STAGE CROSS TALK 第5回(前編)尾上右近(歌舞伎俳優)×坂入健司郎(指揮者)
Photo: Keisuke Tanigawa
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STAGE CROSS TALK 第5回(前編)

尾上右近(歌舞伎俳優)×坂入健司郎(指揮者)

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テキスト:高橋彩子

舞踊・演劇ライターの高橋彩子が、共通点を感じる異ジャンルの表現者を引き合わせる「STAGE CROSS TALK」シリーズ。第5回は、歌舞伎俳優の尾上右近と、指揮者の坂入健司郎が登場。ともに伝統の世界に自らの意思で飛び込み、メキメキと頭角を表している30代だ。

右近は清元の太夫(唄い手)・栄寿太夫としても活動、坂入は最近までぴあ株式会社の社員と指揮活動を両立させており、「二足のわらじ」の経験者としても共通点を持つ。

前編では、それぞれのジャンルに魅入られたきっかけや、自ら選び取った一生の仕事への情熱を聞いた。

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ひょんなことから指揮に開眼

ー一般家庭から指揮者を志した坂入さんと、清元の家に生まれて歌舞伎俳優になられた右近さん。それぞれの世界に魅入られたきっかけから教えてください。 

坂入:両親はあまりクラシックを熱心に聴いてはいなかったのですが、幼稚園に入る前ぐらいの頃、僕がテレビで分冊百科のクラシック音楽シリーズのCMに興味を示して毎週買ってもらっていたんです。初回がチャイコフスキー、次がモーツァルトというふうに、作曲家の有名な曲の音源に作曲家の生涯を記した本が付録として付いていて、幼稚園生の頃には「この曲はこの作曲家」といったことを覚えました。

ある時、誕生日プレゼントとしてもらったCDが2枚とも同じドヴォルザークの「新世界より」だったんです。つまり、被ってしまった。それによって「指揮者が違い、オーケストラが違うとこんなに解釈が違うんだ」ということに気付いたんです。

右近:あ、けがの功名で!

坂入:そうなんです。「思っていた『新世界』と違う」「僕はこういうふうに振ってみたい」などと思い始めたのが、幼稚園の年長か小学1年生ぐらいの時でした。

右近:いわゆる作曲家に対しての興味と、音楽に対する興味と、最初はどちらが深かったですか?

坂入:まず歴史がすごく好きで、クラシックに興味を抱く前、歴史の漫画をよく買ってもらっていたんです。恐らく、そこにモーツァルトの生涯みたいなものが載っていたのではないかと。歴史を学ぶところから「この作曲家はこういうふうに作りたかったんじゃないか」などと考えるようになりましたね。 

それで、小学1年生の時にピアノを、中学1年生でチェロを習い始め、オーケストラに参加してみて、オーケストラ側から指揮者はどう見えるのかを経験した上で、指揮者になったんです。

右近:ずっと指揮者になることを考えて行動していたんですね!

歌舞伎俳優だった曽祖父の舞台にほれ込んで

ー右近さんは本名の「岡村研佑」の名で歌舞伎の舞台に立ち、名子役ぶりを発揮。そのまま歌舞伎俳優となられました。 

右近:僕の場合、清元(歌舞伎の伴奏音楽の演奏者)の家に生まれたので、歌舞伎との距離は近かったのですが、役者の家ではなくて。きっかけは3歳の時、僕の曽祖父にあたる歌舞伎俳優・六代目尾上菊五郎の舞踊「春興鏡獅子」を収めた小津安二郎監督の映画「鏡獅子」を観たことです。その舞踊のインパクトがすごく強くて、「これをやりたい!」と。 

ー同じく歌舞伎の舞台にも立ちながら、廃業して清元の宗家となられたお父様(清元延寿太夫)はどんな思いで見ていらしたのでしょう?

右近:伝統の世界では跡継ぎを作ることも大事なので、その意味で戸惑ったと思います。父も20歳過ぎまで歌舞伎の舞台に立ち、その後30歳前ぐらいまでは俳優業みたいなことをやっていて。そこから本腰を入れて清元の修業を始めたのですが、先輩たちが相次いで先立ち、教わることがなかなか難しい状況の中、周囲の皆さんに支えられながら一人で宗家という立場を築いてきたところがありました。

ですから、「教わる」という意味で孤独を感じていたところに今度は僕が歌舞伎役者になりたいと言い出し、教える側としての孤独も感じることになったと思います。僕自身、清元の太夫として唄うことは好きだったけれど、「役者をやるなら太夫は継げない、二つに一つだ」と言われ、役者を選んだ。

