インタビュー:徳永泰子
Photo: Keisuke Tanigawa
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舞台を支える名裏方、徳永泰子にインタビュー

ステージマネージャーとして活躍、女性スタッフのためのユニットも

テキスト:: Ayako Takahashi
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テキスト:高橋彩子

華やかな舞台を陰で支える舞台スタッフたち。その世界は長らく男性社会といわれ、中でも舞台監督は男性が多い仕事だったが、現在では女性の活躍も増えている。3月8日の「国際女性デー」に際して、舞台監督の下で経験を積み、近年は「ステージマネージャー」の肩書きで新たな仕事の在り方を追求しつつ舞台作りに携わっている徳永泰子に話を聞いた。

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アルバイトから舞台業界へ

舞台業界に携わって30年近くになる徳永。この世界に入ったきっかけは、東京音楽大学教育学科に通う学生だった頃にさかのぼる。

「大学の学生課でアルバイトを探していた時、東京室内歌劇場というオペラ団体のアシスタントの募集を見つけて。ところが行ってしばらくした頃、『演出家の大島尚志さんの助手が足りないからそちらの仕事に回ってくれないか』と言われ、そこから東京室内歌劇場が企画するコンサートや小ぶりなオペラの演出助手をさせていただくことになりました。

卒業後も2年間、大学の研究科に通いながらその仕事を続けていたのですが、大学の創立90周年記念オペラ公演『ラ・ボエーム』に演出家パオロ・トレヴィージさんの助手チームの一人として参加した時、舞台監督をされていた小林清隆さんにお声がけいただき、今度は舞台監督の助手として働き始めて……」

漠然と関わり始めた舞台の世界。徳永がひかれたのは、共同作業の楽しさだった。

「学生の頃、演出助手と舞台監督助手の仕事の中でできることをお手伝いした『鹿島灘野外オペラ』の『魔笛』は、浜辺にテントを建ててステージを作り、砂浜を掘ってオーケストラピットも作ってしまうという大掛かりなプロダクションで。昼間は明るくて照明などを作ることができないので、日中は皆で遊び、夜に仕事をするという日々。合宿みたいな雰囲気で、不純な動機ですが舞台の仕事はこんなに楽しいものかと思いました(笑)」

研究科卒業と同時に、舞台監督の小林が所属するジ・アクト・コネクションに入社。オペラやバレエのほか、演劇の仕事も請け負う会社だったため、ここで初めて演劇の現場も体験する。

「初めて関わった演劇は、劇作家・岩松了さんのお芝居。オペラの場合、歌手の出の時に袖から『どうぞ』と声をかけるのですが、お芝居の現場で同じことをやろうとしたら、舞台監督に『いや、芝居では出演者それぞれが自分のタイミングで出るんだよ』と教えられて。カルチャーショックでしたね」

ジ・アクト・コネクションの一員として活動し、会社が解散した後は、前の会社のメンバーが立ち上げた会社に所属し、さらに舞台監督のための会社の立ち上げに参加。いずれも師である小林と一緒だった。そして2017年に独立して、現在に至る。舞台監督、あるいは舞台監督の下で働く演出部として関わった数々の舞台の中でも、特に忘れ難い作品の一つは、井上ひさしが書き下ろし、蜷川幸雄が演出した「ムサシ」(2009年)だった。

2010ムサシ ロンドン・NYバージョン(撮影:渡部孝弘)

2010ムサシ ロンドン・NYバージョン(撮影:渡部孝弘)

画像提供:徳永泰子

「ムサシ」「ビリー・エリオット」の台本(画像提供:徳永泰子)

「井上先生の本が途中からなかなか上がってこないので稽古ができず、みんなでお宅に押しかけたこともあります。蜷川さん、俳優陣、そして演出部の一部として私も入れていただいて。奥さまが料理研究家でいらっしゃるから、いろいろともてなしていただきました(笑)。お宅の周りにはムサシに出てくるような竹林があって、この景色をご覧になって書かれたのだなあと感慨深いものがありましたね。

ある日、先生から数枚ずつ届く戯曲のト書きに『切られた腕が床に転がってまだ動いている』というような記述が出てきて。私が以前、俳優の竹中直人さんのプロデュース公演『竹中直人の会』に携わった時、特殊メイクや特殊造形を担うメイクアップディメンションズという会社の方に人間の手やミイラをお借りしたのを思い出し、ご相談して『腕』の小道具を作っていただいたのも思い出深いです」

