スガナミユウ
Photo: Keisuke Tanigawa
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トンネルを抜けて、下北沢「LIVE HAUS」が3周年の夏を迎える

「場所を作ること」とは、店長のスガナミユウにインタビュー

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「生きる家」を意味するライブハウス、下北沢「LIVE HAUS(リヴハウス)」は、2020年4月9日にオープンする予定だった。「だった」というのは、オープンの数日前に第1回目の緊急事態宣言を迎えたからだ。その後も営業できない時期が続き、本オープンは2020年8月となった。

依然としてコロナ禍は続いているが、紆余(うよ)曲折という一言では語れない想像を絶するような日々を乗り越えて、LIVE HAUSは3周年の夏を迎える。まず場所があり、音楽を鳴らすミュージシャンやDJがいて、観客が集まって熱狂する。当たり前のようでいて尊いことだったと気付かされたのではないだろうか。

「1度立ち止まって、ライブハウスやクラブの魅力だったりとか、場所の意味みたいなものに改めて向き合って考えた3年間だった」と語る、店長の一人であるスガナミユウにインタビューした。

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LIVE HAUSオープンのきっかけ

ー早速ですが、スガナミさんのこれまでの経歴を教えていただけたらと思います。バンドをやっていること、イベンターだったこと、「Shimokitazawa THREE」の店長だったことは知っているのですが。

1981年、福島県の出身で、上京後はフリーターをしながらバンドをするという生活を続けていました。10年ほどたった31歳の頃に東日本大震災が起きて、実家が半壊してしまって。復興の手伝いで東京と地元を行き来するにつれて「ちゃんと生きていかなきゃ」と強く思うようになりました。同時に、音楽にまつわることを仕事にしたいと考えるようにもなって。

震災前後、上京直後に始めたバンド「GORO GOLO」をリスタートしたり、「新宿ロフト」でエントランスフリーのイベントを始めたりしました。「人が集まれる場所を作る」ということに奔走していたのかもしれません。

2013年ごろ、イベントではない状況で気軽に友達が集まれる場所があればと思って、友人が当時池ノ上に借りていた事務所で会員制のバーを始めました。その後事務所移転に伴いクローズすることになったのですが、遊びに来てくれていた、当時の「THREE」の店長だった星野さんに、THREEの夜中のマスターとして誘っていただいて入社して。その後、店長にならないかというオファーをいただきました。

ーTHREEではどのくらい働かれたんですか?

2014年の夏から始めて、店長になったのが2015年12月。そして2019年の12月まで店長を務めました。

ーLIVE HAUSがオープンするギリギリまで働かれていたんですね。ということは、THREEの店長業と並行して準備をしていたということでしょうか?

そうですね。THREEで働いている時はいろいろなことを調整してくれて、すごく感謝しています。

THREEで働き始める前から、ライブハウスには、出る側としても、イベントを組む側でも関わっていて、やりづらさみたいなものを感じていた部分もあって。THREEは最初からあまりそれに当てはまらなかったのですが、例えばバンドがノルマ(出演料)を負担したり、箱代もすごく高かったりして、ミュージシャンがライブハウスで活動を始めるにあたって難しい部分があると感じていました。

自分が店長になる時に、いくつか提案をさせてもらったんです。アーティストノルマ、いわゆる出演料を一切取らない。ホールレンタルでイベントを開催してもらう時の料金は、できるだけ安くする。毎週金曜日の「Block Party」という完全無料のイベントや、毎月9日に「9party」という社会や暮らしについて考えるパーティーをスタートすること。そうしたら「ぜひトライしてみましょう」となりました。

ーバンドがノルマを払ってライブをするというのはわりと一般的なことだったと思うので、ノルマを取らない、レンタル代もできるだけ安くというステートメントがTwitterなどで流れてきた時は衝撃的だったのを覚えています。

