臨海副都心
Photo: Keisuke Tanigawa
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オリンピックを楽しむために知っておきたい15の雑学

日本のオリンピック誘致と貢献に関する興味深い事実やトリビアを紹介

Kaila Imada
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波乱に満ちた2020年を経て、延期されていた『東京オリンピック・パラリンピック』がついに開幕する。残念ながら会場で競技の観戦をすることはできないが、自宅でアスリートたちの活躍を見守りたいところだ。

日本とオリンピックの関係は深く、その歴史は1回目の1964年にまでさかのぼる。1972年には札幌、1998年には長野で冬季オリンピックも開催された。ここでは、その知られざるトリビア紹介しよう。

1. 東京でのオリンピック開催は2回目である

東京で初めてオリンピックが開催されたのは1964年のこと。興味深いことにこの年の大会は、7月ではなく天候に恵まれた10月に開催されている。

2. 東京はアジアで初めてオリンピックを開催した

1964年の東京オリンピックは、アジア地域で開催された初めてのオリンピックだった。その後、1972年に札幌、1998年に長野で冬季オリンピック大会が2回開催されている。

今回で日本でオリンピックが行われるのは4回目。本大会により、東京はアジアで唯一、夏季大会を2回経験する都市となる。

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3. 世界で初めてパラリンピックを2回開催する

競技大会閉幕後の2021年8月24日から9月5日までの間は、『東京パラリンピック』が開催。これにより、東京はパラリンピックを2回実施した唯一の都市となる。

4. 1940年に開催されるはずだった幻のオリンピック?

東京で最初にオリンピック開催の話が持ち上がったのは、実は1964年をさらにさかのぼった1940年のこと。1936年に開かれた国際オリンピック委員会総会で候補に挙がっていたヘルシンキを破り、見事に開催地として誘致が決定したのだ。

しかし、第2次世界大戦における世界情勢により、1940年の五輪は開催の2年前に返上されることになる。代替開催地だったヘルシンキも戦争の影響で最終的には開催が断念された。 

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5. 新競技4種目を導入している

今年開催される大会では、空手とスケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、4つの新競技がデビューする。また、2008年以降オリンピックから姿を消していた野球とソフトボールの復活にも注目したい。

6. 国立競技場の設計はザハ・ハディドが担当する予定だった

新しい国立競技場で、オリンピック競技の観戦ができないのは残念なことだ。2019年に完成した競技場の設計は隈研吾が担当。当初はイラク出身で、イギリスを拠点に活躍した建築家のザハ・ハディドがデザインを手掛ける予定だったが、コスト上の問題で白紙となった。

建設費は1570億円、スタジアムの広さは20万平方メートルほどで、観客は約6万8000人収容できる

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7. 国立競技場に使用された木材は日本全国から集められた

「杜(もり)のスタジアム」がコンセプトの国立競技場は、木のぬくもりが感じられるエレガントなデザインだ。

外観と内装の両方には、日本へのオマージュとして47都道府県から集められた国産木材が使用されている。空調への依存度を下げるため、スタジアムを通り抜ける風を最大限に利用しているのも特徴だ。

8. サステナビリティを重視している

持続可能性を促進するために、1964年の大会で使用された会場の多くを再利用している。さらに表彰台やユニフォーム、メダルなどのアイテムにリサイクル素材を使用。

オリンピック村のベッドにも環境の考慮からダンボールが使われており、大会後にリサイクルされる予定だ。

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9. 5000個のメダルは使われなくなった電子機器をリサイクル

大会で使用されるメダルは、「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」によって集められた材料で製作されている。このプロジェクトは約2年間に渡り進められてきたもの。

全国各地から使わなくなった携帯電話などの電子機器を寄付してもらい金属を集め、オリンピックのメダル製作に役立ててきた。自治体で回収されたデバイスは約7万8985トン。NTTドコモショップで回収された携帯電話は約621万台となった。

10. 聖火リレートーチは桜がモチーフだ

聖火リレーで使用された見事なトーチは、日本の象徴として知られる桜をイメージしてデザインされたもの。新幹線の製造にも使われている製造技術を用いており、滑らかでシームレスなデザインに仕上がった。

