Manabu Chiba
photo: Kisa Toyoshima
photo: Kisa Toyoshima

建築家に聞く震災の教訓、新たなコミュニティーを築く重要性

釜石市の人と人がつながる公営復興住宅を設計した千葉学へインタビュー

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インタビュアー:マーカス・ウェブ
翻訳:青木 弦矢

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2021年2月24日付けで掲載された『A design for life』を翻訳、加筆修正を行い、転載。

2011年に東日本大震災が発生した時、日本建築学会賞など数々の受賞歴を持つ建築家、千葉学は被災者支援を決意した。

千葉は、建築家の連帯である『アーキエイド』という復興支援ネットワークの実行委員として活動。震災の影響を受けた地域の再建に向けて時間を費やし、多くの実践的な専門知識を活用した。また、千葉の復興支援の取り組みの一つに、釜石市の復興公営住宅の設計がある。この住宅は、建物相互の関係性をデザインすることで、被災地における多様で複雑なコミュニティーに応えた建物として2018年度グッドデザイン賞グッドフォーカス賞(復興デザイン)を受賞している。

こうした事例の中から住宅のあり方を再考し、人々をつなぐことの重要性、そして自身が主催する『ポタリング牡鹿』というサイクリングツアーがコミュニティーにどのように役立っているのか、千葉に話を聞いた。

―東日本大震災で心に残っていることはなんですか。

震災の日、私は東京の大学で勤務中でした。都内は車であふれ、皆が右往左往していたのを覚えています。帰宅まで8時間もかかりましたが、何がどうなっているかがわからない恐怖に慄(おのの)いていました。徐々に東北で何が起こっているのか分かり、その深刻な状況を理解し始めました。そして、被災した人々を助けるために何かをしなければと決意したのです。

―どのように支援を開始しましたか。

地震の数日後、建築家の友人から電話がありました。彼は、被災したエリアを拠点に活動していた一人です。私たちは建築家として、どのようにこの地域を支援できるのか、単に新しい家や避難所を建てることに限らない支援の可能性について話し合いました。私はほかの知り合いの建築家にも連絡を取り、情報やアイデアを共有するための小さなプラットフォームを作ろうということになりました。これがアーキエイドの始まりです。賛同者は次々と増え、すぐに約300人ほどの建築家ネットワークになりました。

支援においてネットワークを大切にする

―アーキエイドの目標はなんですか。

私たちの目的の一つは、支援においてネットワークを大切にすることです。復興についての議論で地元の人々との対話を大切にするだけでなく、建築家相互の緊密な連携を重視したかったのです。1995年の阪神・淡路大震災の時も建築家たちは支援を試みましたが、比較的単独の行動が多かったと思います。もちろん個々のアイデアも大切ですが、過酷な状況下ではむしろ集合知こそ必要ではないか、そうした教訓を糧に、今回はコミュニティーに寄り添い、建築家同士で協力して活動できるようにしました。

ー被災地には直接訪れましたか。

はい。実は震災直前に足を骨折していたので、容易に動き回れなかったのですが、とにかく現地に行って、何が起こっているのかをこの目で見るべきだと思いました。石巻から牡鹿半島まで行ったのですが、街は壊滅的でした。インフラにも甚大な被害が出ていましたから、道路を車で走ることも困難だった。しかしその傷ましい光景の陰に隠れた地域の人の営みや自然の美しさは、容易に想像することができました。その美しさをまた見たいという想いが、私を復興支援へと大きく突き動かしたのです。

―大きな被害を受けた地区で、どのように再建プロセスを実施しましたか。

復興過程にはいくつかのフェーズがあります。家を失った人々は、避難所生活の後に仮設住宅に移ります。それは通常大手プレハブ会社に依頼されるので、建築家はなかなか関与できません。しかしそうした仮設住宅は応急的なものですから、コミュニティーや空間の質などが考慮されていない。それでも仮設住宅暮らしは長い年月に渡ることもしばしばなので、少しでもお互いに見守りながら快適に過ごせるよう、人が集まりやすい配置や軒下空間などの提案を行うメンバーもいました。

