LGBTQ+コミュニティーの歴史は長いが社会的な認知は足りていない
ーにじいろ防災ガイドを作成したきっかけについて教えてください。
東日本大震災をきっかけに作成し、2016年に完成しました。当時、日本の災害の中で特に知られていたのは、1995年に起きた阪神淡路大震災です。1980年代後半から1990年代初頭にはすでにLGBTQ+コミュニティーによる活動が行われており、災害時における性的マイノリティーの課題が可視化されることは不思議なことではありません。
しかし、東日本大震災が発生した2011年は、被災者の中に性的マイノリティーがいることは認識されていたものの、当事者が抱く課題やニーズの実態は明らかになりませんでした。そこで、岩手レインボー・ネットワークはこの課題に対応するため、ガイドを作成したんです。
画像提供:にじいろ防災ガイド
ー東日本大震災が発生した2011年は、今と比べてLGBTQ+コミュニティーへの認知はされていなかった印象でしょうか?
LGBTQ+や人権課題について社会的に広く認知されるようになったのは、2015年前後という印象があります。日本で初めて、世田谷区と渋谷区でパートナーシップ制度が導入された時期です。
ただ、コミュニティーの歴史で言うと、例えば1990年代の「府中青年の家事件*2」で第一審、第二審ともにアカー(働くゲイとレズビアンの会)が勝訴、2003年には性同一性障害特例法が成立するなど、もっと古くから活動はありました。なので、社会の理解や認識が追いついていなかったのだと思います。それに加えて、災害自体が非日常的な出来事であるため、2011年以前は災害時の備えやニーズに関する意識がそれほど高まっていなかったと考えられます。
ーどのような人たちがにじいろ防災ガイドを使っていますか?
災害支援に出向くNPO、NGO職員、災害ボランティアを総括する地域組織の方、男女共同参画やジェンダー平等の活動をしているグループ、医療関係者、自治体の職員、性的マイノリティーなど、さまざまです。
今回の能登半島地震が発生してからも、さまざまな地域の方からお問い合わせをいただいています。多くの人にどこで災害が起きるか分からないという危機意識が芽生え、地域と連携し、災害に備える動きが見られるようになりました。
*2 1990年、東京都教育委員会が所轄する「府中青年の家」に市民団体「NPO法人アカー(働くゲイとレズビアンの会)」が宿泊が合宿を実施したところ、同日に宿泊していた他団体にいやがらせを受けた。善処を求めたアカーに対して、施設側は府中青年の家における今後の利用を拒絶した事件を指す。1991年、アカーは東京都を提訴。第一審、第二審ともに勝訴し、LGBTQ+の人権を巡る日本初の裁判として知られる。