車の中でバロック音楽がずっと流れているような環境だった
ーSHOKOさんは現在ソロとして、そしてKUUNATICとしても幅広く活動されていますね。活動内容を教えてください。
ソロ活動では、アシッドフォークのシンガーソングライターとして活動してます。KUUNATICではベースとヴォーカルで参加させてもらってます。
ー音楽に興味を持ったのはいつ頃でしょうか?
もう10年くらいかな? 家でポロポロ弾き始めたのが中学3年生くらいの時で。おばさんが置いてったアコースティックギターがあって、それを手にしたのがきっかけです。あと、3歳からピアノを習っていて。親の教育方針で習っていたのとスパルタだったのがきつくて、小学校高学年の時にやめました。
ーどんな音楽を聴いて育ちましたか?
小さい時は、車の中でバロック音楽がずっと流れているような環境だったんです。それも親が聴いていたものなんだけど。あとはクラシックやヨーロッパの古い宗教音楽みたいな音楽も、半ば強制的に聴かされていました(笑)。
その反骨精神でロックを聞くようになって。クラシック音楽ばかり聴いている環境も嫌だったし、親と同じ音楽家になるのが嫌で、美大に行く道を選んだのもそれがきっかけですね。でも気がついたら、クラシックとは全く違うジャンルだけど音楽をやり始めていて。 美大の頃はクラウトロックやサイケデリックロックを聴いていました。その前はJoy Divisionとかイギリスのニューウェーブを中心に聴いていました。
ー学生時代からバンド活動をしていたのでしょうか。
中学生と高校生の頃はちゃんとしたライブハウスで演奏したことがなかったけど、軽音部とかのみんなの活動を見て、彼らよりいい音楽作ってる自信はあったのに外に出せず、フラストレーションを感じたりしていました。バンドを組んだのは大学に入ってからです。「松田性子」っていうバンド名で(笑)。
松田性子は初心者のドラマーの子が、15センチのピンヒールを履いてドラムを叩く、みたいなガールズポストパンクバンドでした。
その後にTOLCHOCKというバンドを組んで。同じ大学に通っていた、Minami DeutschのTAKU(ギター)に大学のキャンパスで「じゃんけんで勝ったら俺のバンドでドラムをやれ」って声をかけられたことがきっかけ(笑)。じゃんけんに勝っちゃって、 ドラマーとしてやることになりました。