建築家に対する先入観を変えたかった

―復興の次のステップはどういうものでしたか。

一時的な仮設住宅の段階が終われば、次はより長期的な公営住宅のフェーズです。私は母の故郷である釜石市のプロジェクトに挑みました。 ちょうど建設価格の高騰、職人不足などの理由で計画がなかなか実現しない時期で、建築家が関わると、華美な建物を設計し、お金も時間もかかるという不信感が住民の中に募り始めてもいました。その状況を変えたかったこともあり、ダイワハウス工業と組んで、予算内でスケジュール通りに新しい住宅を造ることにしました。自由に素材を選ぶこともできず、美しいディテールや大胆な構造設計することもできなかったため、建築家の中には私がこの仕事に携わることに対して、後ろ向きに捉える人もいました。それでも私は、たとえ制約があっても、建築家が手助けできる何かがあるに違いないと感じていたのです。

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復興住宅で新しいコミュニティーを構築しよう

―プロセスはどのようなものでしたか。

実際、設計プロセスは簡単ではありませんでした。構造形式はすでに決まっていましたし、材料も、基本的には既成の工業製品を使うことが条件でした。しかし、こういった難題があったからこそ、何を大切にするべきかが鮮明になりました。それは、建物同士の「距離」と相互の「関係性」ということです。復興住宅でのコミュニティーは、デリケートです。これまでの親密なコミュニティーで暮らしてきた人たちやさまざまな地域から移り住む人たち、プライバシーを重視する人たちもいる。その色々な思いがごく自然に溶け合うために、人の居場所が相互に多様な「距離」を持つようデザインしたのです。

これは阪神・淡路大震災から得た教訓も生かされています。1995年の震災後に建てられた復興住宅の多くは、互いの関係性が希薄でした。そのため、震災後の辛い時期の孤独感から自殺率が高くなったという、痛ましい事態も招きました。その一因は、人と人とがつながりを築きにくい空間にあったのだと私は思います。結果的に住宅団地で新たなコミュニティー形成もできなかった。だからこそ釜石の復興住宅では、自分の空間、ほかの人とつながることができる空間の両立を目指したのです。

―反応はどうでしたか。

皆さんこの場所を気に入ってくれていると思います。思いの外好評だったのは「色」でした。釜石市を象徴する花にハマユリがあります。ハマユリは海辺の岸壁に力強く咲く美しい花で、この花の色から復興住宅用のカラーチャートを作りました。ちょうど街にはまゆりの花が咲くように、この復興の記憶が街に刻まれる。それは、市の未来にとってすてきなことだと思ったのです。

自然との共生がいかにデリケートか教えてくれた

ー今でもその地域を訪れていますか。

はい、『ポタリング牡鹿』という地域のサイクリングツアーを毎年主催しています。牡鹿半島に人々を誘い、地元の人たちを応援し、地域の小さな経済を支援するイベントで、2014年から続けているものです。現地の美しい風景を楽しみ、地元の宿に宿泊して地場の食材を堪能する。自転車を通じて地域の自然を体感する素晴らしいイベントです。地域の生活を知ると同時に、今後長く続く復興プロセスを継続的に見届けることも、必要な活動の一つだと思います。

建築家の中には、美しい建物を建てることが支援を提供する最善の方法だと考える人たちもいますが、この地域が真に復興していくには、膨大な時間がかかります。特に漁業は大きな打撃を受け、人々は海岸から高台移転を余儀なくされ、生活が一変することになりました。それは単に住む場所が変わるという以上に、生活の在り方の見直しを迫るものです。今後の生業や住まい、新しい人の流れなど、時間をかけて見極めていく必要があります。

今回の震災は、自然との共生がいかにデリケートであるかを私たちに教えてくれました。自然を支配するのではなく、自然とともにどう暮らし、またそのために街や建築はどうあるべきかを考えていく契機にしなくてはなりません。このツアーは、その思いに立ち返りながらも復興のプロセスを前向きに受け止め、継続を促すのに役立つと信じています。

