ーお二人ともホール、劇場でお仕事されるわけですが、忘れられない場所はありますか?
反田:2020年10月、急な代役として呼ばれてデビューできた、楽友協会というウィーンのホールでしょうか。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が毎年、ニューイヤー・コンサートをやっている歴史あるホールです。
その前の半年間、コロナ禍でコンサートがなくなっていくなか、臨機応変にオンラインでコンサートを開くなど、本当に大変な日々を過ごしていたので、苦労が報われたような気がして。最高に幸せな瞬間でしたね。その最中にテロが起きてヒヤッとはしましたが(笑)。
勘十郎:僕にとっては、やっぱり歌舞伎座でしょうね。24歳くらいだったか、初めて振付師として一人で任されてあの場所で仕事をした時のことは忘れられません。すごくうれしかったし、なんとかしなきゃいけないとも思いました。というのも、受け継がれているものをそのままやっていい時と、やってはならない時があって、それを見分けるのが振付師や演出家の仕事だと僕は考えているんです。
反田:それは「自分の色を塗る」ということでしょうか?
勘十郎:それもありますし、一番重視するのは、役者が映える形に持っていくことです。演奏する時に譜面があるように、踊りにも手順といって、右に回った後左に回って、という、「譜」と同じものがあります。例えば、男の人が女の人を思って踊る曲があるとして、それを踊るための振りの順番になっているわけですが、その人が舞台に立って、男が女を思う踊りに見えなかったら、やる意味がないと思ってしまいます。
僕は昔、祖父に「その人に合った形で伝えなさい」と言われたことがあるんです。平成に入って「前にやったものをやってください」という仕事が増えたように感じていますが、役者のタイプと、かつてのやり方が合っていないこともあるわけですね。そういうときには、最初はリクエストされた通りにやってみて「おかしかったでしょう?」「そうですね」と納得してもらい、合う形に直したり。今は初めから「任せます」と言ってもらえることが多くなりました。
反田:なるほど。クラシックのレッスンで考えても、ピアニストが5人いて、同じ先生のところに同じ曲を持っていって弾いても、生まれた場所も食べたものも違うから、演奏が違います。速く弾きたい人もいれば遅く弾きたい人もいる。良い先生はその一つ一つを見ながら、クラシックの決められた額縁、キャンバスの中には収めてるけれども、そこから若干にじみ出る色を大切にしてくれる。それが個性だと、よく言われます。
勘十郎:そうですよね。踊りでも昔の人の映像などを見ると、やり方が全然違うんです。同じ曲で、同じものを表現しているのだけれど、表現の仕方が違うわけですね。こんなにも変わるのかと、面白いほどなんです。
ー反田さんも選曲の際、時代や今の空気を考えることはあるのでしょうか?
反田:いや、僕は自分に何が必要で、どういう作品を弾いたら成長できるのかっていうのが第一ですね。アーティストなんて自己中なので(笑)。
勘十郎:いいですね(笑)。その通り!
反田:ですから、まずは自分が勉強になる曲を選びますが、今はSNSで気軽に「何が聴きたいですか?」と問いかけができるので、「そういえばこの曲は、弾くべきだな」と思ったら、プログラムに取り入れることもありますし、アンコールで弾くこともあります。
勘十郎:自分の勉強のため、というのは大事なことですよね。
反田:クラシックは、一生かけても弾ききれないくらい曲があるので。例えば、コンサートで10曲弾くのであれば、今の自分に合っているものに加えて、2曲くらいはちょっと背伸びしたもの。やっぱりちょっと背伸びしたものを弾くと成長が早いですよね。
勘十郎:何回も弾く曲もありますか?
反田:ありますね。最近はショパンのポロネーズ第6番『英雄ポロネーズ』が多いです。
勘十郎:それは自分に合っているから?
反田:そうですね。僕も好きですし、コロナ禍を打開しようという意味合いも「英雄」に込めて。ツアーになってくると、同じプログラムをAとBの2種類準備して続けることは、多々あります。
勘十郎:実は僕らの世界では、同じものを何回もやるっていう発想は、そんなになかったんですよ。1回やって苦手だから、次はこれをやってみようとか、こっちをやろう、とか。けれども、祖父が以前、テレビで「前やったんだけど、どうしてもうまくいかなかったのでもういっぺんやる」と言っていましたし、僕自身もその感覚は打破しました。
反田:実際、20歳で弾くのと25歳で弾くのとでは全く違いますし、特にクラシックは何回弾いても飽きないなと思います。ベートーベンのピアノ・ソナタ29番『ハンマークラヴィーア』は、耳が聞こえなくなったベートーベンがイメージの中で書いた曲なのですが、1曲で50分間あるんです。覚えるのも大変で、自分が勉強している時、ほかの方のコンサートに伺ったら、4回聴いたうち2回は暗譜が飛んで、途中で止まってしまっていました。
僕自身は16歳の時に勉強し始めて2、3年かけて仕上げましたが、それは、曲を知っておくため。40歳くらいになったらまた弾きたいと考えていて、その時にどうなるか、自分でも楽しみですね。今はまだ手の筋肉が若いけれど、年齢を重ねることによってもっともっと柔らかくなっていくでしょうし、手の形も変わり、音色が温かくなっていくはずなので。
ー体が変化していくというのは、勘十郎さんの踊りにも当てはまりますね。
勘十郎:年を経ることで、味も出てきますしね。僕が最初に母親の役を踊ったころにはまだ子どもがいなかったのですが、息子が生まれてから踊ってみて、「ああ、こういうものか」と分かるようになりました。
日本舞踊では60歳が一番良いといわれているんですよ。まだ足腰はしっかりしているけれど、渋味も人間味も出てきて、その人の技術というものが出てくる。一番脂が乗った時期になるわけですね。これが70歳になると、膝は悪くなるわ、跳べなくなるわで、思うように動かなくなってくるのですが。