本来やるべきことを放棄しているからこそ、「歌舞伎をやるからには好きだという気持ちをちゃんと強く持たないと」と思って舞台に立っていました。

尾上右近

尾上右近。自主公演「研の會」第一回「春興鏡獅子」から(©️研の會)

ー12歳で「尾上右近」を襲名された時には私もインタビューしましたが、「歌舞伎の家の子ではないから人より頑張らないと」とおっしゃっていましたね。「おうちを継がなくて大丈夫なんですか?」と聞いたら「兄が」と。

右近:12歳でおうちを継がなくて大丈夫なのかと聞かれるって、すごくないですか?(笑)。

あの時は「兄が何とかしてくれるだろう」という気持ちでしたが、兄貴は三味線で、清元という組織では太夫、つまり歌を歌う人が跡を継ぐという伝統があるんです。それで26歳の時、太夫の跡継ぎと役者の両方やらせてもらうことはできないのかと各先輩に相談してみたら、「そういう時代だからいいんじゃないか」ということで、時代が許してくれました。

それまでの僕は、カレーもオムライスも食べたいけどオムライスは諦めなきゃいけないと思っていたわけです。でも実は「オムカレーが食べたい」と言うか言わないか、勇気の違いだったんです。

坂入:今の時代でなかったら難しかったんですか? 

右近:難しかったと思いますね。歌舞伎の歴史において、御曹司でない人が歌舞伎座などの舞台で真ん中に立つことはめったにありませんでした。それをくつがえす異端児が歌舞伎の歴史を作ってきた一面もあるけれど、その確率はものすごく低かった。

でも今は、社会も歌舞伎界も変わりつつありますし、僕も若輩なりに、そういう可能性が発展していった方が伝統の世界にも活気が生まれるのではないかと思っていて、その可能性を膨らませていく傾向に拍車をかける立場でありたいと考えています。 

ー坂入さんは、音楽家の家庭、家系に生まれた人たちと横並びになって、感じることもいろいろとおありだったのではないですか?

坂入:すごくありましたね。やはり2、3歳からピアノやバイオリンの英才教育を受けている人にはかなわないところもある。でも右近さんと同じで「好きで選んだことが自分にとって一番のお守り」というか、頑張ることのモチベーションでした。

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「歌舞伎+清元」「会社員+指揮者」の二足のわらじ

ー現在、歌舞伎俳優と清元の太夫の二足のわらじを履いている右近さん。一方、坂入さんは2021年までの10年間、ぴあの社員として働きながら指揮活動を続けられていました。音楽を志す方は大抵、音楽に関係したアルバイトをするでしょうし、そうでない場合は密かになさるのではないかと想像するのですが、公にされていたのが印象に残っています。

坂入:僕は音楽大学に行かず経済学部で学びましたし、大学卒業後も本当に好きなものをやるために自分で稼ぐんだという意志のもとでサラリーマンになりました。ぴあに入社した当時、指揮の先生などにも「ほかの仕事をするなら、もう一生指揮者にはなれない」と言われて、けれども僕はそうではないと思っていたんです。

というのも、オーケストラには少なくとも60人、多くて100人ほどの人がいます。それだけ多様な人がいる一つの小さい社会を、1、2時間のリハーサルでまとめなければいけない。どんな人ともきちんとコミュニケーションを取るには、一度は社会人になった方がいいと考えたんです。

右近:すごい冷静さですね。怖くなかったですか?

坂入:怖かったです。大学卒業後、親のすねをかじって4、5年研さんを積むこともできたかもしれませんが、ほかの同級生が稼いでいる中でそういう生活をすると自分は堕落しそうだなと思ったし、それよりも働きながら好きな楽譜を買ったり、好きな音楽を聴きに行ったりした方がいいな、と。 

実際、夏休みになるとウィーンやベルリンに行き、好きな指揮者に直談判して弟子入りして練習を見せてもらうというようなことを、自分の稼いだお金で好きなようにできたので、音楽体験として自分の中に入ってくるものが多かったです。

坂入健司郎

坂入健司郎「東京ユヴェントス・フィル定期演奏会」から(Photo: (c)Taira Tairadate)

ー7、8年前だったか、私がぴあに記事を書いていて、担当の社員から「同期に指揮者がいるんです」と教えられたのが坂入さんでした。

坂入:ぴあ時代にはウェブプロモーション・マーケティングなどの仕事を経験し、出向で2年間、国家公務員として文科省でも働きました。

そうやってさまざまな職場を経験する中で、「やはりどんなに厳しいことがあってもクラシックの指揮が死ぬまで好きだ」と、もう確信を持って言えると思い、仕事を辞めて指揮者一本になったら、幸いにもいろいろなところからオファーをいただいて。

右近:国家公務員をなさるに当たっては、指揮に対して、クラシックに対しての気持ちを確かめるような感覚もあったのでしょうか?