Marcus Webb(マーカス・ウェブ)

タイムアウト東京を運営するORIGINAL Inc.のエディトリアルディレクター。また、スロージャーナリズム誌『Delayed Gratification』のエディターも務めている。

  • Things to do

日本経済新聞社が発行する『Nikkei Asia』と、タイムアウト東京がコラボレーションした『UNLOCK THE REAL JAPAN』のウェブサイトが2021年2月24日(水)に更新した。これは、3月29日(月)発行予定の第3号に先がけて、6本の記事を公開したもの。

『UNLOCK THE REAL JAPAN』は、アジアで活躍するビジネスリーダーに向けて、旬のテーマと人にフォーカスした情報を発信する英語版のマガジンだ。先行公開する記事では、東日本大震災から10年目を迎えた今の姿と、復興の軌跡を地域の事例など3本の記事で紹介。ほかの3本は、温室効果ガス削減に向けて加速している日本のグリーン化を、インフォグラフィクスや、先進的な企業の試みなどからひもとく内容となっている。

  • アート

東日本大震災から10年がたとうとしている。 2011年3月11日、三陸沖を震源とした大地震と大津波が東日本を襲った。事故での犠牲者は2万人以上に上り、放射能汚染は人々の暮らしと故郷を根こそぎ奪っていってしまった。

ここでは、毎月福島に足を運び、災害の状況や被災地で暮らす人々の姿を撮影する石井麻木の写真展や、10年間で地震調査研究が明らかにしたこと、社会に与えた影響を科学的に調査した企画展など、3月から4月にかけてさまざまな場所で行われる展示を紹介する。

震災による教訓を未来へ伝えようという思いがこもった展覧会ばかりなので、10年というこの節目に振り返ってみてほしい。

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  • Things to do

 2011年の東日本震災から10年を迎える中、東北の被害地域は前進を続けている。困難を克服し、生活を再建する中で、東北の住民が見せた回復力や献身的な姿勢は、多くの人を勇気づけた。東北観光を再開し、魅力あるこの地域を存分に楽しんでもらうことは、再建事業の柱の一つである。ここでは、そんな復興していく土地という新たな魅力を持った東北を体験できるスポットを紹介しよう。

震災後に誕生した新たなミュージアムや1850年創業の酒蔵、地元食材を極上のフレンチに仕立てる1日10組限定のレストランなど、見逃せないヴェニューばかり。

  • 映画

東日本大震災、そして福島第一原発事故から10年がたとうとしている。メディアでは東北の復興が伝えられ、福島県内の居住制限区域の解除やふるさとへ帰還する住民たちの姿を大きく報道してきた。しかし、2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」はいまだに解除されていない。

復興は喜ばしいことだ。しかし避難生活を今も強いられている住民や、支援や保障の打ち切りのためやむを得ず帰還する人、放射能による子どもの健康被害などを懸念し帰還したくてもできない家族たちの存在は無視できない。また、福島第一原発の廃炉処理は難航しており、除染作業による放射性廃棄物や汚染水の処理問題といった課題も改善されないままだ。

一方、この10年間に原発事故によって多くの人が声を上げ行動してきたことも事実。ここでは、原子力発電や原発事故、そして放射能による被ばく問題についてもう一度考えさせてくれるドキュメンタリーを厳選して紹介する。

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  • Things to do

日本経済新聞社が発行する『Nikkei Asia』と、タイムアウト東京がコラボレーションした『UNLOCK THE REAL JAPAN』の第2号が、2020年12月14日にリリースされた。

第2号では、東京都知事の小池百合子をはじめ、東京国際金融機構 副事務局長の吉松和彦や、A.T.カーニー会長のほか政府顧問としても活躍する梅澤高明ら、さまざまな分野で活躍するエキスパートたちにインタビューを実施。東京が「国際金融都市・東京」になる可能性、そして、テクノロジーやアクセシビリティ、教育などの主要分野で、都市がどのように進化するかについての話を聞いた。

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