28歳で触れた性教育が人生の転機に
ー性教育の本というと、素人目ながら専門書的な内容に思えます。翻訳が決まった時の心境を教えてください。
「ぜひやらせてほしい」と快諾しました。若い人たちに向けて、性に関することを丁寧に正直に伝える機会が大切だと感じていましたから。
そう考えるようになったきっかけは、日本で役者をしていた2008年、ドイツの性教育をテーマにした舞台です。僕自身、その芝居のおかげで性教育の大切さを学べましたし、役者として仕事仲間にゲイだと初めてカミングアウトしました。
演出家は日本で活動するドイツ人で、稽古中は何度も「正直に、恥ずかしがらないで」と指導されました。当時はまだ夫と知り合う前で、英語も話せず、性教育も日本で受けたものしか知らず、役者同士で性について話し合いながら芝居を作り込んでいきました。
その脚本は1970年代のドイツで作られたものですが、同性愛についても描かれていました。台本には「同性を好きになる人もいる」と分かるシーンもあり、当時28歳で自分のセクシュアリティーをずっと隠して生きていた僕は、そんな舞台に立つのに秘密を隠しているのが「なんか嫌だな」と思って。役者仲間や演出家に自分がゲイであることを伝えました。
ー舞台で性教育に触れたことで、みっつんさん自身は人生の幅を広げられたんですね。
これまでのセックスに関する考え方も変わりました。そして、日本の性教育が不十分であることに気付かされた舞台でもありました。当時もまだ性教育がタブー視されていた頃です。僕はその時、海外の教育と比較しながら、本来であればしっかりと教えなければならないということを感じました。
そういった経験があったので、本書の翻訳作業では、あの時の舞台で学んだ「正直に、恥ずかしがらずに」を大切にしました。日本語の表現に合わせて、オブラートに包むような言葉使いは絶対したくなかったんです。
ー確かに、女性器を「ヴァギナ」などの学術用語ではなく、俗語の「マンコ」という表記だったのは印象的でした。
「マンコ」の話は編集者とも話し合って、使うことにしました。ほかの性教育本なんかも参考にしましたが、いろんな表現のうちの一つといった感じの扱いの本が多い印象でした。この言葉をしっかりと使っているのは本書の特色だと思います。
元々は女性器を表す体の名前でしかないのに、人を卑下するために使われていたり、隠語として扱われていますよね。それはスウェーデンでも一緒なんです(スウェーデン語版では「Fitta」(フィッタ)、英語版では「Pussy」と訳されている)。
著者は「これは体のパーツの一部でしかないから、この言葉を使うよ」と宣言して本書内で使っています。あえて堂々と使っていくことで、持っている言葉の性格を変える意図もあったんじゃないかなと思います。
だから、そのまま訳さないといけないと思ったん