72時間の壁が迫る中で聞こえたかすかな声
ー発災後、どのように被災地へ入ったのですか?
黄:地震が起きた1月1日は、新潟の湯沢温泉にいました。普段は沖縄県に住んでいますが、妻の誕生日を祝おうと子どもを連れて旅行していたんです。
夕方に地震が発生した時、大きな揺れを感じ、すぐに出動しなければと機材などの準備を始めました。スーツケースの半分には、いつも出動の装備を入れています。これまでの経験から、発災後1、2時間は被災地からの情報は取れないと想像できました。
私が参画する緊急医療支援プロジェクトである「空飛ぶ捜索医療団ARROWS」(運営:ピースウィンズ・ジャパン)の第1陣が、本部のある広島県から被災地へ向かい、私もその日のうちに陸路で出発して能登を目指しました。
途中、白馬にいたARROWSのロスター(登録隊員)看護師と合流し、交代で運転しました。何もなければ5、6時間で行ける道が、あちこちで隆起していて前に進めず、何度も迂回(うかい)を繰り返しながら10時間かけてようやく被災地へ到着。2日の朝10時でした。