空飛ぶ捜索医療団ARROWS
画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS能登半島最北端の珠洲市で捜索救助を活動行う黄春源(右)

台湾出身のレスキュー隊員が能登半島で見つけた希望の光

能登半島地震シリーズ「小さな声を聞く」2:空飛ぶ捜索医療団ARROWS・黄春源インタビュー

編集:
Genya Aoki
寄稿:
Miho Shinkai
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タイムアウト東京 > Things To Do > 台湾出身のレスキュー隊員が能登半島で見つけた希望の光

2024年1月1日、能登半島で最大震度7を観測する地震が起きた。度重なる激しい揺れで土砂崩れや道路の損壊が各地で相次ぎ、多くの命が失われた。石川県によれば、1月30日までに県内で238人の死亡が確認され、今も行方不明者の捜索が続けられている。

「一人でも多くの命を救いたい」。行方不明者の捜索には、警察や消防、自衛隊など訓練を受けた救助隊が尽力しているが、中には民間のレスキュー隊員の姿もあった。2日、生存者の発見・救出に成功した「空飛ぶ捜索医療団ARROWS」の捜索救助チームリーダー、黄春源(Civic Force所属)が、救出の現場を振り返るとともに被災地や日本への思いを語った。

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72時間の壁が迫る中で聞こえたかすかな声
要請を受けて行方不明者を捜索/画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS

72時間の壁が迫る中で聞こえたかすかな声

ー発災後、どのように被災地へ入ったのですか?

黄:地震が起きた1月1日は、新潟の湯沢温泉にいました。普段は沖縄県に住んでいますが、妻の誕生日を祝おうと子どもを連れて旅行していたんです。

夕方に地震が発生した時、大きな揺れを感じ、すぐに出動しなければと機材などの準備を始めました。スーツケースの半分には、いつも出動の装備を入れています。これまでの経験から、発災後1、2時間は被災地からの情報は取れないと想像できました。

私が参画する緊急医療支援プロジェクトである「空飛ぶ捜索医療団ARROWS」(運営:ピースウィンズ・ジャパン)の第1陣が、本部のある広島県から被災地へ向かい、私もその日のうちに陸路で出発して能登を目指しました。

途中、白馬にいたARROWSのロスター(登録隊員)看護師と合流し、交代で運転しました。何もなければ5、6時間で行ける道が、あちこちで隆起していて前に進めず、何度も迂回(うかい)を繰り返しながら10時間かけてようやく被災地へ到着。2日の朝10時でした。

ー行方不明者の捜索はどのように始まったのでしょうか?

発災から2日目は、まだ「ASR2」の段階でした。ASR2とは、国際捜索・救助諮問グループ(INSARAG)のガイドラインで規定された5レベルのASR(Assessment, Search and Rescue) 活動のうち、2段階目に該当し、要救助者がいる可能性のある現場を特定する活動です。

最初は輪島市にある能登空港付近でASR2を行いましたが、14時ごろ、隣の珠洲市で捜索支援の依頼が入りました。珠洲市で活動していたARROWS捜索救助チームの救助犬とハンドラーら2人が現場へ行き、私も合流して捜索活動を開始しました。

16時半ごろ、「妻がつぶれた家の下敷きになっている」と男性から救助要請があり、広域消防の皆さんとともに現場へ。「昨日の夜までは声が聞こえたけれど、だんだん返事がなくなって……」。そう聞いてすぐに捜索しましたが、体の一部が見つかった時にはすでに亡くなっていました。

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発見した女性の容体を確認(1月2日撮影)/画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS

ー発災後、たくさんの救助要請に応えきれない現場もあったと聞きます。その後、女性を救助した時の状況について教えてください。


遺体を搬送するため車へ担架を取りに行く途中、声が聞こえました。「うー」というとても小さな声でしたが、「72時間の壁」が迫る中、いつも以上に耳が立っていたのだと思います。

もう一度耳をすませると確かに聞こえたので、音がした方へ向かいました。木造2階建ての家の1階部分が完全に倒壊していましたが、中に入って何度も声をかけると数分後に「あー」と返事があり、階段の下に挟まれている人が…。倒れて折り重なった柱や家具の隙間に挟まれて、動けなくなっていたのです。

女性の意識は鮮明で、「ABCDE」は全て問題はありませんでした。ABCDEとは、Aは気道、Bは呼吸、Cは末梢(まっしょう)循環、Dは意識やまひ、Eは体温を指しますが、発見した女性の脈に触れながら「大丈夫ですか?」と声をかけると返答があり、「足が挟まれて痛い」と訴えていました。

発災から36時間ほどがたったころでした。幸運だったのは、布団2枚が女性の背中を巻き込んでいたことで、寒さの中でも一晩なんとか耐えられたのだと思います。

笑顔で「さそり座の女」を歌ってくれた
女性を救出するARROWSレスキューチーム(1月2日撮影)/画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS

笑顔で「さそり座の女」を歌ってくれた

ー発見後、どのように救助したのでしょうか?

