藤間勘十郎(舞踊家)×反田恭平(ピアニスト)
Photo: Keisuke Tanigawa
Photo: Keisuke Tanigawa

STAGE CROSS TALK 第1回(前編)

藤間勘十郎(舞踊家)×反田恭平(ピアニスト)

Hisato Hayashi
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タイムアウト東京 > カルチャー > STAGE CROSS TALK 第1回(前編)

テキスト:高橋彩子

舞踊・演劇ライター高橋彩子が、何かしらの共通点を持つ異ジャンルの表現者を引き合わせる「STAGE CROSS TALK」シリーズがスタート。記念すべき第1弾に登場するのは、日本舞踊の流派「宗家藤間流」の宗家、藤間勘十郎と、ピアニストの反田恭平だ。ライブ芸術にも大きな影を落とすコロナ禍にあって、いち早く動いた点でも相通ずる二人の、それぞれの思いとは? 初回拡大版として前後編でお届けする。

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伝統的、閉鎖的な世界の中で

―お二人は演者であり、若きリーダーでもいらっしゃいますね。藤間勘十郎さんは宗家藤間流の宗家として流派を束ね、歌舞伎舞踊の演目を歌舞伎俳優に継承し歌舞伎の振り付け、演出もこなしておられますし、反田さんはピアニストとしての演奏活動のほか、NEXUSの代表として新レーベルのNOVA Recordを立ち上げるなどさまざまな事業に乗り出し、ャパン・ナショナル・オーケストラも組織していらっしゃいます。

歴史ある日本舞踊界、クラシック音楽界に安住せず、危機感や使命感を抱いて活動されている印象ですが、いかがですか?

反田:危機感はやはりありますね。日本の人口約1億2千万人のうち、クラシックのコンサートに1年間に足を運ぶのは3%に満たない400万人程度。

さらに、これは日本舞踊にも共通することだと思うのですが、この世界に入ってくる子どもの減少があります。楽器を弾く子は日本舞踊を踊る子よりは数が多いかもしれませんが、なりたい職業にユーチューバーなどが入る中、ランキングの5位くらいにはクラシックの演奏家が入ってきてもらいたいという目標があります。せめて、タクシーに乗っても普通に話題に出るくらいにはなってほしいですよね。

勘十郎:日本は習い事文化で、逆にプロを出すのがすごく難しいんですよね。昭和30〜40年代、僕らの世界では誰もが認めるスターがたくさんいましたが、今はそういう方々がいなくなり、観客もどこがうまいか、どこが下手かが分からない人が増えています。やればすごいという感じで、プロと素人の境界線がなくなっていっちゃったんです。

自分は子どもが二人いるのですが、このままでは彼らの時代に、誰も認めない人たちが趣味でやっている世界になりかねない。僕は40歳で、この世界ではまだ若いけれど、私や同世代の歌舞伎俳優が命を削って頑張って「うまい人」を作る覚悟が自分たちにないといけない時期なんじゃないかと思うんです。

反田:日本舞踊のお客さんというのは、どのような方々なんですか?

勘十郎:私たちには門下生がたくさんいて、うちの祖父(人間国宝でもあった六世藤間勘十郎)の時代は、客席は門下生だけでいっぱいでした。「余人は入れません」「私たちの空間です」という閉じた世界だったんです。それは当人たちにとってはすさまじく心地よい特別な空間ですよね。けれども門下生が減ってそういう時代は終わりました。すると空席ができます。それでやっと違う公演の形を皆が考え始めて、歌舞伎ファンの方などもいらっしゃるようになった。

とはいえ基本的には、日本舞踊界も歌舞伎界も、コアな層としては1万人くらい。例えば五つの劇場で公演があったら五つ全て、同じ方々が観に行っている。そこに1割くらい、ちょっと見てみようかという一般の方、海外の方などが入るという感じです。

僕は20代の終わり頃、同世代の人間たちと公演を打ったのですが、まあ、お客が入らなくて!(笑)。これが現実なんだと思い知らされました。

僕たちががやっていることが、興味を持たれていない。一度閉じてしまった世界だから、それでいきなり開けても、誰も来ないわけですよね。なんとかいっぱいにするため、劇場さんなどと話し合いながらこれまで頑張ってきましたが、それ以上におのおのが個で何かを磨いて、その人にお客さんがついて、ファンを増やして何かをするようなことも考えなければいけないのだと思っています。

―現状に対する使命感が、お二人の中に初めて湧いたのは、いつ頃ですか?