とは言っても雇われている身だから、どうしても限界があって。現場を好きにやらせてもらう以外の部分、例えば経営面などで、自分たちでやった方がもっとやりたいことが実現できるんじゃないかと思い始めたんです。

2018年ぐらいから独立を念頭に置いて少しずつ動き出したのですが、同時期に長年「オルガンバー」の店長をやっていた大仏くんも独立を考えているという話を聞いて。ライブハウスの店長だった自分と、クラブの店長だった大仏くんが一緒にやるのも面白いかもね、みたいな話をしました。

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オープンまでの険しい道のり、計画の変更

ーLIVE HAUSオープンに向けて、具体的に動き出したのはいつごろでしたか?

2019年に入って何ヵ所か物件の契約の交渉までいったりしたのですが、特に実績もないし、契約する経験値がなかったから、物件をしっかり押さえることができずに頓挫してしまい。

下北沢にもほど近い、ある駅の目の前にあるビルの地下の広いスペースが空いて、ライブハウスやクラブだけでなく、レコード店や飲食店なども入った地下街を友人たちとみんなで作るという計画もあったのですが、上の分譲マンションの住民の方から反対が出て、契約直前で反故(ほご)になってしまいました。それが2019年の12月のことです。

自分や大仏くん、独立についてきてくれた当時のTHREEのスタッフの何人かも、秋の時点で12月に退職するということを会社に話していたので、このままだと2020年の1月から全員職を失うかもしれないという状況になってしまいました。

その矢先に、夏くらいから空いていた今のLIVE HAUSの物件の、家賃が下がったんです。大仏くんと2人で、ここでいわゆるデイタイムとナイトタイムの二毛作で始めるのも面白いかもしれないね、って話になりました。それで2020年1月初旬から借り始めたんです。

機材も一から揃えて、見積もりで5,000万円ぐらいかかることが分かりました。ライブハウスやクラブは、騒音の問題がネックでなくなってしまうケースが多い。だから、セーフティーな状況で、ストレスなく続けるためにも、防音はしっかりやると決めていました。そして、その中の5分の1に当たる1,000万円をクラウドファンディングで集め始めたんです。

コロナの影が忍び寄り始めた2020年2月

2月くらいから、新型コロナというウイルスがはやっているらしいと。オープンは4月9日に決まっていて、工事も進んでいたので、そこまでには収束するのかなくらいに思っていました。

2月の下旬に関西のライブハウスでクラスターが発生したという報道から、一気に逆風になったんですよね。周りのお店とかも含めて、いきなりイベントのキャンセルが出始めて、「本当に営業するのか」みたいなクレームもあり、すごく大変な状況になってしまって。ありがたいことにクラウドファンディングは成功して店は着々と工事が進んでいるのに、状況は悪化していく。

2月の段階でオープニングのイベントを4月、5月、6月の3カ月分組んでいました。3月下旬ぐらいにはどうしようもない状況になっていたけれど、オープンはどうするか、というのはまだ決められずにいたんです。でもイベントはどんどんキャンセルになっていくし、アーティストも出演を辞退していくという状況で。周りのお店もミュージシャンもすごくダメージを負ってしまっていました。

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ー決まっていた仕事が全てなくなってしまうわけですものね。

そこでライブハウスやクラブ、そこに関わる人たちみんなを守るための活動「Save Our Space」をスタートしました。いわゆる給付金や、コロナ禍で被害を受けたものに対しての保障を政府や地方自治体に要請に行ったり、署名活動したりするっていうことを始めたんです。店に関しては、4月に1回目の緊急事態宣言が出されてオープンを延期することになりました。

ーなるほど。それで本オープンした8月を周年月にしているのですね。本オープンまでの間はどのように過ごしていたのですか?

