藤間勘十郎(舞踊家)×反田恭平(ピアニスト)
Photo: Keisuke Tanigawa
Photo: Keisuke Tanigawa

STAGE CROSS TALK 第1回(後編)

藤間勘十郎(舞踊家)×反田恭平(ピアニスト)

Hisato Hayashi
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タイムアウト東京 > カルチャー > STAGE CROSS TALK 第1回(後編)

テキスト:高橋彩子

舞踊・演劇ライター、高橋彩子が、何かしらの共通点を持つ異ジャンルの表現者を引き合わせる『STAGE CROSS TALK』シリーズ。記念すべき第1弾に登場するのは、舞踊家の藤間勘十郎と、ピアニストの反田恭平だ。前編ではコロナ禍での思いや活動を聞いたが、後編ではそれぞれの表現やビジョンを語ってもらった。

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由緒ある楽器や扇子の力

ー伝統芸能の勘十郎さんと、クラシック音楽の反田さん。全く違う世界のようですが、反田さんはデビューが1912年製のスタインウェイ、ご自身のレーベルでの初のアルバムは1887年のスタインウェイ。バイオリンなどと違って、ピアノは古ければ古いほどが価値が高いというものではないにもかかわらず、昔の楽器をよく弾いていらっしゃいますね。

反田:ピアノ界のレジェンドであるウラディミール・ホロヴィッツが使っていたもので、本来はこの年代のピアノですと博物館にあるという感じです。普通にちょっと弾いてもコントロールが難しい、じゃじゃ馬みたいなピアノなのですが、ポイント、ポイントを押さえて弾くと百人力にもなる楽器です。

先程(前編)は今のテクノロジーがすごいという話になりましたが、今のピアノが工場で大量生産なのは、もったいないと思うんです。昔のピアノは一つ一つ手作りなので、1台1台に個性があり、味が違う。服だって工場で作るのと手縫いとでは見え方も違いますよね。僕はその点でもビンテージのピアノが大好きです。

勘十郎:僕は三味線を弾き、作調(作曲)もするのですが、すごい人たちが使った三味線で弾くと全く手になじまなくて。我が物にしようとして「このやろう」みたいな感じで無理に弾いても音がちっとも鳴らず、自分が安く買った三味線が一番良い音がしてきたりするのですが、なるほど、ツボを押さえることが必要なんですね。

反田:僕も、最初はコントロールしたくてガチャガチャ弾いていましたが、次第に仲良くなってきて、力を抜いて任せるようなスタンスがちょうどいいと分かりました。ピアノに限らずコンサートを聴きに行くと、「うまいな」と思う人の演奏は、楽器が喜んでいるように聴こえます。演奏者は陰に隠れていて、楽器が勝手に鳴っているというような印象を受けることが、これまでに何回かありました。

勘十郎:僕らだと、お扇子(せんす)がそうですね。前田青邨や伊東深水とか、そういう国宝級の画家が描いた扇子を使うと、小さな扇子なのに舞台がよく見えるんですよ。絵画を持って踊っているようなものですからね。だから昔から扇子は良いものを使えといわれますが、使いこなせないときもあります。

反田:「扇子負け」ですか。深いですね!

勘十郎:ダメな時は、自分でもしっくりいっていないのが分かるんです。「今の自分は白いお扇子でよかったな」なんて思ったり。それは、自分の中に欲があるからなんでしょうね。初めは欲も何もなく一生懸命踊っているだけだけれど、だんだん「ここはこうしてやろうかな」「あそこをああしてやろうかな」と欲が出てくる。芸人は欲深いですからね。それが共有できる芸にまでなればいいのでしょうが。

見られること、見てもらうこと

ー観客、聴衆を意識し過ぎてうまくいかないことなどは、ありますか?