重くのしかかった家具などを一人で取り除くことは難しいと判断し、周囲にいたARROWSの仲間や広域消防チームの皆さんを呼びました。柱や家具などのさらなる倒壊に注意しながら、複数名で女性を救出し、2階の窓から担架で外へ出したのです。

容体は安定していましたが、病院に搬送すべきか迷い、まずは近隣に設けていたARROWSの拠点へ運んで医師が容体を確認。念のため病院へ搬送しようと決め、病院まで付き添いました。

ー救出した方とその後、何か会話を交わしましたか?

救出したのは、その家に住んでいた71歳の女性でした。星座は「さそり座」だと言っていました。何気ない会話も、被災者の容体を確認する大切なやりとりです。「日本には『さそり座の女』という有名な歌がありますね」などと声をかけると、女性は美川憲一さんの「さそり座の女」を歌ってくれたのです。

発見した時の声はとても小さかったのですが、笑顔で歌を歌えるようになるほど回復して、ほっとしましたよ。

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「現場には希望もあれば絶望もあります」
発見・救助した珠洲市の女性と黄(1月2日撮影)/画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS

「現場には希望もあれば絶望もあります」

その後、私たちは数日間、珠洲市の鵜飼地区で珠洲消防署や消防団と連携して捜索活動を続けた。津波被害も出ていた鵜飼地区では、右にも左にも倒壊家屋が続き、津波で運ばれた土砂とがれきが一面を覆っていて、発見できた方の多くはすでに亡くなっていました。

現場には希望もあれば絶望もあります。生存者を発見できず、とても厳しい現場となりましたが、私たちは「決して諦めない」という気持ちで捜索を続けたのです。

ARROWSのリーダーで医師の稲葉基高は、発見した方の「死亡宣告」を行う役割も担っていました。死亡宣告があるまで患者さんは心肺停止として扱われるため、医師が死亡宣告することで、その後の搬送支援などが円滑に進みます。

ご遺族にはつらい報告になりますが、一つの区切りにもなるプロセスで、稲葉医師はとても丁寧に対応していたと思います。

行方不明者の救助現場に立ち会うARROWSの医師(1月2日撮影)/画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS

ー地震発生から124時間後、倒壊家屋に埋もれた人が救出されました。救出現場の奇跡として全国ニュースでも大きく取り上げられましたね。

1月6日の20時30分ごろ、倒壊した家屋から90代の女性が救出され、救急車で搬送されました。地震発生からおよそ124時間がたった出来事で、この奇跡ともいえる救出において救助医療処置を担ったのが、稲葉医師です。

稲葉医師は「ここまで完璧に処置ができた上で救出できたのは初めて。警察、消防、医療が連携していろいろな奇跡が重なった結果だ」と話していました。

この出来事によって、捜索救助に携わる人たちの多くは「まだ救える命がある」と信じる気持ちを持つことができたと思います。

現場ではまだ経験の浅い救助隊も捜索に携わりますが、私は2日に女性を救出した際、周囲にいた若い消防団の2人に声をかけました。滋賀県から派遣された隊員でした。「命を救えた」と思える現場に一瞬でも携わることができれば、それは一生の記憶に残るはずです。私もそうでした。

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原点は1996年の台湾「921大地震」
黄が初めて救助活動に携わった台湾地震(左から2人目、1996年)/画像提供:黄春源

原点は1996年の台湾「921大地震」

ー黄さんにも、かつて記憶に残る現場があったのでしょうか?

私がレスキューの道を志したのは、18歳の頃。きっかけは、母国の台湾で起きた1996年の「921大地震」です。マグニチュード7.7で、死者・行方不明者約2400人、家屋全・半壊約1万5000戸に上る大変な被害でした。世界中からレスキュー隊が駆けつけ、日本の国際緊急援助隊は最も早く台湾入りしました。

私はその後、台湾桃園市の消防団「鉄漢隊」に所属して訓練を重ね、2000年に起きた台湾大地震では初めて海外のレスキュー隊とともに支援活動を行いました。2011年の東日本大震災では被災した仙台で活動し、以降国内外の災害で行方不明者の捜索や救命救急の活動を続けています。

2015年のネパール地震では国際NGOのピースウィンズ・ジャパンと連携する機会があり、日本の民間レスキューチームの育成や空飛ぶ捜索医療団ARROWSの立ち上げに携わるようになって、今に至ります。

トルコ地震の被災地で行方不明者の捜索救助を行った黄(右から3人目)/画像提供:空飛ぶ捜索医療団ARROWS

ー数々の被災地で活動してきた黄さんにとって、今回の能登地震はどんな印象ですか?

捜索の現場はいつも厳しいものですが、大好きな日本がこれほど甚大な被害に遭い、とても胸を痛めています。被災者の心のケアを含めて、今後の復興は大変だと思います。

被災された方々は今とても苦しい状況だと思いますが、皆さんとても礼儀正しく、周囲を気遣っている様子が印象的でした。日本の国民性か、被災していても「人に迷惑をかけたくない」という文化があるのだと思いますが、もっと周囲に助けを求めてもいいと私は思います。

ー捜索現場における民間レスキューチームの役割とは?