緊急事態宣言の時は基本的に何もできなかったです。自分は週5回ぐらい議員会館へ陳情に行ったり、いろいろな活動をしたりしていて。そして6月ぐらいから、業種ごとに段階的に営業再開が緩和されていったんですね。

ただ、ライブハウスってイベントを組まないといけないから、いきなり開けられないじゃないですか。6月下旬ぐらいから営業できるようにはなりそうだけれど、余裕を持って8月にオープンしようという話になりました。

その間、「下北線路街 空き地」という野外スペースでLIVE HAUSの冠イベントをやったり、店舗の地上で「HauStand」という名前で、スタッフのキムキムを中心にホットサンドを売ったり。並行して、8月に向けてイベントをまた組み直し始めたんです。

あと「LIVE HAUS SoundCHECK」という名前で、配信番組をスタートしました。いろいろな人が出演してくれて感謝しています。LIVE HAUSは箱として音響システムの経験値が全くゼロの状態だったから、サウンドチェックも含めて、ミュージシャンの人にリスニングしながらサウンドシステムの経験値を積むという意味も含めて行いました。

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配信のメリットとデメリット、地方のライブハウスへの影響

ー配信に関してお聞きしたかったのですが、コロナ禍で配信ライブはかなり一般的になったと思うんです。今後に生かせそうな気付きのようなものはありましたか?

配信ライブは、もううちではあまりやっていないんです。持ち込みのイベントによってはあるんですけど、私たちが能動的にやることはもうあまりないかな。でも東京以外の方や、環境や身体的理由でライブハウスへ来ることができない人が映像を通してライブを体験できるっていうのはすごく大きいなと思いました。

ただ、配信スタッフとして人が稼働するし、機材に関してもお金がかかる。こういう小さいライブハウスやクラブは音楽を始める人のための場所でもあるから、知らないバンドの配信は無料でもあまり観られなくて、特に有料にすると難しいんですよ。

あとはステージ装飾やVJなどを入れないと絵に動きがなくて。配信ライブを重ねていくと、絵映りが毎回同じに見えてしまうことに、アーティストが苦しめられていたように感じます。

それと配信で難しいと思った点が、ツアーをしなくて済んでしまうということです。アーティストやお客さんの行き来ですね。その土地土地のライブハウスとかクラブでイベントがあると、周りのお店にも人が来て活性化されるから、街への貢献って結構大きいんです。

東京のようなアーティストの母数が多い場所は別ですが、それ以外の土地の箱は、週末のツアーバンドとその土地のバンドが一緒に出るイベントが大きな1つの収益になっていたから、それができなくなるっていうのはすごく大変なことだったと思います。

ーそうですよね。地方のライブハウスのスケジュールをチェックすると、週末しか稼働しないこともあるじゃないですか。

確かにそうですね。その土地のバンドだけで回すっていうのは限界がありますしね。

あと配信で言うと、ライブを配信しないと補助金が出ない制度がすごく多かったんです。不要不急の外出を制限しているという理由で、家で音楽を楽しむ術として、有観客なし、あるいは有観客を制限した状況で配信を必ず行うということが、基本的な補助金の条件だった。

ーそれは2020年以外もですか?

主に2020年と2021年だったかな。それが条件の一つだったんです。だからみんなライブを配信していた部分も大きかったと思います。

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時短営業時のイベント開催

ーそういうことだったんですね。関連する質問になってしまうのですが、入場人数や酒類の提供、営業時間が制限されていた間はどのように営業をしていたのですか?

営業時間が20時までと要請されていた時は、もう平日に関しては無理でしたね。仕事が終わってライブハウスに来れる時間がそもそもそれくらいじゃないですか。

ーではイベントもやっていなかった?

その時は、週末の昼から夕方にかけてがメインでした。クラブなんて21時、22時からオープンする店がざらにあるわけだから、何もできなかった店も多いですよね。

やっぱりライブハウスって、人がみんなで集まって音楽を体験する場所だと思うんです。それが醍醐味(だいごみ)なわけじゃないですか。人によっては音楽とともにお酒も楽しむ場所だったりもするし。自分たちがこの仕事の強みだと思っていることが全部できなくなって、どうすりゃいいんだろうと途方に暮れていました。

ーそれでは、ちゃんとデイタイム、ナイトタイムに分けて営業できるようになったのはいつごろからでしょうか?