反田:考えてみるとピアノって失礼な楽器で(笑)、ずっとお客さんに対して横を向いているんですよ。落語にしろ踊りにしろ真正面を向いている。バイオリンだって普段は前を向いて弾きますよね。ピアノだけそっぽを向いているんです。僕は弾きながら指揮をする「弾き振り」もやるのですが、そういうときはお客さんに背中を向けます。

それに加えて、僕は眼鏡の度も低くしていて、お客さんの顔がよく見えない。意図的にそうしたわけではないんですが、だんだんとそうなって。緊張しちゃったらイヤだなと思うからかもしれません。実際、知っている人と目が合うこともたまにありますしね。

勘十郎:分かります。僕もある時から、自分の公演は客席を暗くするようにしています。非日常の自分でいたいから、「あ、あいつだ」「あの人が来てる」などと思うのがイヤで。そういう人に限って見える所にいるんですよ(笑)。

反田:そうなんです! 日本一を決める『日本音楽コンクール』に出た時、親友が上手側の席にいたのでピアノの前に座って見上げるとすぐ目の前で(笑)。母もすぐ目に入る所に座っていたこともあって。

勘十郎:親はイヤですね。僕にとって母は師匠でもありますから、「どんな顔して見ているんだろう?」と気になっちゃう。一度、兄の結婚式で踊るように言われて出ていったら、すぐ目の前に母親が座っていて(笑)。あんなに緊張したことはなかったですね。

母は、こちらから「お稽古をお願いします」と言わなければ見てくれないんです。僕が急きょ、大曲の代役をすることになったとき、慌てて稽古場に連れて行かれて見てもらったことはありますが、後にも先にもその一度きりですね。「お稽古をしてもらうことが当たり前」というのは習い事の感覚。月謝を払っているから当然ですよね。でもプロはそうではなく、「ここまで勉強したので見てください」と自分から頼むものなんです。

反田:それはすごく良い考え方ですよね。

ー反田さんも、ご自分から、師匠に教えを乞うたのですよね?

反田:ロシアに留学した時には、先生の前で弾く機会があって声をかけていただいたのですが、今学んでいるポーランドに関しては、実は先生のFacebookを見つけてメッセンジャーで「日本のこういう者です」と音源やプロフィールを送ったんです。「来年からワルシャワに行きたいです。弟子にしてください」って。

勘十郎:ええっ! すごいですね!

反田:連絡先を調べたのですが全く分からず、どうしても習いたかったので、最後の手段で必死に連絡して。

勘十郎:......こういう人によって、世界は変わるんだろうなあ!

反田:クラシック業界はのんびりしたところがあって、アーティストものほほんとしている人が多いから、できたことかもしれません。だからこそ、自分をどう見せたいかという考えを強く持っている人がいないのは、この世界の問題点にもなると思います。

例えばお金の話で言うと、安い出演料でも喜んで出演する学生はけっこう多い。確かに演奏する場は大切ですが、自分がどれだけ練習していて、どれだけ知識を持っていて、それをどう披露するのか、自分でその価値を伝える術を身に付けていない演奏家が多いんです。自分を守りながら、かつ、売ることが大切ではないでしょうか。モーツァルトだってベートーベンだって、自分で曲を書き、自分で自分をプロデュースしていたわけですから。

勘十郎:日本舞踊の世界にも「お金なんかいただけません。やらせていただきます」という感覚があるけど、間違ってるんですよね。ただ、「こういうところでお金をもらうような仕事ではないから、ただでいいよ」も間違いではなくて、両方あるべきだと思う。若い人たちに関して、安くてもやることも大事だけれど、自分の価値を分かっていないといけない。その点はクラシックも日本舞踊も同じでしょうね。

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変わっていく世界で、変わらないもの

ーお二人ともホール、劇場でお仕事されるわけですが、忘れられない場所はありますか?

反田:2020年10月、急な代役として呼ばれてデビューできた、楽友協会というウィーンのホールでしょうか。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が毎年、ニューイヤー・コンサートをやっている歴史あるホールです。

その前の半年間、コロナ禍でコンサートがなくなっていくなか、臨機応変にオンラインでコンサートを開くなど、本当に大変な日々を過ごしていたので、苦労が報われたような気がして。最高に幸せな瞬間でしたね。その最中にテロが起きてヒヤッとはしましたが(笑)。

勘十郎:僕にとっては、やっぱり歌舞伎座でしょうね。24歳くらいだったか、初めて振付師として一人で任されてあの場所で仕事をした時のことは忘れられません。すごくうれしかったし、なんとかしなきゃいけないとも思いました。というのも、受け継がれているものをそのままやっていい時と、やってはならない時があって、それを見分けるのが振付師や演出家の仕事だと僕は考えているんです。

反田:それは「自分の色を塗る」ということでしょうか?

