あるがままに、無心で踊る
―2月に踊られた『白鳥の湖』は、東京バレエ団の団員としては最後、つまり「踊り納め」とのことでした。上野さんの『白鳥の湖』は、牧阿佐美バレヱ団での舞台を含め、何度も拝見してきましたが、演じるというより無心にご自分の踊りと向き合っているように見えました。
古典ではいつも「今回はこうやってみよう」「ああやってみよう」と試行錯誤したり、自分としてどうしたいかを突き詰めてみたり、一歩一歩すごく考えたりしてきました。でもこのところ、そうやって積み上げてきたものが自分の中に残っている中、どうやろうとかどこを見てほしいとか、そういうことを全部取っ払って、ただただ振付と役に没入するようになっています。
あるがままに自分を投入していくだけで自然と自分だけの部分が出るのだから、「私はこうです」は必要ない、と考えるようになったんです。
―最初に白鳥の主役を踊ったのは2000年でしたか。
1999年に、埼玉の籠原での公演で、怪我をされた草刈民代さんの代役として踊ったのが最初です。約半年後の2000年3月に東京のゆうぽうとホールで踊りました。1日限りの公演で、とにかく成功させたいという気持ちが強かったので、今も3月11日という日にちを覚えているくらいです。以来、全幕バレエとしては一番たくさん踊っている演目だと思います。
―東京バレエ団の『白鳥の湖』はブルメイステル版で、とても演劇的です。その中であれだけ無心に超然と踊られた。ご自身としてはどんな感覚でしたか?
ブルメイステル版では、ロットバルトがオディールを伴って王子のもとにやってくる3幕で各国の踊りの人々が全員ロットバルトの手下になり、相当な勢いで王子を攻め立てていきます。
その中でオディールが王子を誘惑するわけですが、すでに十二分に周囲が王子の心を動かしてくれているので、それこそ超然と君臨しているだけで成立するんです。すっと立っているだけでも、周囲のおかげで王子は「これが自分の求めている女性だ」と思ってくれる。
そこでオディールが、変に誘惑しようと頑張る演技をすると、うるさくなってしまいます。ノーマルなバージョンですと、周囲のみんなは味方ではないので、ロットバルトと相談して王子を引き寄せては突き放しという駆け引きをするのですが、ブルメイステル版の場合はそれは周囲が作っていて、グラン・パ・ド・ドゥが始まる時はもうすっかり虜なんです。
―そうなると、水香さんご自身の近年の境地とブルメイステル版が合っていたとも言えるのですね。今後も何らかの形で踊られるにしても、一つの区切りとして胸に去来したものはありましたか?
私はどんな舞台も、今回が最後だと思いながら踊ってきました。それこそ最初に『白鳥の湖』をやらせていただいた時、ある先生から「牧阿佐美先生は、一度踊らせて良くなければ、二度と踊らせないこともある。今回だけだと思って臨んだ方が良い」と言われて。以来、東京バレエ団に入ってからも毎回、明日死んでしまうかもしれないくらいの気持ちで舞台に立ってきたんです。
でも実際、それぐらいの気持ちを舞台に持っていくと、お客様にもその思いが伝わるんですよ。だから、今回も同じような気持ちで踊っただけで、踊り納めだからこうということはなくて。
ただ、今回スペシャルなことだと思ったのは、周りで一緒に踊ってくれる仲間の「頑張れ!」「お願いだからちゃんとやって」といった圧、そして「良いものを観たい」「良いものを見せてくれるに違いない」と信じてくださるお客様の気持ち。そういう、良い意味でのエネルギーを私は360度から受け、それを身体に反映させながら踊ることができました。