本当に去年の途中ぐらいからですね。私と大仏くんが2人で店長をやっていることの真価がやっと出たというか。コバチ(制作・音響)をはじめ、いろいろなスタッフの力が合わさって、今ちゃんとお店として営業できるようになってきた、というのが現状です。

ー来場人数や外国からの観光客は増えましたか?

増えました。それこそ円安だから、海外から旅行で来る方がすごく増えていますね。

ー観光客の方は何を見て訪れているのでしょう?

看板を見て入ってくる人もいれば、多分「Tokyo Gig Guide」とか、それこそタイムアウトさんだったりをチェックして来ているのかなと思います。ふらっとそういうのを見てきたって感じの人が結構増えて、すごくありがたいです。

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LIVE HAUSの個性とは?

ーライブハウスの深夜帯は生音系が多くて、クラブイベントをがっつりやっているイメージがあまりなかったのですが、LIVE HAUSはライブハウスとしてロックバンドがいて、大仏さんやコバチさんが担当している深夜帯はクラブイベントをしてと、ボーダーレスなイメージがあります。それが特徴の1つだと思うのですが、イベントを組む時に意識していることや気を付けていることは何ですか?

音響的なところで言うと、作る時にクラブでもライブハウスでも対応できるシステムにしようとPAチームと話をして、スピーカーの選定も含めてそういう設計で組んでもらいました。ライブハウスでDJをする時と、クラブでライブをする時って、機材のスペックや環境面でやりづらいと感じることが多くて。自分も「オルガンバー」や「ファミリー(FAMILY)」などのクラブが好きで、大仏くんも昔バンドをやっていてライブも好きだから、DJも、ライブをするミュージシャンも満足したプレイができる音響設計にしようと考えました。音響チームの頑張りもあって、経験を積むごとにどんどん磨きがかかっていると思います。それがLIVE HAUSの特徴になっているんじゃないかなと。

イベントの組み方に関しては、自分や大仏くんが持っているDJ、ミュージシャンとのつながりと、コバチやキムキム、若いスタッフたちが持っているコミュニティーはそれぞれ違うので、それをまとめずに、それぞれに共存しているのが良いかなと思っていて。

LIVE HAUSは、誰かにとっては大仏くんの店だし、誰かにとっては私の店だし、誰かにとってはコバチやキムキム、ほかのスタッフの店だと思ってもらって、訪れる人がそれぞれの関わりの中で居心地のいい場所として感じていただけたらと。最終的な責任は私と大仏くんにありますが、その日一日を担当してくれているスタッフが、店を自由にデザインして、それぞれがお店の看板になってもらえるようにしたくて。それを支えるのが店長の役割の一つかなと思っています。それは、2人で店長をやると決めた時から思っていたことなのかもしれません。

ーそもそも、2人店長もなかなか珍しいスタイルですよね。

あらゆるジャンルを網羅していた方がお店としては面白いし、私たち自身も刺激になりますね。昼夜イベントがあると考えると、1カ月で60公演近くになる。

そう考えると、こういう音楽のジャンルを主にやっている箱です、って決めてしまうのはもったいなくて。もっといろいろな音楽を幅広く、自分たち自身も自由に楽しんでやれる感じにしたいなと思っています。

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ーLIVE HAUSで定期的に開催しているパーティーはありますか?