勘十郎:それもありますし、一番重視するのは、役者が映える形に持っていくことです。演奏する時に譜面があるように、踊りにも手順といって、右に回った後左に回って、という、「譜」と同じものがあります。例えば、男の人が女の人を思って踊る曲があるとして、それを踊るための振りの順番になっているわけですが、その人が舞台に立って、男が女を思う踊りに見えなかったら、やる意味がないと思ってしまいます。

僕は昔、祖父に「その人に合った形で伝えなさい」と言われたことがあるんです。平成に入って「前にやったものをやってください」という仕事が増えたように感じていますが、役者のタイプと、かつてのやり方が合っていないこともあるわけですね。そういうときには、最初はリクエストされた通りにやってみて「おかしかったでしょう?」「そうですね」と納得してもらい、合う形に直したり。今は初めから「任せます」と言ってもらえることが多くなりました。

反田:なるほど。クラシックのレッスンで考えても、ピアニストが5人いて、同じ先生のところに同じ曲を持っていって弾いても、生まれた場所も食べたものも違うから、演奏が違います。速く弾きたい人もいれば遅く弾きたい人もいる。良い先生はその一つ一つを見ながら、クラシックの決められた額縁、キャンバスの中には収めてるけれども、そこから若干にじみ出る色を大切にしてくれる。それが個性だと、よく言われます。

勘十郎:そうですよね。踊りでも昔の人の映像などを見ると、やり方が全然違うんです。同じ曲で、同じものを表現しているのだけれど、表現の仕方が違うわけですね。こんなにも変わるのかと、面白いほどなんです。

ー反田さんも選曲の際、時代や今の空気を考えることはあるのでしょうか?

反田:いや、僕は自分に何が必要で、どういう作品を弾いたら成長できるのかっていうのが第一ですね。アーティストなんて自己中なので(笑)。

勘十郎:いいですね(笑)。その通り!

反田:ですから、まずは自分が勉強になる曲を選びますが、今はSNSで気軽に「何が聴きたいですか?」と問いかけができるので、「そういえばこの曲は、弾くべきだな」と思ったら、プログラムに取り入れることもありますし、アンコールで弾くこともあります。

勘十郎:自分の勉強のため、というのは大事なことですよね。

反田:クラシックは、一生かけても弾ききれないくらい曲があるので。例えば、コンサートで10曲弾くのであれば、今の自分に合っているものに加えて、2曲くらいはちょっと背伸びしたもの。やっぱりちょっと背伸びしたものを弾くと成長が早いですよね。

勘十郎:何回も弾く曲もありますか?

反田:ありますね。最近はショパンのポロネーズ第6番『英雄ポロネーズ』が多いです。

勘十郎:それは自分に合っているから?

反田:そうですね。僕も好きですし、コロナ禍を打開しようという意味合いも「英雄」に込めて。ツアーになってくると、同じプログラムをAとBの2種類準備して続けることは、多々あります。

勘十郎:実は僕らの世界では、同じものを何回もやるっていう発想は、そんなになかったんですよ。1回やって苦手だから、次はこれをやってみようとか、こっちをやろう、とか。けれども、祖父が以前、テレビで「前やったんだけど、どうしてもうまくいかなかったのでもういっぺんやる」と言っていましたし、僕自身もその感覚は打破しました。

反田:実際、20歳で弾くのと25歳で弾くのとでは全く違いますし、特にクラシックは何回弾いても飽きないなと思います。ベートーベンのピアノ・ソナタ29番『ハンマークラヴィーア』は、耳が聞こえなくなったベートーベンがイメージの中で書いた曲なのですが、1曲で50分間あるんです。覚えるのも大変で、自分が勉強している時、ほかの方のコンサートに伺ったら、4回聴いたうち2回は暗譜が飛んで、途中で止まってしまっていました。