反田:僕は今26歳ですが、高校を卒業してロシアに留学した頃でしょうか。僕が行った学校では数千人の生徒のうち黒人の方が一人くらいしかいなかったんです。彼らは、例えばジャズに見られるように独特のリズム感などを持っています。それはクラシックにも通じるはずなのですが……。

なので将来、いろいろなところに楽器を持っていくなどして、ワールドワイドに活動しなければと思ったんです。

現にキャリアを重ね、第一線で活躍されて、自分の時間を持てるようになった方々は、チャリティーなどに積極的に取り組んでいます。僕は留学先の先生から「クラシックは何百年もの歴史を引き継ぐんだよ」と教わりましたが、そういうことも引き継いでいかなければと考えています。

勘十郎:僕の場合はここ数年、次第に強くなってきていたのですが、決定的だったのはコロナ禍です。「自粛」で舞台ができなくなった後再開する時、若い世代が先陣切ってやらなければならないという状況になりました。

歌舞伎でも、僕が舞踊の稽古をしている平成生まれの俳優が座頭になって、挫折を味わいつつ一座を取り仕切っていく時代が来つつある。もうちょっと先輩たちが引っ張ってくださるかと思っていたけれど、コロナを機に「若手が引っ張れ」という空気になってきたんです。そうすると、やはり考えることも増えますよね。

音楽の世界で指揮者などにも言えることかもしれませんが、トップが若いとついて来たがらない人って、伝統芸能の世界には結構いるんですよ。そういう人たちも立てつつ、頑張らなければいけない。

多分そういうことは僕だけではなく、同世代の皆が感じて、共有している意識はあります。みんな責任感が今まで以上に出てきて、感染対策にしても何にしても、しっかりしなければ、という感じになっていますね。

コロナ禍でできること、やるべきこと

―新型コロナウイルスの話が出ましたが、お二人のコロナ禍に入ってすぐの行動力には目を見張る物がありました。まず勘十郎さんは、YouTubeチャンネルを開設したほか、毎週のインスタライブ配信や会員制のオンラインサロンをスタートさせましたね。

勘十郎:このままではいかんと常々思っていたところ、コロナ禍が背中を押してくれました。僕がYouTubeを始めたのが4、5月。「今だ!」「いの一番にやろう」と踊りの動画を配信して。最近になって皆さんYouTubeチャンネルを開設し始めて、ちょっと遅いなと思ったけれど(笑)。そういうものに乗ろうという意識が芽生えてきたのは良いことです。私達の世界は「今ここでやってることをリアルに海外で見られるんですよ」と言ってもあまりピンとこずに「テレビ電話みたいな感じですか?」と言う人も多い世界ですから。

実際やってみて、良いこともたくさんあったし、100人が100人、それぞれの自分の思いをぶちまければいいと思う。でもまだ、その先がありそうな気もしますね。

反田:クラシックの世界でも、YouTubeをうまく使う人とそうでない人とでは、今後2年くらいで差が出るのではないでしょうか。

勘十郎さんのインスタライブの初回、画面の前で大汗をかきながら一人で頑張っていた姿も忘れられません。

勘十郎:それまで人前でしゃべるというと、宴会場でマイク持って話すのが普通だったのに、誰が見ているのかわからないところでしゃべるわけですからね(笑)。スマホの電波でつなげていたら途中で電波が途切れがちになってしまい、視聴者の皆さんに「Wi-Fiに接続してください」と言われて、「Wi-Fiってなんだ!?」って(笑)。馬鹿みたいでしたけど、やらないと置いていかれるんですよ。今は私達が着物を着ていることすらびっくりされる時代で、たとえ着物がまたファッションとして見直されつつあるとしても、江戸時代には戻らないんだから。

僕はコロナ禍であっても、舞台の世界で必要とされる人間、仕事が来るような人間でありたかったので、歌舞伎の公演がなくなっても歌舞伎の解説をするなどファンを離れていかないような作業は、地道にですけどやっていました。