坂入:そうですね。それもありましたし、日本の中で文化行政やスポーツがどう捉えられているのかを見られるチャンスでした。

右近:やはり距離感の問題ですよね。違うことをしていると「芸が荒れる」などと言われますが、例えば僕も、ミュージカルや映画など、歌舞伎から離れる時間はあっても、それで「荒れた」とは思わない。だって毎日、歌舞伎のことを考えているから。 

坂入:間違いないです。たとえ疲れてサウナでぼーっとしていても、「練習、うまくいかなかったな。どういう言葉にすればよかったんだろう」といった具合に、音楽のことを考えている時間は多いですし。

右近:お仕事と音楽と両立されていたのが、お仕事を辞められて音楽だけになりましたよね? ということは距離がものすごく近くなったわけですが、そうなってみてどうでした? 

坂入:大変でした。音楽が好きで、一生やっていけると確信を持ったが故に、あまりにも近過ぎて息抜きが必要な瞬間があり、「趣味を見つけないと!」と(笑)。 

ー今はどんな息抜きをされているのですか?

坂入:料理をしたりしています。指揮と料理って似ているんですよ。

右近:そうなんですか?

坂入:楽譜はレシピだと思ってください。レシピ通りに作ったけれど、塩気が足りないからもうひとつまみ入れるのか入れないのか、お肉が焦げてしまうのはどうしてなのか、そういうふうに作りながら考えていくのは、もう本当に指揮にそっくりです。

指揮者は楽譜を見て自分の理想を作るという勉強をするのですが、オーケストラによって人も違いますし、進め方に反発する人や納得できない人がいたり、僕の言うことに納得はしてくれているけれどそれ以上に良くなるものをオーケストラ側が持っていたりする時があるんですよ。 

そういう時は意地を張らず乗ってみる。そうしたら僕が100%で考えていたことが、120%になる可能性がある。でも押し付けたら80%にしかならないかもしれない。料理と同じなんです。だから結局、音楽のことを考えていて(笑)。

右近:やっていることは違っても、理論は音楽の延長線上にあるわけですね(笑)。

両方やるのは相乗効果でしかない

ー右近さんがなさる歌舞伎と清元は、近い部分もあり、違うところも当然ありますね。右近さんにとって両者の関係性は?

右近:舞台上のパフォーマンスということで言えば、音楽を担当する側、つまり「お囃子(はやし)」には「囃し立てる」という意味合いがありますから、踊りやお芝居をする役者が踊りや芝居をやりやすいように、より良いものに見えるように、サポーターとしてアシストします。

例えば、ぱっと前に出て(声を)張ったり感情を入れたりした方が、その役者さんの気分が乗ってお客さんにもそれが伝わって良いんじゃないかと考えながらやらせてもらうこともあります。

逆に役者として、あまり意固地にならず、音楽家がやりやすいようにと考える場合もあります。生演奏ですから、演奏家が気持ちよくやってくれることも重要。「どうしてもこうしたい」というのはあるけれど、演奏側に全部譲ってもらうのではなく、「ここは譲るけれどこっちはこうしてほしい」と交渉する。そういうコミュニケーションの大事さは、双方やっているからこそ気付くことかもしれません。

坂入:まさに「芸が荒れる」の逆ですね。相乗効果!

右近:相乗効果だと僕は信じています。ただ、難しさもあります。役者の場合は例えばちょっと調子が悪かったらキーを下げるとか、逆に上げるとか、そういうことができるのですが、唄はキーが決まっていて変えられない。

例えば歌舞伎で立役(男の役)をやって強い野太い声を1カ月間出していると、筋肉痛のようにしゃがれるんですよ。その3日後に清元の演奏会がある場合、「大丈夫かな」と心配になる。目に見える傷と違って喉は分かりにくく、季節によっては3日で治ると思ったら1週間くらいかかったりしますし、清元のプロとしての経験値は5年ほどなので、まだ分からないところがあるんです。