「9party」はTHREEから継続していますし、私がやっているバンド「Thiiird Place」のパーティーやキムキムの「p/am」、大仏くんやコバチ、ほかのスタッフもそれぞれパーティーを持っている感じです。

店主催ではないレギュラーのパーティーでいうと、「涙のどすこいオールスターズ」。ビンテージのオブスキュアな音楽がバンバンかかるパーティーですごく面白いです。ビンテージミュージックの裾野を広げているし、深夜のクラブのパーティーの面白さが凝縮されているイベントだと思います。

でも、毎月のレギュラーみたいなのは、コロナ禍前に比べて減ったかもしれないですね。シーズンに1回とかが増えたような気がします。

私は、ライブハウスの店長になってからも、プレイヤーとしてバンドを続けているのですが、その理由の一つとして、自分がライブハウスで働き出す前にミュージシャンとして出ていた時の、もっとこうだったら居心地がいいのにという視点をずっと持ち続けたいという意味もあって。いくつかバンドをやることでいろいろな人と関われるし、ミュージシャンと同じ目線で一緒に何かをできるのも大きいのかなと思っています。

自分たちで組んだイベントから「レコ発今度ここでやりますね」とか「パーティーやってみたいです」みたいに言ってくれる人もいて派生することもあって。常に出会うために、自分たちでもイベントをやっていくって感じですかね。

ーいろいろな音楽が流れているからこそ、新しい出合いを期待して遊びに訪れやすい場所だなと思っています。2022年から本格的に始動したとのことですが、この3年間で印象に残った出演者や続けてきて良かったと思ったパーティーを教えてください。

去年の周年、2022年8月はフルに埋められて紙のマンスリーフライヤーを作ったんです。1カ月丸々「周年月です」って告知できたことはすごく……。お店をやっと始められたみたいな気持ちになりました。

それまではスケジュールが穴だらけだったので。スタッフみんなで1回成功体験を作ろうと一丸となってやれたのは、どのパーティーがというよりも、一番感慨深いですね。

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ー2023年の8月、3回目の周年を迎えるに当たって、本当にいろいろな葛藤や模索があったと思います。率直に今どんな気持ちでしょうか?

音楽に戻ってきたということが自分の中で一番大きいです。もちろん日々のこと、社会で起きている問題へのコミットっていうのは並行してありますが、音楽そのものにまた向き合える生活が戻ってきたっていうのは、本当にこの半年ぐらい実感してることで。

その中で3周年を迎えられるっていうのが、やっぱり2020年のコロナ禍が始まった状況から考えると、ちょっと想像を絶するぐらい果てしなかったので。もっと巻き戻すと、物件が決まらない状況で、前職を退職した時から考えると、今LIVE HAUSがあるのが信じられないというか。

その時その時の問題を、みなさんの助けを借りながらクリアできたことは奇跡だなと思っています。音楽がまた毎日街の中で鳴っているような状況、日常が戻りつつあることがすごくうれしいです。

もちろんコロナですごくたくさんの人が苦労したし、亡くなった方もいる。今も気を付けて生活してらっしゃる方もたくさんいるので、全てが終わったとは全く思っていないです。

ただこの間に経験したことっていうのは、自分にとっても店にとっても、10年、15年たって振り返ってみた時に、すごく財産になっているんだろうなと。2019年からそのまま「行け行けどんどん」でやった未来っていうのはちょっと想像ができないのですが、1度立ち止まって、ライブハウスやクラブの魅力だったりとか、場所の意味みたいなものに改めて向き合って考えた3年間だったと思います。

東日本大震災の時ももちろんすごく大変なことだったけど、このコロナ禍は世界的に動きが止まったっていう、歴史上なかったことだと思うんです。

ー震災の時はそれこそ電気を使わないイベントとかもあったり、みんなで盛り上げていこうという部分もあったりしたと思うのですが、コロナ禍とはやっぱり違いましたか?

大きく違うと思います。やっぱり人が集まれるっていうのは強みなんですよね。

それこそ東日本大震災の2011年3月11日当日、電車が止まってしまったので、東京のライブハウスはもちろん、いろいろなお店が帰れなくなった人のためにスペースを解放して、朝までみんなで過ごしたりしたんです。

そういう時に集まって、抱えている不安をみんなで話したりできるのが、集まれる場所の良さだと思うんですよ。それがコロナ禍で封じられた。それこそ震災の時はドネーションのイベントとかもたくさんできたし、それが集まれないからできなくて。

THREE時代も、災害が起きた時の支援のイベントをすごく盛んにやっていたから、ストロングポイントを奪われていたのかなと。

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2023年、ライブハウスのあるべき姿とは?

