鉄男
Photograph: Kaijyu Theatres
Photograph: Kaijyu Theatres

人生で観ておくべき、日本映画ベスト50

タイムアウトワールドワイドが選ぶ、時代劇やホラー、アニメーションの名作

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タイムアウト東京 > 映画 > 人生で観ておくべき、日本映画50選

日本映画には大きな魅力と素晴らしい監督の存在がある。特に黒澤明は、この地球上で最も偉大な映画監督といえるが、日本が生んだ名監督は彼だけではない。小津安二郎や宮崎駿、溝口健二、市川崑ら、映画「東京物語」「七人の侍」「となりのトトロ」など、圧倒的な名作を生み出し映画界に貢献してきた。

サイレント時代から戦後の映画黄金期をへて、パンキッシュで挑発的な1960年代のニューウェーブ、アニメーション作品の爆発的なヒットを生み出した。そして、多くの作品はアメリカやヨーロッパで大きな影響力を持つようになった。タランティーノやスコセッシは、大の日本映画好きで伝達者であり、ゴジラはハリウッドの大作映画としてとどろき続けている。

しかし、あまりに多くの作品があるため、何から観ればいいのか頭を抱えてしまうかもしれない。ここでは、タイムアウトワールドワイドが選んだ「日本映画ベスト50」を紹介しよう。

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1. 七人の侍(1954年)

監督:黒澤明

日本映画、あるいは世界映画、いや、映画そのものの入門となる作品を探しているならば、この映画から始めてみてはどうだろう。黒澤明の数ある傑作の中でも最も優れたこの作品は、そのシンプルさゆえに、何世代にもわたる映画ファンにとっての「初めての映画」のひとつとして機能してきた。

舞台は、盗賊に包囲された日本の貧しい村。村人たちはなけなしの金を出し合って、村を守ってもらうために侍の寄せ集め集団を雇う。この基本的な設定から、黒澤は爽快、愉快、共感といった感情が次々と押し寄せる叙事詩を紡ぎ出した。

ハリウッドでは、「マグニフィセント・セブン」から「バグズ・ライフ」に至るまで、あらゆる作品で「七人の侍」のプロットが活用されてきた。207分という上映時間はとてつもなく長いと思うかもしれないが、そんなことはない。2時間半という時間が、これほどあっという間に過ぎていくのを感じたことはないはずだ。

ーMatt Singer

2. 雨月物語 (1953年)

監督:溝口健二

「怪談」「鬼婆」「リング」など、日本映画には素晴らしい「幽霊モノ」があるが、溝口健二が監督したこの不気味な時代劇映画に勝るものはないだろう。ヨーロッパの映画祭でブレイクしたこの映画は、日本映画の力と技巧を発見し始めた西洋の映画ファンが日本映画にはまるきっかけとなった。

この作品には間違いなく「力」と「技巧」の両方が備わっている。遠景を映しながらカメラが移動していくと、みすぼらしい陶器職人をとらえる。彼は自分を誘惑してくる謎めいた女に心を惹かれるが、なんと彼女は幽霊なのだ。一方、男の妻子は、彼が出ていった村で苦しい生活をしている。戦国の世を背景にこの映画で描かれた、暴力的な時代に生きる女性を慈しみ寄り添う強い思いは、70年経った今でも観る人の心を打つ。

ーPhil de Semlyen

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3. 東京物語(1953年)

監督:小津安二郎

小津の作る映画は、観る人の心に突き刺さる。あまりにも優しくゆっくりと刺さっていくので、気づいたときには、深く心を貫かれているのだ。この家族ドラマで、小津監督は壊れゆくものを静かに描く独自の作風の頂点を極めたのである。

表面的には、老夫婦が東京に住む成人した子どもたちを訪ねるというシンプルなストーリーで、決してワクワクするようなものではない。だが、そこに描かれるのは、現代日本における老い、子育て、そして人間が持つ欠点であり、それらに対して容赦なく切り込んでいる。この映画を観終わった後は、親を持つ人なら誰でも、静かに考え込むことになるか、いますぐ親に電話をかけようとするだろう。

ーMatt Singer

4. 羅生門(1949年)

監督:黒澤明

映画界で最も影響力のある作品の1つ。「羅生門」の多視点のストーリーテリングは、「ユージュアル・サスペクツ」から「ゴーン・ガール」まで、あらゆる作品に感じられる。また、「ザ・シンプソンズ」で名前が挙がった数少ない日本映画の一つでもある。

