求められたのは文化産業国家としてのホスト役
五輪はスポーツ各種目の「世界一」を決める勝負の場であり、祭りでもある。正式な定義はともかく、多くの人間にとって五輪はそのような存在として受け止められている。ここで重要なのは「勝負」と「祭り」のバランスをどう取るか、特に祭りの面をどうアレンジして勝負との相乗効果を生み出すか、という点だ。端的にいえばそれが文化面での成否を左右するように思われる。
開催地の立場として「先進国に追いつけ追い越せ、自国民に自信と誇りを!」的な要素が政治、社会的に重要ならば、「祭り」は自国選手をいかに励ますかという路線にするのが適切だろう。彼らの勝利や成果が自国の近未来のポジショニングのシンボルとなり、開催国の人々にとって、自然に「自分とつながりのあるもの」としてポジティブに受け止められるからだ。1964年の東京五輪はまさにこれに該当し、実際、戦後日本発展の起爆剤の一つとして見事に成功を収めたように思う。
ではその点、『東京2020』ではどうだったのか。1964年とはそもそも日本の状況が、国としてのステータスが違っている。今回は、成熟した文化産業国家としてのホストぶりを見せることこそ重要だった。これは(コロナ問題でいろいろ頓挫してしまったとはいえ)中長期的なインバウンド、観光政策の展開にとっても重要なポイントといえる。世界の人々に「日本で開催してよかった」と感じてもらう一方、日本国民には地元選手応援の傍らで「異国との触れ合いってなかなかいいね!」と感じてもらえるような。
私は日本の自治体のインバウンド事業に関わっていることもあり、『東京2020』でもそのあたりの展開がどうなるのか注視してきた。研修、講習の場での大会ボランティアたちの熱意、参加諸国への彼らの文化的関心の真摯(しんし)さに触れて、運営システムにまつわる諸問題はさておき「ボランティア個々人の雰囲気はいいぞ!」 と感じていたけれど、それらはコロナ禍のために多くが登場の機会を持たず、十分に花開かぬまま終わることとなった。