音楽に救われた青春時代、東日本大震災をきっかけにイベント開催
ー音楽の仕事に携わろうと思ったきっかけは何でしたか?
中学・高校と吹奏楽部でトランペットとホルンをやっていたのですが、高校の部活の顧問が、指揮に加えて作曲もする人でした。良いソロが取れたときなどにこちらを見てほほ笑んでくれたんです。教室にはあまり馴染めなかったのですが、音楽では認めてもらえたと感じたのが今も携わっている原点かもしれません。
大学ではバンドをやったり、レンタルレコード店でイギリスのインディーロックの仕入れをしたりしていました。卒業後は、CDのジャケットをデザインする会社で国内盤独自のジャケットの制作を担当していたのですが、27歳の時に病気になり、以前のように働けなくなってしまったんです。
その時、音楽という支えにずっと救われてきたと改めて思い、現役ミュージシャンを当て書きした映画のシナリオを書きました。それがきっかけで少しだけ元気になり、ライブに遊びに行くようになったのです。
しかし、その直後に東日本大震災が起きてしまいました。私は福島県相馬市の出身なのですが、縁があって和合亮一さん、遠藤ミチロウさん、大友良英さんによる「プロジェクトFUKUSHIMA!」を手伝うようになり、翌年の2012年に吉祥寺で、「福島」の名前を付けた相馬市へのドネーションイベントを主宰しました。
その後もイベントを続けていたのですが、音楽とは分けたいという考えのミュージシャンがいたこともあり、熟慮の結果、2015年から純粋な音楽イベント「にじのほし」としてリスタートしたのです。同時期に音楽制作事務所でマネジメントの仕事をしていたのですが、イベントとの両立が難しく、2017年からは介護の仕事に携わるようになりました。