黒澤は、京都の田舎で起こった侍の殺人という同じ事件を4つの視点(そのうちの1つはあの世からの視点)で描いた。この映画は、描かれたそれぞれの話が矛盾しており、証拠などいかに当てにならないかを示しつつ、迷路のような世界に我々を導く。本当のところ何が起こったのか?  まあ、映画を観た後の自分たちの見解でさえ、疑うべきだろう。

ーPhil de Semlyen

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5. 晩春(1949年)

監督:小津安二郎

小津安二郎による哀愁漂う父娘ドラマは、映画版「ターディス(TARDIS)」といえるかもしれない。つまり、外から見ただけではこじんまりとしているが、内側には多くのものを秘めているのだ。

妻を亡くした大学教授の周吉(笠 智衆)は、自分の幸せを犠牲にしてでも、27歳の娘、紀子(原節子)の結婚を見届けたいと願っている。彼女は父の考えを知り驚きながらも、喜々として彼の世話をし続けている。そこで、周吉は自分は再婚すると嘘をつくことを決意する。

静かで穏やかな小津作品では、予想外の展開は何も起こらないが、この作品で小津は高貴な意図と後ろめたい意図が流れ出し混じり合う場を描く、無数の手法を見出している。本作品は、世界の映画の中でも最も偉大な「泣ける映画」の一つと言えよう。笠の切ないため息だけでも、観客を泣かせるのに十分だ。

ーPhil de Semlyen

6. 砂の女(1964年)

監督:勅使河原宏

海岸の探検に出かけたアマチュアの昆虫学者の男が、深い砂の穴に閉じ込められてしまう。そこにいるのは、砂をバケツにかき集めるという過酷な仕事をさせられている名無しの女。2人は砂丘の底にある小さな小屋で同居することになる。

「砂の女」は、日常生活の言いようのない不安や無力感、不満を描いた、魅惑的でシュールな作品だ。この映画を観ると、夢を見ているかのような感覚に引き込まれてしまうだろう。

ーAnna Bogutskaya

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7. 千と千尋の神隠し(2001年)

監督:宮崎駿

このアニメ映画で描かれている魅惑的な世界は、宮崎駿の類いまれな想像力の中にだけ存在している。にもかかわらず、ファンたちはこの作品に登場する奇妙な湯屋に似ている、もしくはインスピレーションを与えたと思われる、実在のスポットを探し求め、遠くまで足を運んでいる。

食欲旺盛な精霊や手足が6本ある釜焚き男などの魅力的なキャラクターに出合えるこのオスカー作品は、デジタル化が進む世界において、たとえ1分のシーンを完成させるのにひと月かかったとしても、手描きアニメの価値が高いことを証明していると言えるだろう。

ーEmma Steen

8. AKIRA(1988年)

監督:大友克洋

大友克洋自身のSF漫画大作を原作とする「AKIRA」の未来像(2019年が舞台なので、今では過去になってしまった)は、多大な影響力を持っている。例えば、「サイバーパンク」と呼ばれるクリエーションの多くにその影響の跡を見ることができる。言うまでもなく、バイクをスライドさせる象徴的なシーンは、以降のアニメーションでオマージュされている。

けばけばしく資本主義的で荒廃した地域を、目を見張るような色彩で描いたビジュアルは観る者を圧倒する。おぞましい肉体が生み出す恐怖を織り交ぜたこのアニメ映画は、限りなく独創的だ。不満を抱える若者たちのどちらかといえば単純で感傷的な物語が、暴走族のリーダー金田とその幼なじみの鉄雄の対立が爆発していく中、壮大な結末を迎える作品へと昇華している。

ーKambole Campbell

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9. 切腹(1962年)

監督:小林正樹

小林正樹の傑作は、チャンバラ映画の分野で、何ものにも脅かされない頂点に立つ。「七人の侍」でさえもその分野では見劣りがする。クライマックスは予想を裏切る暴力の嵐で、「キル・ビル」が「バンビ」に見えるほどだ。

本作が独創的な理由は、物語の構造にある。ある浪人が有力藩主の江戸屋敷で切腹の許可を求めるところから始まり、同じ依頼をした別の浪人の苦悩と屈辱の運命がフラッシュバックされる。この2人はつながっている? 大変なことが起こる? まさにその通りだ。