災害時の救助活動は自衛隊や消防、警察など国や行政が担うものでは?と考える人もいると思いますが、大規模な災害が起きた時は既存の仕組みだけでは不十分です。一人を救出するのには多くの人手が必要で、手はいくらあっても足りません。

また、私たち民間のNGOは災害救助活動に取り組む際、「迅速性」「柔軟性」「協調性」を何より優先します。時間を急ぐ事案に対処したり、支援が届きにくい地域・施設の救助に対応したり、細かい規程や指針に捉われず、ほかの多くの組織と協調・連携しながら柔軟に行動できます。

具体的な例を挙げれば、国の指針でドクターヘリは患者さんしか運べませんが、ARROWSのヘリコプターなら水などの物資も運べます。私たちが間に入ることで、自衛隊、DMAT、行政職員、地域の医師会、赤十字など、官民連携を含めた協働が可能になります。

今回の災害でも、いち早く被災地に入った私たちが避難所の情報を把握し、後から被災地入りした支援関係者に情報提供しながら、より多くの避難所の環境整備に貢献した場面もありました。

世界は一つです。国や組織、あらゆる立場の垣根を超えて、支援のプロフェッショナルが一丸となって救助・救命に当たることが、災害時に命を救うことにつながるのです。

緊急医療支援プロジェクト「空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”」

大規模災害の被災地にいち早く駆けつけ、救助・救命活動を行う、医療を軸とした災害緊急支援プロジェクト。航空機やヘリコプター、船などの輸送手段を生かし、医師や看護師、レスキュー隊員、災害救助犬などの救助チームが被災地へ赴き、自治体、病院、NPO、企業、自衛隊・消防などと連携を図る。

東日本大震災以降、ほぼ全ての国内大災害に出動し、発災直後の救助・救命活動から物資配布や避難所運営、中・長期的な復興のサポートまで、必要な支援を最適な形で届けることを目指している。

運営は、特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン、連携団体としてCivic Forceなどがある。

能登半島を支援するなら……

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2024年1月1日、石川県能登半島で最大震度7を観測した地震が発生した。被災状況の全容はいまだ不明瞭だが、一つだけはっきりしていることがある。それは、現地では多くの人が今まさに危険と不安にさらされており、援助を必要としているということだ。多くの人が今自分にできることを探しているかもしれないが、簡単にできることはいくつかある。ここでは、寄付で今すぐ支援する方法を紹介する。どこに寄付すればいいのか悩んでいる人は参考になるだろう。

※詳細は各リンク先の公式ウェブサイトに掲載されている。アクションを起こす前に一読してほしい。

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2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」を受け、被災者の生活再建に向けた政府の緊急支援策の案が判明した。被災者の生活再建を支援するため「生活・生業支援パッケージ」として1,000億円を超える規模の予備費を充てる予定で、今週中にも閣議決定する方針だ。

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神田にある創業130年の老舗洋菓子店「近江屋洋菓子店」が、「令和6年能登半島地震」で被害に遭った被災地を支援するため、原料から一次加工、印刷・郵送など全ての過程を石川県内で行うチャリティーエコバッグを作成した。全収益は、地震の義援金として送付される予定だ。

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「和光本店」の6階にあるアートギャラリー「セイコーハウス銀座ホール」で、薪窯(まきがま)焼成にこだわる4人の作家による陶芸展「薪で焼いた 白と黒のシャープネス」が開催される。独自の白の表現を追い求める谷穹(たに・きゅう)と田淵太郎(たぶち・たろう)、黒陶の世界に魅了された篠原敬(しのはら・たかし)と髙山大(たかやま・だい)が出展する。

中でも注目したいのは、2024年1月1日に起きた「令和6年能登半島地震」の発災以降、今なお多くの人が困難な生活を余儀なくされている石川県珠洲市を活動の拠点にする篠原だ。同地で生まれ、「珠洲古陶」に魅せられ作陶を志したという篠原は、2022年6月に珠洲市で最大震度6弱を記録した地震でも深刻な被害を経験している。

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「令和6年能登半島地震」に伴い、「移動スーパーとくし丸(以下、とくし丸)」が、石川県珠洲市や経済産業省と連携し、2024年1月7日から被災地で救援物資の無償配布を行っている。 野菜などが描かれた軽トラックの荷台の扉を開けると、食品や日用品がずらりと陳列されている。冷蔵庫も完備され、牛乳や豆腐のほか、寿司などの総菜も揃っていた。

とくし丸は、買い物をするのが困難な高齢者に向けて、軽トラックに約400品目を乗せて販売する移動型スーパーマーケット事業である。北海道から沖縄まで日本全国141社のスーパーと提携し、1164台が稼働している(2023年12月時点)。

普段は移動スーパーだが、今回の災害のような非日常では物資運搬車となり「フェーズフリー」に活躍する面も見せた。地域に慣れ親しんだ販売パートナーが、そのエリアの人たちのことをよく知っているから、信頼度も高く、安否確認もしやすいだろう。

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