ー現在、歌舞伎俳優と清元の太夫の二足のわらじを履いている右近さん。一方、坂入さんは2021年までの10年間、ぴあの社員として働きながら指揮活動を続けられていました。音楽を志す方は大抵、音楽に関係したアルバイトをするでしょうし、そうでない場合は密かになさるのではないかと想像するのですが、公にされていたのが印象に残っています。
坂入:僕は音楽大学に行かず経済学部で学びましたし、大学卒業後も本当に好きなものをやるために自分で稼ぐんだという意志のもとでサラリーマンになりました。ぴあに入社した当時、指揮の先生などにも「ほかの仕事をするなら、もう一生指揮者にはなれない」と言われて、けれども僕はそうではないと思っていたんです。
というのも、オーケストラには少なくとも60人、多くて100人ほどの人がいます。それだけ多様な人がいる一つの小さい社会を、1、2時間のリハーサルでまとめなければいけない。どんな人ともきちんとコミュニケーションを取るには、一度は社会人になった方がいいと考えたんです。
右近:すごい冷静さですね。怖くなかったですか?
坂入:怖かったです。大学卒業後、親のすねをかじって4、5年研さんを積むこともできたかもしれませんが、ほかの同級生が稼いでいる中でそういう生活をすると自分は堕落しそうだなと思ったし、それよりも働きながら好きな楽譜を買ったり、好きな音楽を聴きに行ったりした方がいいな、と。
実際、夏休みになるとウィーンやベルリンに行き、好きな指揮者に直談判して弟子入りして練習を見せてもらうというようなことを、自分の稼いだお金で好きなようにできたので、音楽体験として自分の中に入ってくるものが多かったです。
坂入健司郎「東京ユヴェントス・フィル定期演奏会」から(Photo: (c)Taira Tairadate)
ー7、8年前だったか、私がぴあに記事を書いていて、担当の社員から「同期に指揮者がいるんです」と教えられたのが坂入さんでした。
坂入:ぴあ時代にはウェブプロモーション・マーケティングなどの仕事を経験し、出向で2年間、国家公務員として文科省でも働きました。
そうやってさまざまな職場を経験する中で、「やはりどんなに厳しいことがあってもクラシックの指揮が死ぬまで好きだ」と、もう確信を持って言えると思い、仕事を辞めて指揮者一本になったら、幸いにもいろいろなところからオファーをいただいて。
右近:国家公務員をなさるに当たっては、指揮に対して、クラシックに対しての気持ちを確かめるような感覚もあったのでしょうか?
坂入:そうですね。それもありましたし、日本の中で文化行政やスポーツがどう捉えられているのかを見られるチャンスでした。
右近:やはり距離感の問題ですよね。違うことをしていると「芸が荒れる」などと言われますが、例えば僕も、ミュージカルや映画など、歌舞伎から離れる時間はあっても、それで「荒れた」とは思わない。だって毎日、歌舞伎のことを考えているから。
坂入:間違いないです。たとえ疲れてサウナでぼーっとしていても、「練習、うまくいかなかったな。どういう言葉にすればよかったんだろう」といった具合に、音楽のことを考えている時間は多いですし。
右近:お仕事と音楽と両立されていたのが、お仕事を辞められて音楽だけになりましたよね? ということは距離がものすごく近くなったわけですが、そうなってみてどうでした?
坂入:大変でした。音楽が好きで、一生やっていけると確信を持ったが故に、あまりにも近過ぎて息抜きが必要な瞬間があり、「趣味を見つけないと!」と(笑)。
ー今はどんな息抜きをされているのですか?
坂入:料理をしたりしています。指揮と料理って似ているんですよ。
右近:そうなんですか?
坂入:楽譜はレシピだと思ってください。レシピ通りに作ったけれど、塩気が足りないからもうひとつまみ入れるのか入れないのか、お肉が焦げてしまうのはどうしてなのか、そういうふうに作りながら考えていくのは、もう本当に指揮にそっくりです。
指揮者は楽譜を見て自分の理想を作るという勉強をするのですが、オーケストラによって人も違いますし、進め方に反発する人や納得できない人がいたり、僕の言うことに納得はしてくれているけれどそれ以上に良くなるものをオーケストラ側が持っていたりする時があるんですよ。
そういう時は意地を張らず乗ってみる。そうしたら僕が100%で考えていたことが、120%になる可能性がある。でも押し付けたら80%にしかならないかもしれない。料理と同じなんです。だから結局、音楽のことを考えていて(笑)。
右近:やっていることは違っても、理論は音楽の延長線上にあるわけですね(笑)。