ーPhil de Semlyen

10. CURE(1997年)

監督:黒沢清

刑事たちを困惑させる殺人事件が連続して発生。被害者たちの遺体にはどれも「X」の文字が刻まれ、現場近くにいた犯人たちはあっけなく自白するが、自分がどのように罪を犯したのか、なぜ罪を犯したのか、そろいもそろって覚えていないと言う。

黒沢清はアメリカのホラー映画が大好きで、この作品はそのオマージュとして構想された。「リング」や「呪怨」のような超自然的な作品の影に隠れているようにも思えるが、「Cure」は90年代後半に世界を席巻した「Jホラー」の強力な先駆けとなる作品の一つだ。

ーAnna Bogutskaya

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11. 乱(1985年)

監督:黒澤明

年老いて、輝いていた時代が終わりつつあることに抗うリア王。このシェイクスピアの名作「リア王」の主人公の心情そのままに、歳を重ねた黒澤明は舞台を封建時代の日本に置き換え、壮大で力強い大作を生み出した。黒澤が「乱」を監督したのは、75歳の時。監督としての絶頂期である。

本作には仲たがいしていた三船敏郎の出演こそないものの、恐れられてはいるが徐々に狂気にとらわれていく武将を、仲代達矢が好演。武将が築き上げた国は、彼が息子たちに分割して譲った後、崩壊していく。広大な風景、広角で捉えられた荒々しい戦闘、映画を彩る原色の鮮やかな輝きなどに圧倒される。シェイクスピア作品がこれほどまでに壮大で華麗に描かれることはまれだろう。

ーEd Cunningham

12. パーフェクトブルー(1997年)

監督:今敏

インターネットが夢の空間であるというアイデアは、今敏が最後の作品「パプリカ」まで探求し続けてきた。そのテーマが最も恐ろしい形で映像化されたのが、デビュー作だ。主人公の未麻の視点からの映像により、アイドルから女優に転身した彼女が、偏執狂のファンにストーカーされているうちに現実を把握できなくなっていく様子を、追体験できる。

タイトな編集と無駄を省いたストーリーテリングも相まって、あらゆる映像シーンが信用できないものになっていく。(1997年当時に)本作品で描かれたネット上の嫌がらせや、相互接続されたデジタル環境の闇は、不安をかき立てるだけでなく、気味が悪いほど正確に将来を予言していたと言えるだろう。

ーKambole Campbell

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13. リング(1997年)

監督:中田秀夫

リメイク、続編、パロディ、クロスオーバーが繰り返される中で、この作品の流れをすっかり学習しているはずだ。呪われたビデオテープを受け取り、それを再生し観た人は、髪の長い幽霊「貞子」の手にかかり、7日後に死ぬ、というものだ。

本作は映画祭で大ヒットし、世界中がジャパニーズホラーに夢中になる火付け役となった。貞子の生気のない白目、剥がれた爪、途中の動作をいくつも切り取られたような動きなど、シンプルな細部に宿る恐ろしさは、オリジナルならではのものと言える。

ーAnna Bogutskaya

14. 東京オリンピック(1965年)

監督:市川崑

1964年東京オリンピックの公式ドキュメンタリーは、スポーツにおける人間離れした才能や情熱を祝福しているだけのものではない。「ビルマの竪琴」などで知られる市川崑は、一大イベントを選手という人の視点から描き、努力の積み重ねや抱えている葛藤を探っている。

人目を引き印象に残る手法で撮影されているが、決して文脈や政治的視点が失われているわけではない。例えばオリンピックに初参加したアフリカの国々を捉える上で、市川は反植民地主義の闘いを念頭に置いている。そうしたアプローチのおかげで、スポーツドキュメンタリーの水準を上げ、魅惑的で美しい作品に仕上がった。

ーKambole Campbell

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15. 生きる(1952年)

監督:黒澤明

黒澤明の作品中、最も静かで最も心が痛む映画である。末期の胃がんと診断された下級官僚(志村喬)は役所を欠勤し、人生の意味を求めて最後の1年を過ごす。 最初は東京のバーやダンスホールで楽しむことに意味を見出そうとするが、やがて自分の死後も長く残る最後のプロジェクトに意味を見出したのだった。