僕自身は16歳の時に勉強し始めて2、3年かけて仕上げましたが、それは、曲を知っておくため。40歳くらいになったらまた弾きたいと考えていて、その時にどうなるか、自分でも楽しみですね。今はまだ手の筋肉が若いけれど、年齢を重ねることによってもっともっと柔らかくなっていくでしょうし、手の形も変わり、音色が温かくなっていくはずなので。

ー体が変化していくというのは、勘十郎さんの踊りにも当てはまりますね。

勘十郎:年を経ることで、味も出てきますしね。僕が最初に母親の役を踊ったころにはまだ子どもがいなかったのですが、息子が生まれてから踊ってみて、「ああ、こういうものか」と分かるようになりました。

日本舞踊では60歳が一番良いといわれているんですよ。まだ足腰はしっかりしているけれど、渋味も人間味も出てきて、その人の技術というものが出てくる。一番脂が乗った時期になるわけですね。これが70歳になると、膝は悪くなるわ、跳べなくなるわで、思うように動かなくなってくるのですが。

2021年を、どう生きるか

ー2021年、お二人にとって新たな展開になると想像します。抱負をお聞かせください。

反田:僕は2019年に立ち上げたMLMナショナル管弦楽団というオーケストラを、今年から『ジャパン・ナショナル・オーケストラ』と改名し、組織化して運営していきます。年末から、応援してくださる企業と新たな体制を作ってきました。この業界では初めてのことだと思います。

ー早速今、ツアーをされていますね?

反田:もともとこの2、3月は海外オーケストラとの日本ツアーの予定でしたが、このコロナ禍の中海外からの来日が不可能になり、僕の主宰するジャパン・ナショナルオーケストラとのツアーになったんです。でも、そもそもこのオケは室内アンサンブルなので17名しか固定メンバーがおらず、大編成の楽曲ができるよう70名ほどにしなくてはなりませんでした。そこで100人以上に連絡をし、スタッフさんの力も借りて、フルオーケストラになるメンバーを集めたんです。

何故そんなに電話をしたかというと、オーケストラって「和」であり「輪」でもあるから。この人はどういう性格でどういう音を出すか、ということの積み重ねで全てが出来上がりますから、僕が目指したい音を実現してくれる方を「一緒に弾かない?」と誘いたかったんです。その70人規模でまずは活動しますが、その後は30人くらいの編成で、プロとして活動していくつもりでいます。

さらに僕はこれから、会社組織でオンラインサロンを作って、グループで一つのコミュニティーを作ることにも挑戦してみたいとも考えています。そこでは、チケットを買うだけでなくファンの皆さんと一緒に何かを作っていくという体験もれきるようにしたり、アフターケアやセカンドハンドのようなものを準備できたらとも思いますね。

もちろん演奏することが僕の第一の使命ですから、そこはブレずに続けながらのことになります。ピアニストとしては、自分でレーベルをやっていますので、音源は5枚分くらいはたまっていて、あとは出すだけ。それから、音楽祭もやりたいですね。今はこの状況なので難しいですが、視察には行っていて、文化が根づいているような場所でやっていきたいという思いが強くあります。

勘十郎:僕も2020年8月、舞踊の同志である尾上菊之丞さんとオンラインサロンを始めました。目指したのは、舞踊を知らない方、習っている方、大好きな方、あるいはプロの方など、どなたが見ても楽しめるサロン。サロン内で踊ることはもちろんですが、今までやったことがない作品の上演や、新作、演奏、それに私は講座も充実していきたいと頑張っています。何気なく踊られている作品にも、役の思いや裏のストーリーなど表には見えない部分が多くある。それを踏まえて踊ったり鑑賞したりすると何倍も楽しめます。

