Tokyo2020
Photo: Leon Neal/Getty ImagesThe drone display at the Tokyo Olympic opening ceremony
Photo: Leon Neal/Getty ImagesThe drone display at the Tokyo Olympic opening ceremony

東京2020、コンテンツ総体としての「文化的」刺激力はあったのか

ドイツテレビプロデューサー、マライ・メントラインのオリパラ文化プログラム評

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2ドイツテレビ(ZDF)プロデューサーとして、『東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会』(以降『東京2020』)の現場から自国へ向け発信してきたマライ・メントライン。彼女は、この国家的事業をどう受け止めたのか。同大会における文化的価値にフォーカスした総評を寄稿してもらった。

求められたのは文化産業国家としてのホスト役

五輪はスポーツ各種目の「世界一」を決める勝負の場であり、祭りでもある。正式な定義はともかく、多くの人間にとって五輪はそのような存在として受け止められている。ここで重要なのは「勝負」と「祭り」のバランスをどう取るか、特に祭りの面をどうアレンジして勝負との相乗効果を生み出すか、という点だ。端的にいえばそれが文化面での成否を左右するように思われる。

開催地の立場として「先進国に追いつけ追い越せ、自国民に自信と誇りを!」的な要素が政治、社会的に重要ならば、「祭り」は自国選手をいかに励ますかという路線にするのが適切だろう。彼らの勝利や成果が自国の近未来のポジショニングのシンボルとなり、開催国の人々にとって、自然に「自分とつながりのあるもの」としてポジティブに受け止められるからだ。1964年の東京五輪はまさにこれに該当し、実際、戦後日本発展の起爆剤の一つとして見事に成功を収めたように思う。

ではその点、『東京2020』ではどうだったのか。1964年とはそもそも日本の状況が、国としてのステータスが違っている。今回は、成熟した文化産業国家としてのホストぶりを見せることこそ重要だった。これは(コロナ問題でいろいろ頓挫してしまったとはいえ)中長期的なインバウンド、観光政策の展開にとっても重要なポイントといえる。世界の人々に「日本で開催してよかった」と感じてもらう一方、日本国民には地元選手応援の傍らで「異国との触れ合いってなかなかいいね!」と感じてもらえるような。

私は日本の自治体のインバウンド事業に関わっていることもあり、『東京2020』でもそのあたりの展開がどうなるのか注視してきた。研修、講習の場での大会ボランティアたちの熱意、参加諸国への彼らの文化的関心の真摯(しんし)さに触れて、運営システムにまつわる諸問題はさておき「ボランティア個々人の雰囲気はいいぞ!」 と感じていたけれど、それらはコロナ禍のために多くが登場の機会を持たず、十分に花開かぬまま終わることとなった。

既存の材料でぼんやり「ガイジンさん」ウケ狙った印象

一方、『東京2020』公式サイトにも掲載されている各種の文化プログラム、つまり「祭り」的な諸コンテンツを見るに、できれば「ガイジンさん」にウケてほしい、手持ちの材料を並べてみましたっぽさが濃厚、あるいは五輪との関係性がよく分からないものが多く、正直これはまずいなという気がした。なんだか東京をはじめとする各地の常設観光アピール動画の一部としてそのまま使えてしまう感じなのだ。

またアート系コンテンツも、作品としての出来は高水準でも競技観戦との相乗効果があるのかかなり疑問なものが多く、やはり今一つピンとこない。いわゆる大規模文化イベントでよくみられる「それっぽいアート」として発注された印象で、ならば開・閉会式の演目で十分ではないかと感じてしまった。

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「勝負」を通じて得られる他者や異文化へのリスペクトという観点の欠如

そんなわけで、とにかく全体的に「勝負」を通じて得られる他者、異文化へのリスペクトという観点の欠如という重要な観点を欠いたまま、東京2020ムーブは本番に突入した。

開幕後の状況については私自身が各種の別媒体で述べた通り、競技実況では日本選手応援と世界の魅力の紹介を両立させて紹介するシーンが随所にあっても、ダイジェスト、総括コンテンツではひたすら日本選手(ただしメダリスト)とその背景の「素晴らしい」人々しか紹介しない、ひどい場合は対戦相手を文字通り「相手選手」としか言わず終わってしまう状況が最後まで続いた。そして「日本の小売店員の礼儀正しさに外国選手が大感激!」といった、空虚な「日本スゴイ」記事が連日Yahoo!ニュースのヘッドラインを飾っていたのだ。

要するに、これでは1964年の東京オリンピックから質的に何も変わっていない。その旧態依然としたセンスにより、対外交流を推進するための大きな文化戦略的チャンスを逸した、という印象が強い。

『東京2020』の、特に国内での情報ムーブの「イケてなさ」。その核心は「世界の強敵たちと戦う主人公」という旧来的なドラマ図式を「世界の魅力的なライバルたちと戦う主人公」という図式に転換し損ねた(あるいは思いつかなかった)点にあるように思われる。それは、まさにプロデュース側の文化戦略レベルでの問題だ。

「やればできる」文化コンテンツ

では、いわゆる文化系コンテンツはこの状況に対しそもそも無力なのか? 何かできる可能性がないのか? といえば、決してそんなことはない。

例えばフィギュアスケートをテーマとしたアニメ『ユーリ!!! on ICE』は、まさに「世界の魅力的なライバルたちと戦う」物語であり、日本のみならず世界市場で(同性愛モチーフなどでいくらかの議論を呼びながら)絶賛され、現役スケーターを含むスケート業界人を少なからず魅了している。そして、五輪や世界選手権の現場に対して何がしかのフィードバックをもたらしている作品だ。