これほどまでに人間の存在の核心に迫り、レガシーを残すことの本当の意味を教えてくれる映画はほかにない。2022年にはビル・ナイの主演でなかなかの出来栄えのイギリス版リメイク「生きる LIVING」が公開された。しかし、オリジナルである本作品の夢を見ているような深い情感は、完全に再現できるものではない。

ーMatt Singer

16. 山椒大夫(1954年)

監督:溝口健二

11世紀が舞台の本作を観ると、12世紀は優しく包み込んでくれるような時代になってほしいと祈らざるを得ない。とはいえ、次の世紀では、ここまでひどい腐敗と抑圧、残虐行為が横行することはまずないだろう。

主人公は、正義を貫いた判官の父と生き別れた孤児。非道な行いの犠牲になり続けた末にようやく、世の中には善い人もいるのだということを知る。この主人公を通して、作品の中心にある「慈悲のない人間は人間ではない」という考え方が体現されている。本作品では悲惨な出来事が次々と起こるが、溝口が注意深く描いたように、その大部分は女性が被害者だ。

撮影はおなじみの宮川一夫が担当。滑るようなパンと長回しが印象的だ。

ーPhil de Semlyen

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17. 浮草(1959年)

監督:小津安二郎

アメリカ映画批評界のレジェンドであるロジャー・エバートは、小津安二郎を「何よりも構図を重視する監督」と評したことがある。小津が50年代後半に、カラーフィルムに移行したとき、その緻密なビジュアルスタイルは間違いなく完璧なものになった。

彼が6本制作したカラー映画のうちの3作目「浮草」は、旅回りの歌舞伎劇団が訪れる、のどかな海辺の町の物語。本作は、紺碧の空、色とりどりの旗、赤いアイスキャンディー、緑の木々を背景に、つかの間の情熱と日々の生活の中でのちょっとした出会いに満ちあふれている。

鮮やかな「キャンバス」は、小津が作る穏やかで瞑想的な物語が持つ、観る者を引きつけてやまない雰囲気をさらに豊かにしている。

ーJames Balmont

18. となりのトトロ(1988年)

監督:宮崎駿

スタジオジブリの生み出す世界には、勇敢なヒロインや幻想的な生き物がたくさんいるが、タイトルにもなっている森の精ほど有名なものはないだろう。「トトロ」は、スタジオジブリ社の公式ロゴになっていることでも知られている。

戦後の日本を舞台にしたこの魅力的な物語では、田舎町の新しい家に引っ越してきた2人の姉妹が、近くの森で神秘的で人懐こい生き物の一家に出会う。同スタジオの後の作品に見られるような、西洋の童話に影響を受けた、邪悪な魔女や善と悪の壮大な戦いは出てこない。

しかし、ジブリの古典的作品には、何世代にもわたって愛されるのに十分すぎるほど、宮崎の魔法がたっぷり詰まっている。

ーEmma Steen

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19. 用心棒(1961年)

監督:黒澤明

1960年代半ば、セルジオ・レオーネはマカロニ・ウェスタンブームのきっかけを作った映画「荒野の用心棒」を世に送り出した。したたかな腕利きのガンマンが町に現れ、金儲けと面白そうだということだけで、町を二分する無法者集団を対立させるという物語だ。同作品は、クリント・イーストウッドが演じた「名無しの男」を、時代を超えたアンチヒーローに仕立て上げた。

しかし当時、「荒野の用心棒」が黒澤明監督のサムライ映画の傑作「用心棒」を基にしたものであることを知る西部劇ファンは、ほとんどいなかった。6連発拳銃を剣に、西部開拓時代を江戸時代後期に置き換えれば、日本の黄金時代における最高のサムライ映画になることは容易に想像できるだろう。

三船敏郎は「サムライヒーロー」として非常に象徴的だ。1年後には続編的作品である「椿三十郎」でも主演をしている。

ーJames Balmont

20. HANA-BI(1997年)

監督:北野武

監督の北野武が主演も務めた作品。彼が演じるのは、白血病の妻と職務中に下半身不随になった相棒を持つ刑事。 寡黙な彼はヤクザの取引に関わっていき、元相棒は絵を描くことに挑戦する。これまでにない静ひつで瞑想的、かつ華やかなヤクザ映画が誕生した。

しかも、作品を生み出した北野は、伝説的な視聴者参加型バラエティー番組「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」の「城主」と同じ人物なのだ。

ーEd Cunningham

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21. オーディション(1999年)