海外に目を向けて研鑽を積む

徳永の仕事を語る上で欠かせないのが、海外のカンパニーとの共同作業の経験だ。

「招聘(しょうへい)ミュージカルなどでは、海外からカンパニーが来日して、そこに現地スタッフとして日本側の人間が各セクションに入るのですが、私は主に小道具を担当しながら海外のやり方を見て、日本と違うことに気が付きました。

日本では舞台監督がいて、その下にいる演出部の人間たちが大道具のことも小道具のこともやり、さらに履物や帽子の手配など、オールマイティーにこなします。しかし海外では、役割分担が完全に細分化され、各セクションが専門分野の仕事をするというスタイルです。

実際、ムサシをニューヨークで上演した時は、竹を乗せたワゴンを運ぶのは大道具さんの仕事だと思っていたら、現地では『木は小道具担当だ』と言われ、十数人の小道具さんに急きょ参加してもらったことがありました。

一方、日本のやり方は、稽古場からチームで見守る良さがあり、チームだからこそ生まれる発想もある。その良さを感じながらも、海外から持ってくるスタイルのレプリカ公演では、海外と同じような分け方をして動く方が効率的なのではないかと感じます」

こうした経験が、徳永の目を海外へと向けさせた。

「海外の演出家やセットデザイナーとやり取りをする際、通訳さんに入っていただくだけではなく、自分自身で理解できるといいなと思ったので、独学で英語を勉強し始めました。30代後半の時、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の芸術監督だったグレゴリー・ドーランさんが演出する『ANJIN イングリッシュサムライ』(2009年)という日英共同制作の舞台に関わったのですが、ドーランさんにRSCで研修できないかと相談したところ、『1演目なら勉強に来てもいいよ』と許可をくださったんです。

それで、日本での仕事を1年間お休みし、最初の半年は語学学校に通いつつRSCのクリスマスシーズンの演目に、ステージマネジメントチームの一員としてインターンで稽古場からプレビューまで参加させていただいて。残りの半年は、ニューヨークで活動しているセットデザインの方で、蜷川さんの海外公演などで通訳もされていた関係で仲良くなった幹子 S.マックアダムスさんの現場を見学したり、舞台を観たりという形で研修をしました」

画像提供:徳永泰子

携わった作品群のバックステージパス(画像提供:徳永泰子)

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「ステージマネージャー」の肩書きで活動

舞台監督に師事し、舞台監督の会社に所属してきた徳永だが、ある時から自身の立ち位置について考えることになったという。

「先ほどもお話しした通り、演出部はいろいろな部署のことをやっていて、その分、演出部の上に立つ舞台監督も、やはり見なくてはいけないところが非常に多くなる。世の舞台監督の先輩方を本当に尊敬しますが、オートメーションなども複雑に入ってくる中、これを舞台監督として自分が続けるのは難しいのではないかという思いが芽生えたんです。

というのも、日本では、舞台監督というポジションになるまで、男性と女性で助手時代の過ごし方が違います。男性は大道具のことをやる機会が多いですし、女性は小道具や衣装などを担当することが多い。けれども、舞台監督に上がった時には全てを見なければならない。

女性でも大道具の技術や知識がある方はいますが、私の場合、舞台用語で『なぐり』と呼ばれる大工道具(くぎを打つトンカチやハンマーなどを指す)もこの世界に入るまで握ったことがなかったので、技術や知識が男性に比べてどうしても少ない。その分、小道具や履物は得意だったかと思います。

画像提供:徳永泰子

徳永の本棚より(画像提供:徳永泰子)

そういうことをいろいろと考え、自分は日本の舞台監督よりもう少し海外に近い、それぞれの専門家に任せた上でそれをとりまとめるステージマネ―ジャーとして仕事をしていけたらと思ったんです」

徳永が考えるステージマネージャーの仕事とは、以下のようなものだ。

「大道具の技術的なことは技術監督に任せ、稽古、舞台稽古、本番など、全体の進行をするのが、ステージマネージャー。例えば日本のオリジナル公演の場合、照明や映像や音響さんは自分たちでキュー(きっかけ)を担い、それ以外の部分、例えば吊物や盆の動きといったキューを舞台監督がやるということが多いのですが、海外ではステージマネージャーが総合的に各部署へのキューコールをします。