そこでやせ我慢するのは違うから、清元の稽古で「今日のこの感じだと周囲に対してちょっと不安に思わせるな」と思ったら、状況を説明した上でその日は少し抜いてやらせてもらったりする。

清元に関しては副社長みたいな立場なので、社員の信用も得ていかなければならない時期。組織の人間に対して、副社長としてやってあげることと、いちプレーヤーとして納得させるということのどちらもが必要ですから。

坂入:クラシックでも、ジャンル間の行き来はある程度あるんですよ。オペラの場合、ピットにオーケストラが入って、オペラの歌手が演者として舞台に立つわけですが、有名なオペラハウスでホルンを吹いていた人が、歌えなくなった人の代理で歌ってそのままプロの歌手になった例や、楽器を演奏していた人がピンチヒッターで指揮をやってうまくいった例もあります。 

自分のことだけでなく、常に全体に対してアンテナを張っている人は2つのことを成し遂げるアーティストになれる。体力的なことや身体の調整は大変だと思いますが、むしろプラスしかないのではないかと、お話を伺っていて感じます。

右近:両方やっている人のモデルケースがないので、相談できる人がいないという意味では少し孤独でもありますが、どちらにも仲間がいるのは心強いですね。

 

後編に続く

Contributor

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

プロフィール

1992年5月28日生まれ。清元宗家七代目清元延寿太夫の次男。曾祖父は六代目尾上菊五郎、母方の祖父には俳優 鶴田浩二。

7歳で歌舞伎座「舞鶴雪月花」の松虫で本名の岡村研佑で初舞台。

12歳で新橋演舞場「人情噺文七元結」の長兵衛娘お久役ほかで、二代目尾上右近を襲名。

2018年1月、清元栄寿太夫を襲名。

1988年5月12日生まれ。慶應義塾大学卒業。井上道義、小林研一郎、三河正典、山本七雄各氏に師事。

2008年、東京ユヴェントス・フィルを結成、J.デームス、G.プーレ、舘野泉など世界的なソリストとの共演や数多くの初演を手がける。

2015年、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンへ出演、MOSTLY CLASSIC誌「注目の気鋭指揮者」に推挙される。

2016年から川崎室内管を主宰。

2020年、日本コロムビアから「月に憑かれたピエロ」をリリース。

尾上右近公演情報

坂入健司郎公演情報

2023年8月19日(土)「ミューザ川崎シンフォニーホール」

バイオリン:青木 尚佳(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)、チェロ:三井 静(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団チェロ奏者)、指揮:坂入 健司郎、演奏:東京ユヴェントス・フィルハーモニー

ブラームス:バイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 マーラー:交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

2023年8月23日(水)「東京芸術劇場コンサートホール」

「三大協奏曲」

バイオリン:前田妃奈、チェロ:鳥羽咲音、ピアノ=亀井聖矢 読売日本交響楽団(演奏) 坂入健司郎(指揮)

メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番

2023年8月26日(土)「東京芸術劇場コンサートホール」

「三大交響曲」

読売日本交響楽団(演奏) 坂入健司郎(指揮)

シューベルト/交響曲第7番「未完成」 ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」 ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界から」

もっと読みたいなら……

記念すべき第1弾に登場するのは、日本舞踊の流派「宗家藤間流」の宗家、藤間勘十郎と、ピアニストの反田恭平だ。ライブ芸術にも大きな影を落とすコロナ禍にあって、いち早く動いた点でも相通ずる二人の、それぞれの思いとは? 初回拡大版として前後編でお届けする。

第2弾に登場するのは、浪曲師の玉川奈々福とオペラ歌手の鳥木弥生。ともに声を使う仕事に従事し、ひょんなきっかけでそのジャンルや師匠と出会い、演者として活躍し、さらにはプロディースも手がけ、連載を持って文才を発揮する才女でもあり……と、共通するところの多い二人が語る、それぞれの世界の魅力や未来とは。前編、後編でお届けする。

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第3弾には、発表作が常に注目を集める演劇カンパニー、チェルフィッチュ主宰で劇作家、演出家の岡田利規と、ヨーロッパを中心にさまざまな歌劇場で活躍する演出家の菅尾友が登場。

第4回は、文楽人形遣いで、2021年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された桐竹勘十郎と、舞踊家で、愛知県芸術劇場芸術監督の勅使川原三郎が登場。共に1953年生まれの同い年で、どんな動きをもこなす優れた演者であり、また、「人形」「絵画」といった共通点も持つ二人。前編では、それぞれの原体験を聞いた。

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