演者に関しては、それを知ることが逆に苦しんだり悩んだりする理由にもなり得ますが、それもまた大事なことかと考えますね。これもコロナ禍だからこそ始められたことです。

ーお二人とも「サロン」というキーワードでも繋がるわけですね。

勘十郎:僕が今日、反田さんとお話しをして思ったのは、やると決めた時の行動力や勇気の素晴らしさ。自分が習いたい相手には「お友達になりませんか」みたいな勢いでメッセンジャーで連絡して、どこにも行ってしまう反田さんに、僕も刺激を受けました。

僕の座右の銘は「勇なるかな勇なるかな勇にあらずしてなにをもって行なわんや」という細井平洲の言葉で、要は勇気が大事だというもの。今はどうしても、振付でも演出でも、目の前にあることに追われがちで、その中で自分がやりたいことを考えるのだけれど、もっと自分がやりたいように踊ったり創ったり、ということをしたくなりましたね。

藤間勘十郎

祖父・六世藤間勘十郎と母・七世藤間勘十郎(現・三世藤間勘祖)のもとで舞踊家として研鑚を重ね、2002年、八世宗家・藤間勘十郎襲名。若手俳優への舞踊指導や、歌舞伎の振付師、演出家として活動。苫船(とまぶね)の作曲、筆名で創作を行う。父は能楽師の四世梅若実。

公式ウェブサイト
https://kanjuro.soke-fujima.jp/

YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCvV84MDTYldBobnFQaeI6Ew

反田恭平

ソリストとして国内外で演奏活動をする一方で、自身でレーベルの立ち上げや、オーケストラを立ち上げ運営するなど、プロデューサーとしてもクラシック音楽を広めるために尽力している。現在はチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経て、F.ショパン国立音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。

公式ウェブサイト
https://www.kyoheisorita.com/

YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCBnjvF0bRbyP2lX1qYc_aqA

公演情報
https://eplus.jp/sf/classic/sadosorita

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

ステージ情報を知りたいなら......

  • ダンス

英国の名門バレエ団、バーミンガム・ロイヤル・バレエおよび英国ロイヤル・バレエのプリンシパルとして活躍した名バレリーナの吉田都が、新国立劇場舞踊部門の芸術監督に就任する。

秋からの2020/2021シーズンを目前にして、コロナ禍に見舞われた吉田が語る今の思い、そして芸術監督としてのビジョンを聞いた。

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  • 音楽
  • クラシック&オペラ

オペラの歴史は400年以上。なじみのない人には古臭いイメージがあるかもしれない。でもオペラは、今こそ観るべき芸術だ。何故なら面白いから!というのが筆者の本音だが少々乱暴なので、以下にその理由を記しつつ、今年から来年の日本で楽しめる公演をご紹介。

インタビュー:松本幸四郎
インタビュー:松本幸四郎

1931年にアメリカで公開されたチャップリンの名作映画『街の灯』が、映画公開のわずか7カ月後に歌舞伎化され、歌舞伎座で初演されたことをご存じだろうか。

劇作家の木村錦花が、映画雑誌やアメリカで映画を観た歌舞伎俳優の証言をもとに、チャップリン演じる浮浪者に歌舞伎『与話情浮名横櫛』の登場人物、蝙蝠の安五郎(通称・蝙蝠安)を当てはめて書いた歌舞伎『蝙蝠の安さん』だ。1934年の『街の灯』日本公開に何年も先んじてのことだった。

その『蝙蝠の安さん』が、チャップリン生誕130年の今年、88年ぶりに、国立劇場にて上演される。主演は、本作の再演を熱望していたという松本幸四郎だ。

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演出家・杉原邦生がこの秋、相次いで大きな挑戦を行う。一つは、初となる歌舞伎演出。1991年、三代目市川猿之助(現・猿翁)が梅原猛の戯曲で作り上げた名作を、梅原の原作に基づいた横内謙介の戯曲で新たに生まれ変わるスーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』で、四代目市川猿之助との共同で演出を手がけるのだ。

もう一つは、自身が主するKUNIOでの『グリークス』の演出・美術。トロイア戦争にまつわるギリシャ悲劇10本をイギリスの演出家ジョン・バートンらが一つにまとめたもので、3部構成だが一挙に観れば10時間にもなるという大作だ。話題作2本の創作について、杉原に聞いた。

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