるとものすごくポジティブですね(笑)。ずいぶん幸せな時代だったのだなと思います。あのころ、すでに『ブレードランナー』なんかが出てきていた時代ですから、ディストピア的な未来感も持っていたはずなのだけれど…。今見ると、バラ色の時代を謳(おう)歌しているように見えますね。

ああ、ずいぶん時代が変わったのだなと思います。今は、とてもテクノロジーを礼賛する気にはなれませんから。原発事故がまだまだ尾を引いていて、人間が制御できていない状況でしょう。東電はデブリの回収を事実上諦めたみたいですし、ずいぶん悲惨なことになっているわけですから。そう考えると良い時代だった。そういう意味では良いカットですね。

—時代の変化によって、坂本さん自身の考え方はどう変わりましたか。

インターネットについても、当初は、普及することでより民主主義的な世界になるだろうと、思っていたわけです。ところが、偽の事実が蔓(まん)延して、トランプ大統領が誕生してしまったりと、恐ろしい力を持ってしまった。とても、明るくは考えられないですよね。だからと言って、テクノロジーを全否定する気にもなれないですけどね。

—劇中でも「一度存在してしまったテクノロジーというものは、無くすのは難しい」という言葉がありました。テクノロジーも欲望のひとつであるとして、そうしたものとの付き合い方を考え直さなくてはならないのでしょうか。

そこが根本原因だと思っています。テクノロジーの制御とか社会制度の改革は、努力すればできると思いますが、負をもたらしている根本には、人間性がある。そこが変わらない限り、形を変えて続いて行くと思います。環境問題にしても独裁や戦争の問題にしても、自分が良ければ良い、得すれば良い、何がどうなっても関係ないというような、閉鎖的で近視眼的な精神が起因している。おのれの欲望を優先してしまう。

—そうした傾向が強くなってきていると。

現れ方が激しくなっていると思います。それは、生活が厳しくなっているからでしょう。人間は余裕があればリベラルな考えを持てますが、厳しくなってくると、そうできなくなってくる。

—欲望を煽(あお)るものとして、今はスマートフォンが象徴的かと思いますが、そういったものとはどう付き合っていますか。

『async』を作っていた期間は、自らSNSは禁じていました。遠ざけないと時間を食うし、1回開いてしまうと対応しないといけないし(笑)。つい見続けてしまって、あっという間に時間が経っちゃうんですよね。そのままやめちゃえばよかったな。Twitterは辞めたんですよ。(日本語版オフィシャルTwitterのみ閉鎖)僕は、日本ではかなり早い時期にTwitterを使い始めた一人なんですけどね。宣伝用くらいにしか使ってなかったけれど、もう見るに耐えかねて。

—普及したことで、影響力は強くなりました。

悪い方向に影響力が強くなってしまった。

—当初は、Twitterにどのようなポジティブな可能性を感じていましたか。

一番象徴的だったのは、「アラブの春」ですね。彼らはTwitterを使って連絡をとりあって、アラブで起こっていることを瞬時に世界へ知らせるという、とても良い使い方をした。それを見て、素晴らしいメディアだと思いましたし、期待もしました。でも、こうなってしまうというのは…人間性ゆえですよね。今度はブロックチェーンという新しい概念が出てきましたけど、一瞬にして欲望の固まりに変ぼうしてしまう。 その繰り返しです。

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