鵜澤久
Photo: Keisuke Tanigawa
Photo: Keisuke Tanigawa

能の道をどこまでも行く

女性能楽師・鵜澤久の生き様

Hisato Hayashi
テキスト:: Ayako Takahashi
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タイムアウト東京>カルチャー> 能の道をどこまでも行く

テキスト:高橋彩子

700年近い歴史を刻み、ユネスコ世界無形文化遺産にも選ばれた、日本の伝統芸能、能。圧倒的に男性が多いその世界で、性差を感じさせない芸と存在感で光彩を放っている女性能楽師が、観世流シテ方の鵜澤久(うざわ・ひさ)だ。国際女性デーを迎える3月、そのインタビューを届ける。

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「男になりたい。なぜならば、能楽師になりたいから」

観世流シテ方能楽師の鵜澤雅(うざわ・まさし)を父に持ち、3歳で初舞台を踏んで「能にどっぷりハマっていた」という久。

「人前で自由に歌ったり演技したりするのがとても苦手な子どもだったんです。でも能には型があって、まず型をしっかり取り入れれば、あとは自由にできる。それならできたんです。私が考えるに、日本の文化は結果ではなく経過を大事にするので、そういうところも合っていたのかもしれません」

第二次世界大戦後、能楽界も女性に門戸を開き、今年で現役最高齢の98歳になる山階敬子(やましな・けいこ)をはじめ、プロの女性能楽師も少ないながら存在していた頃。父は弟子の発表会にそうした女性能楽師を呼ぶことはあったものの、娘がプロを志すことには反対だった。

「父は能楽の世界で非常に苦労した人。ましてや女である私にはあまりに過酷だから、賛成できなかったのだと思います。小学5年生の時、学校で将来何になりたいかという作文の課題が出て『男になりたい。なぜならば、能楽師になりたいから』と書いたのが、私にとって自分の考えを表明した最初。どれほどの思いだったかを先生が理解してくれなかったことに反発し、気持ちはより強くなりました」

「船弁慶」の子方を勤める小学6年生頃の鵜澤久(Photo:前島写真店)

「船弁慶」の子方を勤める小学6年生頃の鵜澤久(Photo:前島写真店)

13歳でシテ(主役)を初めて舞い、能の修業に打ち込む久。その頃、銕仙会の女性能楽師がいて、シテを2番舞い、後見もこなしていたことと、銕仙会の長である観世銕之丞家に女性が内弟子になっていたこと。その2つを見て、思いはますます強くなった。大学は東京藝術大学邦楽科で能を学び、大学院の修士課程まで進んだ。

「学生運動が盛んな時代で、大学に来ている生徒はあまりいませんでした。私もどこかに反骨精神は持っているけれど、素晴らしい囃子方の先生方が教官として見えていて、生徒が来なくても待っておられる。こんなもったいない話はないからと、6年間休まず通って教えていただきました。それはとてもいい勉強になりましたね」

折しも、父も所属する銕仙会から一人のスターが演劇界を席巻していた。銕仙会の長である七世観世銕之丞の長男・観世寿夫(かんぜ・ひさお)。国内のさまざまな演劇人と交流するのみならず、フランスの名優ジャン=ルイ・バローと親交を持つなど、53歳で早世するまで能の世界にとどまらない活躍をしていた人物だ。

「若い頃に寿夫先生の舞台と出会ったことは大きかったです。目からうろこというか、ゾクゾクとしました。私の原点です。当時、寿夫先生の舞台を観ようと、反体制的な若い学生も押しかけて能楽堂は満席で、立ち見も出て。その舞台がとにかく刺激的だったから、ぜひ稽古してほしい、と思ったんです。本来、私は父が銕仙会なので、男だったらそこに入るのが自然なのですが、女だったばっかりに父の反対にあって」

最後は根負けしたように、父が久を七世観世銕之丞の前に連れて行き、銕仙会に入ることが決まった。25歳の時だった。

逆境を乗り越えながらプロの道を歩んで

こうして、晴れてプロの能楽師としての道を歩み始めた久。しかしそこからは大変だった。

男性の能楽師が次々と本公演に出演する一方、久は稽古会(非公開)以外の銕仙会の舞台に出ることを15年以上も許されなかったのだ。

シテ方の能楽師はシテ以外に地謡(8人で情景などを謡うコーラスのようなもの)や後見(小道具の出し入れをしたり演者の装束を整えたりする役割)をこなすのも大きな仕事だが、その経験も一切できなかった。