3月からスタートした聖火リレーは、2021年7月23日に東京都庁でフィナーレを迎える。

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11. ミライトワとソメイティは小学生が選んだ

マスコットは、1万6769人の小学生の投票によって選出された。オリンピックのマスコット「ミライトワ」は、日本の伝統的な藍色を基調としたデザイン。パラリンピックのマスコット「ソメイティ」は桜をモチーフにピンク色を基調としている。

12. 日本がオリンピックに初参加したのは1912年

日本が初めてオリンピックに参加したのは、1912年にスウェーデンのストックホルムで開催された夏季大会のこと。日本からは、短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2人が出場した。

メダルは獲得できなかったが、三島は400メートル走で準決勝に進出。金栗は残念ながらマラソンを完走できなかった。

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13. 日本人初のオリンピックメダリストはテニス選手

オリンピックで初めてメダルを手にした日本人は、2人のテニスプレイヤーだった。1920年にベルギーのアントワープで開催された夏季オリンピックで、熊谷一弥と柏尾誠一郎がテニスのダブルスで銀メダルを獲得したのが初の快挙となり、熊谷はシングルスでも銀メダルを獲得した。

14. 日本が獲得しているメダルは439個

計22回の夏季オリンピックで、日本は439個のメダルを獲得している。そのうち2016年のリオデジャネイロ大会では41個のメダル獲得という大快挙で、史上最多を更新。

41個のメダルのうち12個が金メダルで、これも日本の最高記録となった。一方、日本が冬季大会で手にしたメダル数は合計58個にとどまっている。

日本が得意とする競技の一つが柔道。日本がオリンピックに参加して以来、合計39個の金メダルを勝ち取っており、同競技だけで84個ものメダルを獲得している。

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15. 日本人の初の金メダル取得は陸上三段跳び

織田幹雄は日本初のオリンピック金メダリストだ。1928年にアムステルダムで開催された夏季オリンピックの三段跳びで頂点に立った。同大会では、同じく水泳の鶴田義行も金メダルを獲得している。

オリンピックをもっと楽しむなら……

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『東京オリンピック・パラリンピック』は、ある種の「落胆」から始まった。新型コロナウイルスが流行する中、スポーツイベントを推進することは、本来ならば興奮と祝福に満ちた機会を無駄にしてしまうのではないかと感じられたからだ。しかし、大会が盛り上がるにつれ、恐怖と不安の時代に力強い光を放つことが証明されたと言えるだろう。

ここでは、東京パラリンピックの6つの印象深いハイライトを紹介する。

#WeThe15キャンペーン

東京パラリンピックに向けてスタートした「#WeThe15」は、世界人口の15%いるといわれる障がい者への差別をなくすことを目的とした運動だ。スポーツ史上最大の人権キャンペーンと称されるこの運動は、障がい者の声を発信し、社会で活躍することを困難にしている障壁を取り除くことを目的としている。

#WeThe15が制作したプロモーションビデオでは、パラリンピックを盛り上げるだけでなく、障がいがあれば自動的に特別になれるという誤解が広まっていることを指摘。また、パラリンピック選手がヒーローになれるのは障がいの有無ではなく、規律と粘り強さであるという事実を強調するためにも、必要なメッセージだった。

Paralympics
Photo: Naomi BakerMiyuki Yamada of Team Japan celebrates winning silver in the Women's 100m Backstroke Final - S2

最年長と最年少のパラリンピック王者

本大会では、日本史上最年少最年長のチャンピオンが誕生した。14歳の山田美幸は、女子100メートル背泳ぎ(運動機能障害S2)で銀メダルを獲得し、パラリンピック最年少メダリストとなった。そして、パラ自転車競技に出場した杉浦佳子は、2つの金メダルを獲得し、50歳でパラリンピック最高齢記録を更新。

彼女はNHKのインタビューに「最年少記録は二度と作れないけど、最年長記録ってまた作れますね」と答え、感動とやる気を人々に与えた。成功には年齢は関係ないということを思い出させてくれる言葉だ。