だって、コロナで人があまり集まってはいけない中、必要とされるには、よほど腕がないといけない。自分たちも、ここから先はちゃんとできるアーティストという人間たちの集まり、ここから先は趣味の人間たちっていうことで、線を切られるだろうなって思っています。やっぱりそこに呼ばれたいじゃないですか。それは、個の力でしかない。

反田:同感です。そして、個の力を考える上では、やはりSNSの力は大きいですね。僕のコンサートのお客さんはここ数年で段々若くなってきました。

比率で言ったら僕より上の方が多いものの、同世代の方が増えてきたんです。Instagramはフォロワーさんのパーセンテージがすぐ出るのですが、その比率は、女性と男性が6:4。男性は、僕と同世代いの2030歳のフォロワーが一番多いですね。そして女性は10代だけ少ないのですが、60代までほぼ均等にそろっています。

勘十郎:すごい!

反田:もちろん、今までテレビやラジオや紙媒体の取材などを受けていたからSNSも見てもらえるようになったというのはあるかもしれませんが、プラスアルファでセルフプロデュース力、企画力が今後の大事なキーワードになると思います。

―反田さんはコロナ禍でいち早く、無観客コンサートの有料配信を始められましたね。

反田:クラシックでは初めてだったと思います。3月中旬ごろ、デビュー当時からお世話になっているイープラスの会長に、「有料でやりましょう」「システムを一緒に作ってください」と直談判に行きました。

リスクが大き過ぎるという話もありましたが、「ビジネスチャンスだと思います」と説得して。今イープラスさんは、その時のシステムを使った『Streaming+(ストリーミングプラス)』で演劇など音楽以外のさまざまなジャンルの配信も行っています。実はあれ、僕発信です(笑)。

勘十郎:そうだったんですか!

反田:初回はサントリーホールの小ホールでやったんですが、本来のホールでコンサートをやった場合の席数の5倍以上の人数が、オンラインで楽しんでくださいました。その後も例えばCD付きでチケットを販売するなど、いろいろな方策を考えて展開しています。

今は有料の配信が当たり前になりましたが、3月下旬ごろに発表した時は、まあ総スカンでした。告知ツイートをしたら、初めは「頑張ってください」「応援しています」というリアクションだったのが、何十万もの人に広まり、やがて7割くらいがバッシングになって、炎上状態。中には殺人者呼ばわりするコメントもありました。

というのは、首相や都知事が頻繁に会見を行っていて、自粛に入る直前の時期だったんです。それで、今では少なく感じますが「30人も感染しているような時に、なぜ人を集めてそんなことをやるのか」と。ギリギリまでやるかどうか迷いながら、人数を最小限にし、プログラムも変えて実施しました。システムを一から作ってもらったあと、チケット販売から、プログラム、動画の配信まで、全部で10日間ほどの出来事でした。

今は笑って、あの時は大変だったねって言えるようになりましたが、正直、耐えられるかどうか自分でもわからない状況でしたね。

―アーティストが生きるためには、経済的なことだけではなく、表現すること自体が不可欠ですよね。そしてその二つは密接に結びついている。それを封じられた自粛期間は、あまりにも酷だったと思います。

反田:僕が有料配信をやりたいと思った理由はそこです。演奏者だけではなく劇場もそうだし、舞台監督、照明など色々な方が携わって、一つのコンサートが成り立っている。コンサートがなくなるということは、その方々全員が食べられなくなるということです。僕もコロナがここまでひどくなるとは予測していませんでしたが、ある程度大変なところまでいくのではないかという危惧はあったので、先手を打っておこうという感じでしたね。

2年前、クラシックの音楽番組で、宮本亞門さんから「2019年はどうなりますか?」と質問されて、「今後はデジタル化がすごく進むんじゃないでしょうか」と答えたのを覚えていますが、2年後に本当にそうなって。国境をまたいで同時に演奏するなどということは、当時はピンと来なかった方も多いと思いますが、コロナが一つのきっかけとなって、今では当たり前になりましたよね。

僕自身もオンラインで、海外の先生のレッスンを受けてみました。対面での指導の方がいいに決まっているけれど、機械や機材が進歩したのでそれらを駆使し、お互いに歩み寄れば、一定のクオリティーまで保てるようになってきました。

