栗山民也
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戦争と芸術、栗山民也に新作「ゲルニカ」を聞く

PARCO劇場オープニング・シリーズ秋の第1弾を飾る演出家にインタビュー

Hisato Hayashi
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テキスト:高橋彩子

スペインが生んだ20世紀を代表する芸術家、パブロ・ピカソの絵画作品『ゲルニカ』。スペイン内戦下のドイツ空軍によるゲルニカ無差別爆撃を描いたこの1枚の絵から、新たな舞台が誕生する。企画の発案者であり、演出を手がける演出家の栗山民也(くりやま・たみや)に作品について聞いた。

ピカソの『ゲルニカ』とは何か

ーピカソの『ゲルニカ』との出合いについて教えてください。

今から20数年前、いや、もしかしたら30年ほど前だったかもしれませんが、数カ月かけてスペインを個人旅行で回った際、マドリードの美術館でこの絵を見たんです。その時の衝撃は忘れられません。それまで僕はピカソに対して、多方向からの視点を一枚に凝縮するキュビズムを生み出した人物の一人であり、かつ絢爛(けんらん)豪華なる色彩の魔術師として興味を抱いていましたが、『ゲルニカ』はモノクロ。あれだけ自由奔放に色彩を使える人がなぜ、人間の一番の悲しみである戦争をモノクロームで描いたのか……。

しかも『ゲルニカ』前後のほかの絵が、キャンバスから飛び出して見る人をわしづかみにするような勢いなのに対して、『ゲルニカ』はキャンバスの中にすっと収まっていてぎょうぎょうしさがない。今、稽古をしながら思い出すのは、35年ほど前に行ったアウシュビッツなんです。

ーポーランドにあるユダヤ人の強制収容所ですね。

同じ収容所でもドイツのダッハウなどは観光地化されている感がありましたが、アウシュビッツはガス室にしろ処刑場にしろどこも静かで、記憶を残していくという姿勢や慰霊の念だけがあるかのようなんです。ピカソも、あの絵にそうした思いを込めたのではないでしょうか。

歴史の傷跡や人間の感情、記録と記憶……そうした全てが集約されている『ゲルニカ』は、いわば一本の線であって、そこから限りない世界観が見えてくるんです。それをドラマにしようなんて、とんでもないことを提案してしまったなとも思っていますが(笑)。

ーどのような経緯で舞台化に至ったのですか?

気になる作品などをランダムに記した手帳の、ずいぶん前のページに書いてありながら、いつもそこを通過していました。これまでに何度か舞台化を提案しなかったわけではないけれど実現しなかった。今回、新生PARCO劇場のオープニング・シリーズでの公演なので、それならばスケールの大きな新作をやったらどうかと提案したんです。

劇作家の長田育恵(おさだ・いくえ)さんに書いてもらうにあたっては、僕のピカソ観を伝えつつ、ピカソが登場する偉人伝ではなく、ゲルニカの時代を生きた人々を、歴史劇ではなく現代劇として描いてほしいとリクエストしました。

僕の中で、あの時代のスペインといったら、劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカの、土地、男、女、血、空、悪魔といった、古い土地の情念のようなものが生きている、前近代的な世界です。実際、スペインを旅していると、岩山を掘った竪穴式住居があり、そこがタブラオ(フラメンコの舞台があるレストランや居酒屋)になっていて、一度入ったら抜けられないような密な空間の中で朝8時ごろから夜中3時ごろまで踊り続けるといった、近代の合理性からかけ離れた情景が残っているんですよね。

人間とは不条理なもの

ー本作では、ゲルニカの領主の家に生まれたサラ(上白石萌歌)、ドイツ軍のスパイとして暗躍する人民戦線軍の兵士イグナチオ(中山優馬)、ゲルニカの人々を取材する女性記者レイチェル(早霧せいな)と男性記者クリフ(勝地涼)などさまざまな人間の人生が交錯します。ゲルニカの領主といった設定に、今おっしゃった前近代性が感じられます。