2020 Tokyo Paralympics closing ceremony
Photo: Alex Pantling/Getty Images

アフガニスタン選手の参加

開会式では、アフガニスタンの首都がタリバンに占拠されたことで参加できなかった選手の代わりに、ボランティアがアフガニスタンの国旗を持っていた。

パラリンピック当局は、選手のザキア・クダダディ(Zakia Khudadadi)とホセイン・ラスーリ(Hossain Rasouli)がカブールから避難できたが、大会には出場しないことを発表する。しかし、両選手は東京に無事到着し、クダダディはテコンドー女子の試合に出場。陸上競技選手のラスーリは、自分の種目の予選と決勝を逃したが、男子走り幅跳び決勝のT47クラスに出場した

閉会式では、選手たちがアフガンの国旗を持って登場し、この物語を締めくくった。

2つのチーム、1つのゴール

オーストラリアのパラサイクリスト、スチュアート・ジョーンズ(Stuart Jones)は、ロードレース男子決勝で最後の1周を終えたとき、後ろから南アフリカのトニ・モールド(Toni Mould)が迫ってくるのに気付く。モールドは女子ロードレース決勝で1周遅れており、土砂降りの雨の中、レースを続けるために戦っていた。

ジョーンズは、まったく別のチームで違う競技に出場していたにもかかわらず、スピードを調整してモルトの横に並び、彼女を応援。この行動は、金メダル獲得と同じくらい素晴らしいものだった。

パラリンピックでのプロポーズ

視覚障がい者のマラソン競技には、複雑な要素がある。選手にはガイドとなる伴走者が付き、伴走者は選手のペースに合わせてコースを誘導。選手と息が合うようになるまで何年もかかるといわれており、競技者のペアが親密な関係になるのは自然なことだ。

西アフリカの島国、カボベルデから出場したケウラニドレイア・ペレイラセメド(Keula Nidreia Pereira Semedo)と彼女の伴走者、マヌエルアントニオ・ヴァスダヴェイガ(Manuel Antonio Vaz da Veiga)は、陸上女子200メートル(視覚障害T11)の予選でゴールした直後、ヴェイガが片膝をついてプロポーズをし、パラリンピックの人気デュオになった。彼女はもちろん「イエス」と答えている。

イブラヒム・ハマドゥーのユニークな卓球スタイル

エジプトのイブラヒム・ハマドゥー(Ibrahim Hamadtou)は、幼少期に卓球とサッカーの2つのスポーツをしていた。10歳の時に列車事故で両腕を失ったハマドゥー。彼は友人と卓球の腕前を巡ってけんかをしたことをきっかけに、卓球を極めようと思うようになった。

数十年後、2児の父となった48歳のハマドゥーは、東京パラリンピックの卓球競技で準々決勝に進出。惜しくも準決勝には進めなかったが、パドルを口にくわえて試合をする見事なテクニックは誰にも負けていなかった。

パラリンピックの情報は『東京オリンピック・パラリンピックガイド』でチェックしよう。

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東京パラリンピックは、13日間で22種、539競技が行われ、このほど正式に閉幕した。この数週間は、意義深い開会式や、日本人の最年少最年長メダリストの誕生、日本勢の記録的なメダル獲得など、祝うべきことがたくさんあった。また、東京パラリンピックに参加したアスリートの数も過去最多となり、なんと4405人のパラリンピアンが大会に参加した。

閉会式は、開会式と同様に、天皇陛下の成仁、菅義偉、小池百合子、国際パラリンピック委員会(IOC)会長のアンドリュー・パーソンズ(Andrew Parsons)ら一部の関係者を除いて無観客で実施。選手たちは、開始前からフィールドの椅子に着席し、ショーの開始を待っていた。

閉会式のテーマは「Harmonious Cacophony(調和の取れた不協和音)」(大会組織委員会は「違いが輝く世界」と表現)で、違いを認め合う社会の意義を浮き彫りにした。ここでは、世界中の観客に感動を与えた閉会式の印象的なシーンを紹介しよう。

2020 Tokyo Paralympics closing ceremony
Photo: Alex Pantling/Getty Images

入場行進にアフガニスタンの選手も参加 

閉会式は、フルバンドや視覚障がい者のブレイクダンサーなど、さまざまな障がいのある人による色鮮やかなパフォーマンスで幕を開けた。その後、日本の最年少メダリストになった競泳の山田美幸らが運んだ日の丸が掲揚された後、各国または地域の旗手のみが次々と入場した。