ーコロナ禍で配信での楽曲リリースが加速し、サブスクリプションサービスのプレイリストやSNS発のヒット曲が生まれ、オンラインだけで完結できる時代でもあると思うんです。以前と比べて小規模なアーティストのリリースパーティーなどが減っているようにも感じます。そういう時代にパーティーを続けること、ライブハウスという「生」の場所が持つ意義とはどのようなものになってくると思いますか?

バンドも、スタジオ自体みんなで集まってやるっていうのが、難しい状況だったじゃないですか。そういうのもあって、家で録音したりするっていうのはすごく増えてきた。それも面白さはあると思うんです。

いわゆる配信みたいなプラットフォームで、自分たちの音源をリリースして聴いてもらえるチャンスを手軽に作れるっていうのは、昔よりどんどん進んでいるなと。そこで生まれることも面白いなと思っています。

「ライブハウス」という名前ができてどれぐらいたつのか正確な歴史はわからないのですが、おそらく2020年、もしかしたら2021年もライブハウス史の中で、(ライブハウス発の)新しいアーティストが生まれなかった年だったのではないでしょうか? そんな年はこれまでなかったでしょうし、すごく衝撃的でした。

このままどうなっちゃうのかなと思っていたのですが、やっぱり人は、人同士が集ってバンドをやりたくなるんだなって最近は思います。それこそこの1年ぐらいで新しいバンドや水面下で準備していたバンドも出てきたりとか、再始動するバンドもいて。未来は明るいなと思う一方で、空白の2年間ですごくダメージがあるなっていうのも感じていて。

例えば、高校の軽音部で集まってバンドをやれる状況ではなかっただろうし、卒業ライブとかももちろんなかっただろうから、音楽を始めるきっかけが少なかったのではと。ちょうど2020年、2021年がチャンスだったりターニングポイントだったりしたであろう人たちが、チャンスがなくて諦めたり、やる機会がなかったり。この2年間の空白は、実はもうちょっと先に影響が出てくるのかなって思いますね。

だからもう1回、生のライブとか、クラブとかの魅力を私たち箱側の人間がちゃんと再提案して伝えていくってことが大事なのかなと。気軽にスタートを切れるような状態に、店を作っておこうと思っています。

逆に、2019年までに積み上がってきていた価値みたいなものが、良い意味でも悪い意味でもいったん更地になったと思うんですよ。例えばライブハウスやクラブのヒエラルキーや権威的な部分だったりとか、もっと言うと、ミュージシャンのキャリアとかも含めて、みんなゼロベースになってやり直しをしているなと。

ライブハウスやクラブにおける暴力やハラスメントの問題など、いろいろなことをもう1回、一つ一つ見直して、音楽をやる上でのセーフティーな場所を作るチャンスでもあるので。それは、この止まった期間がなければ気付けなかったことかもしれない。問題が埋もれたままだったかもしれないなと思います。

ーそういう意味では、2020年のコロナ禍以降は転換期なのかもしれないですね。

多分私たち箱の人間も、ミュージシャンも転換期だと思った方がいい。そのほうが良い未来になるんじゃないかなって。自分たちの音楽シーンというものをちゃんと検証するべきだと思います。

今まで熱に浮かされてた部分ってみんなあると思うんです。熱狂みたいな部分がシーンの活性化につながったりするのはいいのですが、その中で取りこぼしてきたものがあるんじゃないかと。

自分がTHREEに勤めていた時にフリーパーティーを続けていた理由は、音楽を楽しんでもらうために来やすく、ハードルをゼロまで下げようとしていたからなんです。店としても、チケット代が高くても安くてもタダでも、毎日お客さんが100人来たら、絶対にこの小さな店は回ると思っていたから、どういう形でも毎日100人来る店になればいいなと。