科学がまん延する文明から来た記者二人が、一本の樹を信奉して前近代的に生きるゲルニカの人々に出会う。これはバスク地方という、ある意味で土着性が強い人達の独立の話、内戦の話であり、さらにそこに第二次世界大戦につながっていくナチスの襲撃が加わるわけです。ゲルニカ空爆は、世界史で初めての無差別爆撃でした。

ーそうした20世紀の人類の所業を伝えることは、我々の大きな使命と言えるでしょう。

長田さんは(宮本常一、渋沢敬三らをモデルにした『地を渡る舟』や柳宗悦の生涯を描いた『SOETSU』など)歴史を扱う作品を作ってきた劇作家で、今回もかなり細かく史実を入れてきています。ジャーナリストを出したいというのも長田さんの希望で、それならば今の公文書の問題にも通じる、歴史を書き刻むということを徹底的に書いてほしいと言いました。クリフは、ゲルニカに関してタイムズに記事を書いたジョージ・スティアという記者がモデルになっています。

ー実際、盛りだくさんの戯曲ですよね。戦争あり、恋愛あり、出産あり……。台本を読んだ時、登場人物達の心理の動きをじっくり描くというより、出来事の中で唐突な心の変化が訪れているような印象も受けました。 

そこは、あえてですね。日本の現代の劇作家の例に漏れず、長田さんの台本も初めは論理的で、全て台詞で説明しようとしていたけれど、人間というのは、不条理をつないで、自分は一体何なんだろうと考えながらしゃべるもの。理屈はない。ロルカの世界がまさにそうです。イギリスの戯曲ではあり得ないことですけれども(笑)。

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今、日本でこの劇をやる意味

ー俳優の皆さんがどう演じるかが注目されます。稽古をしながら見えてくることは何でしょう?

歴史の痛みを感じることと、人が生まれることや死ぬことに関する哲学、それらに対する欲望が、日本の俳優には薄いように感じます。今の日本の政治もそうですからね。だからこそ、こういう芝居をやらないといけないと思います。

ー過去に戦争に関する芝居を上演した際、栗山さんから飢えをもっと知りなさいと言われて、食べないことを実践してみたという若い俳優の方もいましたが、今回は?

今作には飢えそのものはあまり書かれていませんが、それでも3回くらい言いましたね。現代の感覚を持った人間が戦場に入ったとき、どうなるのか。パンを食べるシーンで本当に食べたら?と言ったら盛んに食べて台詞が言えなくなった俳優もいました(笑)。

この作品はスペインの話ですが、東京があり沖縄があり、バスクのように沖縄も独立してしまえばいいという意見があるとして、じゃあ独立したらどうなるかといったら経済的に立ち行かない。そうしたジレンマの中で我々は生きているわけでしょう?

ーその意味では、今の話でもある。

そう。けれども今の俳優は想像力を働かせることに慣れていないので、例を出さなければなりません。昨今では検索すればすぐに何でも出てきますが、昔は気になったら図書館や本屋に行って一日中探しましたよね? その間に全然違うものと出合っていて、そちらの方が大事だったりするわけです。

僕はよく稽古場で、「演劇のリアリズムって何だと思う?」と役者と話します。女優の森光子は90歳の時、舞台上で、その場にいる若い女性の誰よりも17歳に見えたものです。これが舞台のリアル。ピカソの絵にしても、あれが画家にとってのリアリズムなのです。20世紀のリアリズムは、ピカソのあの絵に集約されるような気もする。

ーだからこそ、日本の俳優がスペインの人々を演じることが可能なわけですよね。

日本の伝統芸能である能からして、そうですよね。80歳の声の低いおじいさんが小さな面をつけた瞬間に、少女に見える。それはうそではなく、不条理のリアリズムなのです。どんなことにも可能性があるのが芸術なのではないでしょうか。

ー最終的に、どのようなものが観客に届けばいいと思われますか?

僕はピカソに倣って一本の線を提示するだけ。説明は加えません。『ゲルニカ』の絵にしても100人見たら100人感想が違うでしょう。それで良いと思うのです。ただ、芝居の楽しさを味わうとともに、心理であったり感覚であったり歴史であったり、何かしらを感じとって、一歩か二歩、前に進もうとしてもらえたらうれしいですね。

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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