2013~2021年 歓喜のブエノスアイレスから静寂の国立競技場へ
2013年9月7日、ヒルトン ブエノスアイレスの会場で「東京」という名前が読み上げられると、日本の代表団は喜びを爆発させた。普段はストイックな黒いスーツの男たちが飛び跳ねたり、力強く抱き合ったり、うれしさのあまり涙を流す人もいた。
日本の首都でもその時、歓喜の声が上がった。日本時間の午前5時20分に発表された結果を見るために、何千人もの人が徹夜でその結果を心待ちにしていたのだ。
第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けた日本が再起するきっかけとなった1964年のオリンピックと同様に、2020年のオリンピック・パラリンピック開催が日本に変革をもたらすと多くの人が感じていたのだろう。
2011年3月に東北地方を襲った地震、津波、原子力発電所の事故により、約2万人が死亡、6000人が負傷、47万人が避難を余儀なくされた中で、「東京で開催する」というニュースは、一部の人々にとって擦り切れた神経を癒やすものだった。
『東京2020』は「復興五輪」と名打たれ、被災地の「復興の炎」として福島で聖火リレーが開始されることになった。当時の首相である安倍晋三は、ブエノスアイレスで「正念場を迎えている。皆さまの期待に添えるよう、精一杯頑張りたいと思います」と誓った。その歓喜の時、東京大会がどのような結果になるのかは誰も想像でき得なかったに違いない。