今現場に入っている『カム フロム アウェイ』という作品は照明と盆の動きがリンクするシーンが相当数あるため、私が双方のキューを出す予定です。かなり照明キューが多いので、稽古場の通し稽古でぶつぶつとキューコールの練習をしています」

ステージマネージャーの肩書きで受けた仕事の中で、徳永にとって転機となったのが、イギリス発のミュージカル「ビリー・エリオット」(2017年)だ。ビリー役が4キャスト、ほかも多くの役がダブルキャストという大型作品だった。

2020ビリー・エリオット(撮影:田中亜紀)

2020ビリー・エリオット(撮影:田中亜紀)

「大きく言うと、演技とダンスと音楽の3つの軸があるのですが、稽古場が6部屋あり、演出部が各部屋に散らばるので、誰がどこで何をやっているか分からない状態。日本では通常、演出助手が取りまとめをされるのですが、演出助手の方も演技チームに入ってしまうので、3つを取りまとめる人が必要だったんです。

スケジュール管理をはじめ、かなり大変でした。向こうのプロダクションのスタッフに『この演目をやればもうどんな仕事が来ても怖くないよ』と言われましたが、確かに応用でできることが多く、次の作品への力をくれたような気がします」

女性スタッフ同士、連帯できる場を

かつては男性が多かった裏方の世界も、昨今では女性の進出が増えている。とはいえ、昔気質な男性も多いのではないかと推測するが、徳永はどう感じているのだろうか。

「私は恵まれていると言いますか、まずお師匠さんがやりたいことをやってみればいいという考え方でしたし、ほかにも尊敬できる方に巡り合う確率が高く、いい循環でお仕事ができていて、嫌な思いをすることはあまりありませんでした。

確かに、あるところまでは『頑張ってるね』と言ってもらえても、衝突するような場面になると『分かっていないのに』と言われ、私の能力を見ての言葉というより、女性だから言っているのではないかと感じた時もありました。今思えば、その時は何かが足りないから言われたのでしょう。最近ではそれを解決するにはどうしたらいいかという考え方をするようになりました」

とはいえ、今後入ってくる女性の後輩が気持ちよく能力を発揮できるために、変わった方がいいこともある、と徳永は指摘する。

「暗黙の了解で、同じ演出部でもこれは男性の仕事、これは女性の仕事というふうに分かれるんです。そして小道具、衣裳系は確実に女性の仕事。でも、そうすると、女性の仕事量や負担が圧倒的に多くなるんです。

例えば、海外だと帽子や靴の手配は衣裳さんの仕事ですが、日本だとそれが小道具扱い、つまりは演出部の女性の仕事になる。靴の手配や名前付けの作業の時、30人出演者がいて一人4足持っていたら、120足分の作業が女性の仕事になります。稽古中は作業が出来ないため、稽古の前や後に稽古場でしか出来ない作業を行い、帰宅後に調べ物や書類作業などを持ち帰ってやることになってしまう。そしてそのような作業は女性の担当だと無意識に思っている男性スタッフが多いように思えます。

こういう分担には、男性側だけでなく女性側の思い込みもあるように感じるのです。もっと、その人にしかできない仕事は何かをよく考えて、それ以外の作業を分担していった方が効率がいい。精神的・肉体的にダウンして業界から去ってしまう人を何人も見てきているので、そういったところをなくしていけるようにしなければと考えています」

2017年に立ち上げた自身の会社は、日本では定着していないステージマネジメントという仕事を発展させる場であるほか、今後、演出部で働く女性たちに貢献する場にもなりそうだ。

「立ち上げた後、私自身がバタバタしてしまい、今は私一人なのですが、ゆくゆくは社員を増やしていけたら、と。

また、同世代の女性の舞台監督である佐藤昭子さんと一緒に、女性のスタッフの助けになるようにと、SPS4wというユニットを立ち上げたんです。『Stage Progress Staff For Women』の略なのですが、ホームページを立ち上げて、小道具の便利なものを買える場所や、小道具の付帳の作り方などのミニ情報を載せています。

考えてみれば、私に機会を与えてくださったプロデューサーの多くも女性でした。私自身、自分の現場以外ではなかなか人と知り合う機会がないのですが、せっかくこの世界に入った女性スタッフたちが、悩みや迷いを誰にも相談できず辞めてしまうことがないよう、所属組織とは関係なくつながれる場所を作っていきたいですね」

Contributor

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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