アルバイトから舞台業界へ
舞台業界に携わって30年近くになる徳永。この世界に入ったきっかけは、東京音楽大学教育学科に通う学生だった頃にさかのぼる。
「大学の学生課でアルバイトを探していた時、東京室内歌劇場というオペラ団体のアシスタントの募集を見つけて。ところが行ってしばらくした頃、『演出家の大島尚志さんの助手が足りないからそちらの仕事に回ってくれないか』と言われ、そこから東京室内歌劇場が企画するコンサートや小ぶりなオペラの演出助手をさせていただくことになりました。
卒業後も2年間、大学の研究科に通いながらその仕事を続けていたのですが、大学の創立90周年記念オペラ公演『ラ・ボエーム』に演出家パオロ・トレヴィージさんの助手チームの一人として参加した時、舞台監督をされていた小林清隆さんにお声がけいただき、今度は舞台監督の助手として働き始めて……」
漠然と関わり始めた舞台の世界。徳永がひかれたのは、共同作業の楽しさだった。
「学生の頃、演出助手と舞台監督助手の仕事の中でできることをお手伝いした『鹿島灘野外オペラ』の『魔笛』は、浜辺にテントを建ててステージを作り、砂浜を掘ってオーケストラピットも作ってしまうという大掛かりなプロダクションで。昼間は明るくて照明などを作ることができないので、日中は皆で遊び、夜に仕事をするという日々。合宿みたいな雰囲気で、不純な動機ですが舞台の仕事はこんなに楽しいものかと思いました(笑)」
研究科卒業と同時に、舞台監督の小林が所属するジ・アクト・コネクションに入社。オペラやバレエのほか、演劇の仕事も請け負う会社だったため、ここで初めて演劇の現場も体験する。
「初めて関わった演劇は、劇作家・岩松了さんのお芝居。オペラの場合、歌手の出の時に袖から『どうぞ』と声をかけるのですが、お芝居の現場で同じことをやろうとしたら、舞台監督に『いや、芝居では出演者それぞれが自分のタイミングで出るんだよ』と教えられて。カルチャーショックでしたね」
ジ・アクト・コネクションの一員として活動し、会社が解散した後は、前の会社のメンバーが立ち上げた会社に所属し、さらに舞台監督のための会社の立ち上げに参加。いずれも師である小林と一緒だった。そして2017年に独立して、現在に至る。舞台監督、あるいは舞台監督の下で働く演出部として関わった数々の舞台の中でも、特に忘れ難い作品の一つは、井上ひさしが書き下ろし、蜷川幸雄が演出した「ムサシ」(2009年)だった。
2010ムサシ ロンドン・NYバージョン(撮影:渡部孝弘)
「ムサシ」「ビリー・エリオット」の台本(画像提供:徳永泰子)
「井上先生の本が途中からなかなか上がってこないので稽古ができず、みんなでお宅に押しかけたこともあります。蜷川さん、俳優陣、そして演出部の一部として私も入れていただいて。奥さまが料理研究家でいらっしゃるから、いろいろともてなしていただきました(笑)。お宅の周りにはムサシに出てくるような竹林があって、この景色をご覧になって書かれたのだなあと感慨深いものがありましたね。
ある日、先生から数枚ずつ届く戯曲のト書きに『切られた腕が床に転がってまだ動いている』というような記述が出てきて。私が以前、俳優の竹中直人さんのプロデュース公演『竹中直人の会』に携わった時、特殊メイクや特殊造形を担うメイクアップディメンションズという会社の方に人間の手やミイラをお借りしたのを思い出し、ご相談して『腕』の小道具を作っていただいたのも思い出深いです」