それどころか、シテが舞台に出る際に2人がかりで行う「幕上げ」も、客席側から見える可能性のある舞台奥側を上げることは許されなかったという。

「基本的には幕の奥側を先輩が上げるものなのですが、私は常に手前側。良識ある後輩が『久さん、向こうに』と言ってくれたのでそちらを上げて怒鳴られたこともあります。現在ではそういうことはなくなりましたが、慣れているから手前側を上げることが多いです」

受け入れてもらったはずだが、なぜ女性がいるのかといった視線にさらされることも少なくない日々。久がノウハウを教えた後輩すら、久を追い抜いて舞台に立っていく。そんな中、結婚、そして出産を経験。一人娘は現在、気鋭の能楽師として活動する鵜澤光(うざわ・ひかる)だ。

「結婚すると言った瞬間、ある人に『もうおまえはおしまいだな』と言われました。妊娠したのはまだ舞台には出してもらえない時期だったけれど、寿夫先生が『楽屋で働くことも一曲の能を支える大事な仕事なのだ』とおっしゃっていて、私は誇りをもって楽屋に入っていたので、出産ぎりぎりまで働き、出産後もすぐに復帰して」

逆境の中、ただ辛抱を重ねるだけでは何も動かない。折に触れてさまざまな働きかけをし、あるいは結果を出すことで、道を開いてきた。国立能楽堂で始まった女性能楽師の公演のシリーズが中途で止まった時は、女性能楽師たちの署名を集めて嘆願書を提出したことも。

「能自体を諦めようと考えたことは一度もありません。能が好きだからどんなことでも我慢できる。50代後半くらいの頃にようやくシテとして銕仙会の定期公演の舞台に立たせてもらうと、シテ方能楽師として本来当たり前の後見と地謡も、やらせてもらうべきだと考えたんです。

でも、それはかなり難しくて、途中でさすがに諦めようと思ったことがあります。結局、今は銕仙会でどちらもさせていただいていますけれども」

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「やっと能楽師として胸を張って生きていける」

2018年、師の名を冠した「観世寿夫記念法政大学能楽賞」を受賞した。

「人生の中で一番大きな出来事でした。聞いた時には涙がぼろぼろ出て止まらなくなって。

受賞理由に『観世寿夫の薫陶をよく保持しつつ研さんを積んできた氏の舞台は、高い身体能力の上に鍛え抜かれた的確な技と作品に対する鋭い感性によって、性別を超えた独自の芸境に達している』とありました。性別は超えられるものではないし、みんながそれを認めてくれているわけでもないと分かっています。ただ、それが受賞理由にあったことで、やっと私は能楽師として胸を張って生きていける、と思ったんです」

今考えると、不遇の日々も決して無駄ではなかった。

「60歳ぐらいになってやっと地謡や後見をやらせてもらえるようになり分かったのは、若い頃から地謡や後見をやっている男性たちが、いかに舞台をじっくり観られないでいたか。一方、私は楽屋で働きつつ、みんなが出払ってからは舞台を観ることができました。同じ演目でも演じる人によっていかに違うかを知ったことが、どれだけ財産になっているか分かりません」

2023年現在、73歳。「まだまだこれから」と前を見つめる。

「寿夫先生は『能は演劇なんだ』と口癖のようにおっしゃっていました。演劇というとお芝居を想像する人が多いかもしれないけれど、あれは演劇的だと言った時には、その人が黙って立っているだけで、想像力をかき立ててくれたり、その人の一生が見えてきたりする。能も同じで、観ている人の心をいかに動かすことができるか。『能は演劇なんだ』とは、どういうことか。そのことを一生かけて追求していくつもりです」