やればできるのである。そう、「単にそれっぽいコンテンツを用意する」のではなく、例えばスポーツドラマの場合、真の「競技愛」が出発点であれば日本のアニメ、マンガ系クリエーターたちは本当にすごい底力を発揮し、「戦いの果てにある愛」を人々に示しながら現実を動かすことができるだろう。

それなのに、「日本的サブカルのコンテンツ力を世界にアピールした」と自画自賛される東京2020オリンピック開会式が、実質「ドラクエの曲だ!」と昭和世代の視聴者が喜んで終わりだったりするのがとても悲しかった。あれほど「宝の持ち腐れ」という言葉を実感した瞬間は珍しい。

ちなみに、そもそもドラゴンクエストシリーズ(通称ドラクエ)は海外ではマイナーな存在で、開会式の例の場面は「ファイナルファンタジーでなければ国際映像的にインパクトないぞ」と思いながら、私はドイツZDFテレビの開会式実況解説をやっていた。微妙に苦い記憶である。

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「世界の魅力的な有力ライバルの紹介」という切り口

閑話休題。以上のあれこれから、『東京2020』で真に必要だったが、欠けていたと思われる文化コンテンツは、対外的にはポストコロナ期の観光を想定した東京文化の魅力アピール、そして国内的には「有力ライバルの魅力紹介」だったように思う。もちろん、コンテンツ制作だけでなくそのプロデュースの熱意や工夫も込みの話である。

例えば、五輪開会3カ月前辺りから、各競技ごとに日本と世界の動向、世界の有力選手やチームの紹介を行う動画番組を作成し、公式ウェブサイト上やテレビ放送の固定枠で定常的に流しながら強く告知していれば、競技期間本番で視聴者が感じる意義や意味、面白みは格段に向上していただろう。

もし、コロナ禍のため各種取材が困難だったり予算的に厳しいということであれば、資料映像をもとに、実況解説で活躍した有識者たち(アナウンサーとの絶妙なコンビネーションで、驚くほど素晴らしい文化的なトーク技量を証明した人物が何人もいた)に語らせるだけでも十分だ。

それだけでも「後に残るもの」の中身が大きく変わったはずなのに、そうならなかったのはなぜなのか。「それっぽいものでいかにウケるか、業界標準的な合格点を得るか」という、広告代理店的な観点からだけでモノを見てコンテンツ制作をやりきってしまった結果であるように、私には感じられた。

以上、『東京2020』は日本の文化プロデュースの在り方について再自覚を強く促すことになったのではないだろうか。良いクリエイターは随所にいるので、「いかに彼らを大舞台で十分に活かし、輝かせることができるか」という上位での判断力に、今後の日本の文化事業の成否が懸かっているように思われる。

ライタープロフィール

マライ・メントライン(Marei Mentlein)

翻訳、通訳、エッセイスト

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身のドイツ人。2度の留学を経て日本との縁を深め、2008年より日本在住。翻訳、通訳のほかウェブでの情報発信と多方面に活躍。『東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会』では第2ドイツテレビ(ZDF)プロデューサーとして発信。NHK、語学番組『テレビでドイツ語』、テレビ朝日系列『大下容子ワイド! スクランブル』などに出演。著書に『ドイツ語エッセイ笑うときにも真面目なんです』(NHK出版)、『本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」』(池上彰、増田ユリヤとの共著/PHP研究所)などがある。

東京2020をもっと振り返る……

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緊急事態宣言下、2021年8月24日開幕の東京2020パラリンピックが、12日間にわたる全競技を終えて閉幕した。同一都市での2回目となるパラリンピック開催は史上初、日本が獲得したメダルは金13個、銀15個、銅23個、合計51個。この数字は2004年のアテネ大会時に次いで2番目で、大躍進を遂げたと言えよう。

パラリンピックは、大会を通じて共生社会の実現促進を目指している。今回はこれまでに経験のない無観客での開催の中で人と社会にどんな変化をもたらし、どんなレガシーを残せるのか。歴史上最も成功したと言われる2012年のロンドンパラリンピックでは『Get Set』という教育プログラムを、2014年のソチパラリンピックでは「I’M POSSIBLE」というメッセージを残してきたが、東京大会が、これから社会にどんな影響を与えていけるのか注目したい。

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2021年9月5日、13日間の開催期間を経て、東京2020パラリンピック競技大会が閉幕。筆者は全盲の視覚障がい者で、スクリーンリーダーという音声補助ソフトとキーボード、パソコンを用いて本稿を書いている。

質問に応じてくれた徳永啓太とは、多様性をテーマにしたクラブイベント『WAIFU』(*1)でライブ、DJ出演や、クラブシーンのアクセシビリティについての対談をする中で交流してきた。

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正直なところ、この困難な状況で東京オリンピックを開催するのは、簡単なことではなかった。選手たちは新型コロナウイルスの影響で、制限のある中トレーニングに励んだ。そして、コロナ禍に大規模な世界的イベントを開催することが適切であったかどうかについては、いまだに多くの議論がなされている。しかし、悲惨な状況が続いた1年半を経て、オリンピックは必要な気晴らしを与えてくれたとも言えるだろう。

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東京パラリンピックは、13日間で22種、539競技が行われ、このほど正式に閉幕した。この数週間は、意義深い開会式や、日本人の最年少最年長メダリストの誕生、日本勢の記録的なメダル獲得など、祝うべきことがたくさんあった。また、東京パラリンピックに参加したアスリートの数も過去最多となり、なんと4405人のパラリンピアンが大会に参加した。

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