さらには、無人のオーケストラなども出てきています。会場に誰一人おらず、スピーカーだけ置いてあって、音源は各自が自宅で弾いているとか、指揮者が来日できないからタクトを振る映像だけでオーケストラがアンサンブルをするとか。『スピーカーのためのコンチェルト』なんていう新しい曲もできそうですよね(笑)。

勘十郎:なるほど、面白いですね! 我々の世界でも、演奏家は家にいるけれどリアルタイムで演奏していて、僕だけがここで踊るというような作品を作ることができるんだなあ。

後編に続く)

藤間勘十郎

祖父・六世藤間勘十郎と母・七世藤間勘十郎(現・三世藤間勘祖)のもとで舞踊家として研鑚を重ね、2002年、八世宗家・藤間勘十郎襲名。若手俳優への舞踊指導や、歌舞伎の振付師、演出家として活動。苫船(とまぶね)の作曲、筆名で創作を行う。父は能楽師の四世梅若実。

公式ウェブサイト
https://kanjuro.soke-fujima.jp/

YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCvV84MDTYldBobnFQaeI6Ew

反田恭平

ソリストとして国内外で演奏活動をする一方で、自身でレーベルの立ち上げや、オーケストラを立ち上げ運営するなど、プロデューサーとしてもクラシック音楽を広めるために尽力している。現在はチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経て、F.ショパン国立音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。

公式ウェブサイト
https://www.kyoheisorita.com/

YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCBnjvF0bRbyP2lX1qYc_aqA

公演情報
https://eplus.jp/sf/classic/sadosorita

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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舞踊・演劇ライター、高橋彩子が、何かしらの共通点を持つ異ジャンルの表現者を引き合わせる『STAGE CROSS TALK』シリーズ。記念すべき第1弾に登場するのは、舞踊家の藤間勘十郎と、ピアニストの反田恭平だ。前編ではコロナ禍での思いや活動を聞いたが、後編ではそれぞれの表現やビジョンを語ってもらった。

  • アート

洋の東西を問わず、歴史上、女性が芸能の表舞台から遠ざかっていたケースは少なくない。その一方で、女性が独自に継承し、今に至っている芸能もある。

伝統芸能を担う女性の一人が、女流義太夫の語りを行う「太夫」の第一人者であり、重要無形文化財「義太夫節浄瑠璃」の各個認定保持者、つまり人間国宝の竹本駒之助だ。

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梅若玄祥と野村萬斎が語る、能と狂言の世界
梅若玄祥と野村萬斎が語る、能と狂言の世界

能楽堂に行ったことはあるだろうか。主に能や狂言が上演されるその劇場は、極めてシンプルで特殊な空間だ。「橋掛かり」という通路から現れた演者がたどり着く「本舞台」は30平方メートル余りの広さで、後ろに松の絵が描かれた板があるのみ。

しかしそこはあらゆる世界、あるいは広大な宇宙になる。そんな能楽堂にデビューするなら、親しみやすい題材による新作能と新作狂言が相次いで上演されるこの12月は絶好の機会だ。

ここでは新作能『マリー・アントワネット』主演の梅若玄祥のインタビューと、新作狂言『』主演の野村萬斎の記者会見でのコメントをもとに、それぞれの公演を紹介。

ショーパブダンサーのルディと地方検察官のポールというゲイのカップルが、育児放棄されたダウン症のある少年を守り育てるため、世間の無理解や法律の壁と闘う姿を描いたトラヴィス・ファイン監督の映画『チョコレートドーナツ』が、世界で初めて舞台化される。演出は宮本亞門、ルディ役に東山紀之、ポール役に谷原章介。稽古が始まり、作品への思いや理解を日々深めている宮本と谷原に、公演への意気込みを語ってもらった。

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  • アート

スペインが生んだ20世紀を代表する芸術家、パブロ・ピカソの絵画作品『ゲルニカ』。スペイン内戦下のドイツ空軍によるゲルニカ無差別爆撃を描いたこの1枚の絵から、新たな舞台が誕生する。企画の発案者であり、演出を手がける演出家の栗山民也(くりやま・たみや)に作品について聞いた。

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