パレードで忘れ難いのは、アフガニスタンの選手団だ。閉会式では、タリバンがアフガニスタンを占領していたにもかかわらず、無事東京にたどり着き、大会に参加した2人のアスリートが同国を代表して登場したのだ。この大会が選手たちにとってどれほど大きな意味を持つかを示す、力強い瞬間であった。

場内には東京の街が表現され、「選手の輝き」を象徴する鏡が、旗手たちによって横たわった東京スカイツリーに貼り付けられた。このスカイツリーは、カラフルな東京のビル群に混じってつり上げられ、多様性が輝く街が完成した。
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2020 Tokyo Paralympics closing ceremony
Photo: Alex Pantling/Getty Images

I'mPOSSIBLE アワードの受賞者を紹介

続いて、インクルーシブな世界の実現に多大な功績を収めた学校とパラリンピアンに贈呈される「I'mPOSSIBLE」賞の発表が行われた。I'mPOSSIBLEは、日本財団パラリンピックサポートセンターの支援を受けて、世界中の若者にパラリンピックの価値観やムーブメントを伝えるために2017年に始動。これまでに37カ国で導入され、レッスンプランやワークシートなどの教材を提供している。

授賞式では、木更津市立清見台小学校、千葉県立東金特別支援学校、マラウイ共和国のLilongwe LEAなど3校が受賞。2人のパラリンピアン、ザンビアのラッサム・カトンゴ(Lassam Katongo)と、ポーランドのカタジナ・ロゴヴィエツ(Katarzyna Rogowiec)もその支援を表彰された。

パリ大会への引き継ぎ

参加したボランティアへの感謝の言葉が述べられた後、ダンサーやミュージシャンによるサイケデリックなサーカスのパフォーマンス、そしてもちろん、さらにカラフルな花火が国立競技場の周囲に打ち上げられる。

続いて、IOC会長アンドリュー・パーソンズ、小池百合子、パリ市長アンヌ・イダルゴ(Anne Hidalgo)が壇上に上がり、パリ大会への引き継ぎセレモニーが行われた

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フランス国歌はベティ・ムトゥマラヤ(Betty Moutoumalaya)が、パリの雰囲気を味わえるようにルーヴル美術館で、フランス国歌に合わせ、踊るようなダイナミックな手話を披露

そして、振付師でダンサーのサデック・ベラベ(Sadeck Berrabeh)が、126人の着席者と腕と手だけを使った魅惑的なダンスを披露。また、筋萎縮性側索硬化症と診断されたフランス人レコードプロデューサーのポーン(Pone)による、目だけを使って音楽を奏でるパフォーマンスも印象的だった。

引き渡し式の後、パーソンズと東京2020組織委員会の橋本聖子が閉会の辞を述べ、障がい者に活躍の場を与えることの重要性を強調した。

#WeThe15が再び登場

開会式で初めて披露された「#WeThe15」は、障がい者への差別をなくすことを目的とするキャンペーン。この運動は、国際パラリンピック委員会やユネスコ、インビクタスゲームズなど、多くの組織が支援している。

公式ハッシュタグの#WeThe15は、式典の最初と最後に共有され、国連関係者やハリー王子までもがゲストとして登場し、感動的な映像が流れた。

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Photo: Carmen Mandato/Getty Images

パラリンピックの炎を歌で消す

フィナーレで演奏されたのは、ルイ・アームストロングのジャズの名曲「What a Wonderful World(この素晴らしき世界)」だ。ロックバンド、ROGUEのボーカル奥野敦士(おくの・あつし)が歌い、手話パフォーマーのRimiが映像で参加した。

最後の花火が打ち上げられ、聖火が消灯、東京での大会が終了した。

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式典の最後には、選手たちの努力をたたえるメッセージが出演者によって紹介された。次回の2024年パラリンピックはパリ。パリは史上初の開催地となることも含め、期待したい。

パラリンピックの情報は『東京オリンピック・パラリンピックガイド』でチェックしよう。

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