「人生の歓喜」を描く『新版 オグリ』
ー『新版 オグリ』は、望まない結婚をさせられそうになった照手姫がオグリの仲間(=小栗党)に助けられてオグリと恋に落ちる1幕、オグリを含む小栗党の七人衆が地獄に行って閻魔たちと戦う2幕、オグリが閻魔によって顔も手足も様変わりした餓鬼病(がきやみ)となり娑婆へ送り返され姫と再び結ばれる3幕からなる物語ですね。同じく「演出」とクレジットされている猿之助さんとはどのような役割分担になっているのでしょうか?
顔合わせの時に猿之助さんが「今回は杉原邦生が演出で、僕は演出補です」とおっしゃって、稽古初日からびっくりさせられたのですが(笑)、実際、立ち稽古に入ったら、「まずは邦生がやってみて」と。なので僕がざっくりと立ち上げて、必要に応じて猿之助さんが修正していくという形でスタートしました。二人で相談しながらやっていくのかと思っていたので、親獅子に突き落とされた仔獅子のような気持ちになりましたね(笑)。
ーもともと杉原さんは、京都造形芸術大学在学中に大学内にある春秋座で市川亀治郎時代の猿之助さんの「亀治郎の会」のお手伝いをされたのですよね。以来、猿之助さんがプロデュースした『由紀さおり45周年スペシャルコンサートin ROPPONGI』(2014年)や、スーパー歌舞伎II『ワンピース』(2015年初演)で演出助手を務められ、八月納涼歌舞伎『東海道中膝栗毛』シリーズの構成も4年連続で担当されています。
いつも猿之助さんは思いもよらないことを僕に任せてくださいます。無茶振りってやつですね(笑)。毎回、その作業の中から新しい考え方や発想をたくさん学べるんです。今回は、猿之助さんはもちろん、立師の(市川)猿四郎さんや振付の(尾上)菊之丞さん、澤瀉屋の皆さんなど、これまでスーパー歌舞伎を支えてこられた方々に助けていただきながら稽古をしています。
ー猿之助さんから言われて特に印象に残っていることを教えて下さい。
立ち稽古の初日に僕がつけた、とある箇所の演出について「歌舞伎だとこれじゃあ拍手が来ない」と言われました。「現代劇ではとんとんとんと階段を作ってマックスを作るけど、歌舞伎では主役級の人が出てきた時に拍手をもらうためには、上げて行って一回下げて、もう一回上げないとダメなんだよ」と。歌舞伎では、メインの役の登場で拍手が来る。そのための、期待感の間(ま)みたいなものが必要なんです。言われてみて「なるほど、確かに(歌舞伎だと)そうなっているな」と思いました。
ー横内さんの台本には、今回原作としている梅原さんの脚本ともまた違う、現代的なワードが入っていますね。
そうなんです。閻魔は「多様性の時代に地獄も順応していかなければならないのではないか」と悩むし、その閻魔によって現世へ戻されたオグリが出会う遊行上人も信仰を人に説きながら迷っている。
皆、自分が進むべき道を迷っているところが、すごく人間的で現代的だし、良いなと感じるところでもあります。また、オグリと離れ離れになった照手姫をシオ爺とその妻フグ婆が助ける場面では、フグ婆が照手に嫉妬するのは前回通りなのですが、今回は周りのお婆さんたちの噂が炎上して嫉妬につながるというSNS的なシチュエーションになっていて、彼女たちの姿もまさに街で見かける現代人のものになっています。時代は中世なんですが(笑)。
ー今回、杉原さんの発案でストリート系ファッションの要素も取り入れたとか?
基本は和装ですが、随所にストリートの要素を散りばめています。チラシの写真をよく見ていただくと、猿之助さんも隼人くんも、パーカー姿なんですよ。隼人くんの場合はB-BOYっぽくキャップをかぶり、その下にバンダナをしているし、足元には白いラインが入っていて、ストリートの空気感を表現しています。
6人の小栗党の面々は真っ黒な衣裳で揃えて、まるでギャング集団。猿之助さんが、小栗党は皆でワイワイやってる不良仲間だという話をされていたので、ちょっと前の渋谷にいた、皆同じような黒いパーカーやスリムデニムで歩いている若者達のイメージを提案したんです。
さらに、この物語は現世と来世が表裏一体ですし、正しいと思ったことが間違っていた、というような裏と表の話でもあるので、反転させる意味で、2幕の地獄の場は真っ白な舞台にし、衣裳も真っ白。死に装束のようでもあります。
ー舞台美術はどのようなものに?
初演の朝倉摂さんの美術が全面ハーフミラーを使用したものだったので、一部それを踏襲しています。初演のパンフレットに猿翁さんが「近代の能楽堂」と書いていらしたのですが、能舞台のように鏡板があって、今回は実際の鏡なわけですが、そこに様々な道具が出てきてシーンを構成するというスタイル。
今回のほうが持ち込みものは多くて、派手ですね。さらに、LEDの巨大パネルを使った映像演出や、プロジェクションマッピングも取り入れています。
ースペクタクルとしてはどういった趣向がありますか?
地獄の場面が立廻りの連続です。同じく地獄の場での「血の池地獄」では、とんでもない量の水を使った演出があります。客席左右同時での宙乗りもありますし、初演では念仏踊りだったラストシーンも今回は「歓喜の舞」と称し、客席も全員で踊り狂うということを、僕らは目論んでいます(笑)。スーパータンバリンならぬスーパーリストバンドという、LEDで光るグッズを販売するんですよ。
ー最終的に目指す地点を、言葉にすると?
猿之助さんは、「人生の歓喜とは何か」ということをテーマにしたいとおっしゃっています。自分だけが楽しいことが幸せや喜びなのではなく、周りの人も含めてハッピーになることが本当の人生の歓喜だということを、今の社会に言いたい、と。
それは、初演の梅原さんから受け継いだ哲学でもあるだろうし、猿之助さんがご自身で感じた哲学でもあると思います。やはり、猿之助さんが『ワンピース』本番中に大変な怪我をなさったことは、このテーマを選ばれた大きな理由の一つになっているのではないでしょうか。一歩間違えば命の危険があった事故でしたから。
ー死にかけて生まれ変わるというのは、まさにオグリですよね。
そうなんです。だからこそ今回、『オグリ』を上演しようと思われたのではないかと、僕は勝手に推測しています。人間いつ死ぬかわからないだからこそ、隼人くんや僕のような下の世代に、自分がやってきたことややりたいことを伝え、育てていくことを意識なさっているんじゃないか、と。
もちろん、『ワンピース』の時もそうでしたけど、よりその思いが強くなったのではないかと、稽古場で隣にいて感じています。今の社会では、個人主義や多様性を尊重するのはいいけれど、その結果、皆、自分さえ良ければいいとか、自分を正しいと認めてくれる人が少しでもいればいいというふうになっていますよ。
スペクタクル性の強いスーパー歌舞伎がただのエンタテインメントではなく、社会に警鐘を鳴らすものでもあるというのは、自分がこれまでやってきた作品づくりのスタンスとも重なりますし、とてもやり甲斐を感じています。