Profile

観世流シテ方能楽師
重要無形文化財総合指定能楽保持者
銕仙会所属

1949年生まれ。東京藝術大学邦楽科、同大学院修了。「鵜澤久の会」を主宰。

観世流職分故鵜澤雅(父)及び故観世寿夫、故八世観世銕之丞に師事。3歳で初舞台「猩々」、13歳で初シテ「吉野天人」。1972年「乱」、1974年「石橋」、1982年「道成寺」、2006年「卒塔婆小町」、2013年「鸚鵡小町」、2017年「檜垣」を披く。2023年秋、「姥捨」を披曲予定。

銕仙会を中心に舞台活動中。海外に招聘されて公演やワークショップを行うほか、新作能、現代演劇など新しい試みにも出演。これまで能楽師としての地歩を固めつつ、能役者としてあるべき身体を探り、より良い舞台成果を上げるべく精力的に活動している。

1990年から毎年川崎市文化財団主催の「こども能楽鑑賞教室」を指導。2005年、川崎市文化賞を受賞、市民文化大使に任命される。2018年、観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞。

Contributor

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

ステージインタビューが読みたいなら……

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洋の東西を問わず、歴史上、女性が芸能の表舞台から遠ざかっていたケースは少なくない。英国エリザベス王朝時代のシェイクスピア劇では少年俳優が女性を演じていたし、江戸時代には女歌舞伎が禁じられ、男性が女形として女性を演じる歌舞伎のスタイルが生まれた。

その一方、女性が独自に継承し、今に至っている芸能もある。伝統芸能を担う女性の一人が、女流義太夫の語りを行う「太夫」の第一人者であり、重要無形文化財「義太夫節浄瑠璃」の各個認定保持者、つまり人間国宝の竹本駒之助だ。

日本のRPGの金字塔ともいうべき「ファイナルファンタジー」シリーズ。その中でも傑作の呼び声高い「ファイナルファンタジーX」が、360度に展開する舞台と円形の客席が特徴の「IHIステージアラウンド東京」で3月4日から新作歌舞伎になる。 架空のスポーツ「ブリッツボール」チームのエースである少年ティーダが、時空を超えてスピラの地に入り、出会った仲間とともにスピラの人々を苦しめる魔物シンに立ち向かっていくという物語は、青春群像劇のような雰囲気も感じられる。ヒロインのユウナを演じる中村米吉と、その幼馴染のワッカを演じる中村橋之助という、今回の出演者の中でも若い世代の2人に意気込みを聞いた。

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梅若玄祥と野村萬斎が語る、能と狂言の世界
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能楽堂に行ったことはあるだろうか。主に能や狂言が上演されるその劇場は、極めてシンプルで特殊な空間だ。「橋掛かり」という通路から現れた演者がたどり着く「本舞台」は30平方メートル余りの広さで、後ろに松の絵が描かれた板があるのみ。しかしそこはあらゆる世界、あるいは広大な宇宙になる。

そんな能楽堂にデビューするなら、親しみやすい題材による新作能と新作狂言が相次いで上演されるこの12月は絶好の機会だ。ここでは新作能「マリー・アントワネット」主演の梅若玄祥のインタビューと、新作狂言「鮎」主演の野村萬斎の記者会見でのコメントをもとに、それぞれの公演を紹介。

さらに玄祥から、初めて能楽堂へ行くタイムアウト東京の読者に向けてアドバイスももらった。

舞踊・演劇ライターの高橋彩子が共通点を感じる異ジャンルの表現者を引き合わせる『STAGE CROSS TALK』シリーズ。

第4回は、文楽人形遣いで、2021年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された桐竹勘十郎と、舞踊家で、愛知県芸術劇場芸術監督の勅使川原三郎が登場。共に1953年生まれの同い年で、どんな動きをもこなす優れた演者であり、また、「人形」「絵画」といった共通点も持つ二人。前編では、それぞれの原体験を聞いた。

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インタビュー:野村萬斎
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ある時は占術・呪術を使いこなす怜悧な陰陽師(映画「陰陽師」)、またある時は、智も仁も勇もないが人々に愛されるでくのぼう(映画「のぼうの城」)。多彩な顔を見せる野村萬斎だが、その根幹にあるのは、14世紀に確立され、現存する最古の演劇であり、ユネスコの世界無形文化遺産でもある狂言だ。祖父・故六世野村万蔵及び父・野村万作に師事し、3歳で初舞台を踏んだ彼は、その600年の伝統を引き継ぐ。

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