ドラマティックなオペラ界入り、浪曲界入り
―お二人に
鳥木:私が武蔵野音楽大学の学生だった頃、大学のある江古田の街を歩いていたら、大学に招聘(しょうへい)されて教えに来ていたエレナ・オブラスツォワというロシア人の師匠に突然声をかけられ、「あなたは私の弟子になる」と言われたんです。私が音大生であることは分かったと思いますが、私の声種も知らず、歩いている姿を見ただけで声をかけてきたのです。偶然にも彼女と同じメゾソプラノだったので、たくさんのレパートリーを教えていただくことができました。
奈々福:すごい! 一体どうしてだったんでしょう。
鳥木:彼女は日本語が全く分からないのですが、家で一緒にサスペンスドラマなどを観ていると、今はこういう状況だとか犯人は誰だとか、全て言い当てるんですよ。だから、師匠の能力ゆえなのではないかと私はにらんでいます。
奈々福:鳥木さん以外の方にも声をかけて?
鳥木:手当たり次第声をかける詐欺師のように思われそうですが(笑)、3、4人には声をかけたみたいです。それでロシアに連れて行かれまして。1998年で、既にソ連ではなかったけれど、まだその空気が残っている時代でしたね。
奈々福:よくついて行かれましたね。
鳥木:世界的な歌手に「お前は世界に行く」と言われたら、行きますよね? とはいえ、オペラ歌手になるつもりだったわけではないんです。歌が得意だったので、それで大学に入れるなんて夢のように思って入っただけで(笑)。
奈々福:お得意というのは、おいくつぐらいから?
鳥木:私の故郷は石川県七尾市ですが、小さい頃、親に連れられて、カラオケスナックで歌っていました。最初に歌ったのが「帰ってこいよ」だったんですけど。村祭りで米を稼ぐみたいな感じでしょうか(笑)。
そういえば中学生くらいの時、金沢のカラオケスナックでスカウトされたことがあります。「俺は東京でプロデューサーをやっている」「お前はちょっと痩せたらデビューできる」って(笑)。高校も県内に歌で入れるところができたので、「勉強しなくていいから」と、安易に入学して。ですからまさかオペラ歌手として海外に行くとは夢にも思っていませんでした。
奈々福:呼ばれちゃった人っていますよね。そうなんじゃないかな?
―奈々福さんの浪曲界入りのエピソードも衝撃的です。
鳥木:ぜひ、うかがいたいです!
奈々福:私は浪曲なんて全く知らなかったんですよ。歌がうまいといった自覚もありませんでしたし。出版社で編集の仕事をしていたのですが、「仕事とは別に一生続けられる習い事をしたい」「和モノがいいな」と思い立ち、カルチャースクールで「3日間で『藤娘』が踊れる」という講座を受講するなどしていたんです。
そうこうするうち、当時勤めていた蔵前の会社から近い浅草で、日本浪曲協会というところが三味線教室を開くと耳にして。しかも三味線も貸与してくれると言うんです。弾いたことがないのにいきなり買うのはハードルが高いけれど、貸してくれてお月謝だったらいいかもしれないと思って行ってみたところ、お師匠さんたちが弾いてくれる音が素晴らしくて、バチ先からダイヤモンドの粒がパラパラとこぼれ落ちるかのようで。自分が弾けるようになるとは思わなかったけれど、その音が聴ける限りは通おうと考えたんです。
ところが、その教室には恐ろしいミッションが隠されていまして(笑)。浪曲は一人ではできなくて、言葉で語る浪曲師と三味線を弾く曲師がいなければならないわけです。で、昔は例えば浪曲師になりたくて入ったけど声がダメだから曲師になったり、浪曲師と結婚したら「お前、三味線覚えろ」と言われたりと、いろいろな筋から三味線を弾く人材を引っ張ってくることができたけれど、今は浪曲が下火になってそうもいかないから、優しい顔をして教室を開いて、うっかり来ちゃったのを引っ張り込もうという狙いがあったんですよ(笑)。
鳥木:恐ろしい!(笑)
奈々福:で、1年たたないうちに発表会があり、その舞台の上でいきなり先生に「プロになりますか」と言われて、お客さんがいるから断りにくいので「はい」と言ったら「家に遊びにおいで」と言われ、遊びに行ったら弟子入りの話になっていて。「私は正社員として出版社で働いているからできません」と答えたら「土日は空いているだろ」と。
鳥木:パートタイムのような形態もアリなのですか?
奈々福:プロになってもいきなり食べられるわけではないし、姿を見せて演じる浪曲師は無理だけれども、屏風(びょうぶ)の陰で弾く曲師ならできると、比較的強引な感じで。翌月には初舞台が用意され、ちょっと弾いたら3,000円が入った封筒をもらって「金をもらったからプロだ」と言われました(笑)。
―曲師としてのスタートでしたが、師匠は初めから浪曲師の玉川福太郎師匠でしたね。
奈々福:そうです。浪曲の稽古は三味線だけではできないんです。大事なのは浪曲師と呼吸を合わせること。福太郎師匠はおかみさんが曲師でいらしたので、「うちに来れば俺がうなってやる」と。
鳥木:奈々福さんはそれまで何か楽器はやっていらしたんですか?
奈々福:高校生くらいまではピアノをやっていました。でも、浪曲ってステージプロはいるけれどレッスンプロが一切いない世界なんです。だから教室を開いたものの、教えるメソッドも何もないから、言っていることが何も分からない(笑)。お手本として弾いてくれて、それをまるっと覚えて次のレッスンで弾くと「違う」と言われ、「こうよ」と弾いてくれたものが先週とは全然違ったりするんです。生徒と先生の間には深くて暗い川が流れていましたね(笑)。
ほかのジャンルの三味線は、西洋楽器の譜面とは違うものの「譜」というそれに近いものがあるけれど浪曲にはそれがないので、逆に「糸道」が付いていた、例えば民謡や長唄の経験がある人から順に脱落していきました。私は何も知らなくて、ただ先生の音色にうっとりしながら通っていて、半年ぐらいいろいろな手を教えてもらううち、先生たちが言っている意味が分かってきて。
鳥木:教える言葉がよく分からない人はオペラ歌手にもいますね(笑)。普通に和やかな曲なのに注意が「違う。もっとチャオマリオ!って感じで歌って」というような。
―実はクラシックの中でオペラ歌手
鳥木:そんな気がします。私はロシアで学んだ後、イタリアでの活動が長かったのですが、日本と違ってイタリアではオペラ歌手は音楽家とは呼ばれないんです。ピアノやバイオリンを弾く人は「musicista」=「音楽家」と言われるけれど、オペラ歌手は「cantante」=「歌うたい」。実際、音符が読めない人もいましたし、楽器もやっていたと言うと「ああ、君は歌い手であり音楽家でもあるんだね」と言われる。今は変わってきていますけど。
奈々福:確かに、演奏するだけではなく物語る人でもあるという意味で、オペラ歌手は浪曲師と似ているかもしれません。昔、ギリシャ悲劇を9時間のお芝居としてまとめた『グリークス