ただ今はそこから考えがすごく変わって。どんな方法を使っても毎日100人来てほしいとは、実はもう思っていないんです。その場所の安全性、セーフティーな気持ちで音楽が楽しめるかどうかっていうことを主眼に置くべきだなと思っています。

盛り上がらないと店はつぶれるし、アーティストもたくさんの人に観てもらいたいという気持ちはもちろんあると思うのですが、それを一足飛びでやるっていうよりは、アーティストと箱、そしてお客さんと一緒にセーフティーな場所を積み上げていく。みんなが居心地がいいと思える空間を作っていくために、一人一人増やしていくっていうイメージを持つようになりましたね。

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ー今注目しているミュージックヴェニューはありますか?

まず「下北沢ADRIFT(アドリフト)」です。ライブハウスやクラブというよりイベント会場なのですが、入り口にスロープがあって、車椅子の方が一切の段差なくフロアまで行けるんですよ。バリアフリーだし、LIVE HAUSで収まらない中規模のイベントをやる時に面白いんじゃないかなと。あと、ADRIFTはしっかりした調理場もあって、友人の結婚パーティーの会場として紹介したりしています。

最近は東京以外のヴェニューの方が面白いって思うことが多いかもしれないです。長野の松本に「ギブミーリトルモア(Give me little more.)」っていうライブハウスがあって。古い小さな住居にツタとかが全体を覆っているような外観で、ここライブハウスなの?みたいな見た目なのに中に入るとバーがあって、ライブスペースがあって、2階にはレコーディングができる部屋があったり、小さくてDIYに満ちた箱なんです。

東京だと多分ああいう箱はできないし、そういう場所が「街に許容されている」みたいなところも含めて、すごく面白いなと思います。

3周年を迎えて、「君がいつでも帰ってこれるように」

ーまもなくアニバーサリー月間の8月です。おすすめのイベントはありますか?

良いイベントがたくさんあるので迷ってしまうのですが、私が組ませていただいたイベントだと8月4日(金)の3マンライブ。小西康陽さん、曽我部恵一さんのソロライブに、最近初めてCDをリリースした「砂の壁」というバンドをお招きしました。小西さんの弾き語りも曽我部さんの弾き語りも、それぞれにライブならではの特別な体験ができると思います。砂の壁は音楽的にとてもポテンシャルの高いバンドで、両氏のファンの方にも響くものがあるのではと思い、お誘いしました。

夜中の「BAR 大仏」には、DJ KENSEIさんが初登場だったり、東京の小箱を支えているDJの方々にたくさんご出演いただきます。コバチの担当の日もフレッシュなダンスミュージックのパーティーがラインアップされています。

あと、周年のイベントというわけでないのですが、mmm with エマーソン北村 & 菅沼雄太さんによるシリーズイベント「DUSTBAG」は、毎回とても良い日になっていて、今回はロボ宙&VIDEOTAPEMUSICさんとの2マンで、こちらもおすすめです。

もちろんほかにも挙げていくとキリがないのですが、今年もマンスリースケジュールを作ったので、各イベントをチェックしていただいて、好きな時に好きなタイミングで足を運んでいただけたらうれしいです。

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ー最後の質問です。LIVE HAUSの今後の展望をお聞かせください。

毎日、スタッフやお客さん、出演者を含めて「いい一日だったな」って思えるような営業をすることですね。あと、たまりにたまった借金を返す。

ライブハウスやクラブの価値というものを、1度見直したことを忘れずに、毎日人が集まって、音楽を鳴らせることが当たり前だって思わずにやっていけたらと思います。

「君がいつでも帰ってこれるように」。THREE時代から掲げられているメニューボードに書かれている言葉のように、誰もが気兼ねなく立ち寄れる日が戻って来ることを願って。3周年を祝うとともに、LIVE HAUSの今後を見守りたい。

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