監督:三池崇史

妻を亡くしたある男が、新しい妻のオーディションを開催することになった(Tinderがなかった時代の話)。男はモデルの椎名英姫が演じるミステリアスな女性、麻美に心を奪われる。数回のデートの後、彼女は彼を縛り付けてしまう。それはいい意味ではない。

不気味であることにおいては、世界的な大ヒットを記録した「リング」と共通していて、しわじわとくる心理的苦痛とエレガントなグロテスクさが兼ね備わっている。針に恐怖を感じる人は、この作品と距離を置いた方がいいかもしれない。

ーAnna Bogutskaya

22. 天国と地獄(1963年)

監督:黒澤明

黒澤明が挑んだ「犯罪モノ」の映画。当時日本全国で多発していた拉致事件に触発されて作られた作品で、エド・マクベインの「キングの身代金」を原作としている。

基本的には地味な経営者が運転手の息子を誘拐した犯人を追い詰めるという、スリリングな誘拐映画であり警察ドラマでもある本作。だが、資本主義の悪徳ぶりや好景気から取り残された人々の怒りに満ちた不平不満を鋭く描いた社会派ドラマでもある。

三船敏郎、「東京物語」の香川京子、「切腹」の仲代達矢など、オールスター俳優が集結しているのも魅力。「パラサイト」のファンも必見だ(ポン・ジュノがインスパイアされたと公言している)。

ーAnna Bogutskaya

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23. ゴジラ(1954年)

監督:本多猪四郎

ゴジラはなぜこんなに愛されているのだろうか。核の不安を焼き付けたから? それともミニチュアセットの草分け的存在だから? まあ、その両方かもしれない。

ゴジラの中に人が入っていることを知っていても、この怪獣映画がこれほどまでに信じられるのは、監督の本多猪四郎が破壊に対して真摯(しんし)に向き合ったからだろう。 彼は、人類は時に自分の居場所を思い知らされる必要があることを知っていた。このメッセージは「ゴジラ」以降、多くの偉大な怪獣映画に受け継がれている。

ーPhil de Semlyen

24. 怪談(1964年)

監督:小林正樹

日本の民話をベースにしたオムニバスホラー映画。重きが置かれているのは、徹底的な恐怖よりも不気味さだ。全4話で、復讐<に燃える幽霊、雪の精霊、憑依(ひょうい)した髪、欺瞞(ぎまん)に満ちた男たちをテーマにした物語から構成されている。

空から見える目の幻影や呪文で体を覆われた男など、この映画の夢の中にいるような映像は、映画史の中でも最も美しいものの一つといえるだろう。

ーAnna Bogutskaya

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25. 幻の光(1995年)

監督:是枝裕和

映画「ワンダフルライフ」や「万引き家族」で知られる、是枝裕和のデビュー作。夫を原因不明の自殺で亡くした女性の悲しいドラマだ。それだけ聞くと、高揚感を感じる作品ではない。メランコリーに浸ることなく厳粛で、忍耐強いだけでなく華やかかつ、癒しを感じる映画でもあるのだ。

冷たく静まり返った大阪の街と、風雨にさらされた能登半島のドラマチックな光景とのコントラストには目を奪われるものの、孤独な女性を描くのに多くの時間を割いているのが印象に残る。

ーEd Cunningham

26. ビルマの竪琴(1956年)

監督:市川崑

卓越した技量を持った市川崑は、50年代後半、2本の強力な反戦映画で欧米にその名を知らしめた。映画「野火」では第二次世界大戦の悲惨さを衝撃的に描いた一方、アカデミー賞にノミネートされた本作では、軍人についてより感傷的な見方を示している。これは、思いやりのある人物を主人公にした、物悲しく哲学的なドラマといえる。

音楽好きな兵士の水島(安井章司)は、日本兵のグループをイギリスに降伏させるために奮闘する。しかしその後、水島は姿を見せなくなった。かつての大隊は、彼に何が起こったのかを考えることになる……。

ー
James Balmont

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27. 鬼婆(1964年)

監督:新藤兼人

日本映画には民話や怪談の豊かな歴史があるが、新藤兼人はこのエロティックホラー作「鬼婆」で、その両方を見事に表現している。

主演の乙羽信子と吉村実子が演じるのは、ある女とその嫁。男たちが戦場に行っている間、彼女は湿地帯に迷い込んだ侍を殺し、身に着けているものを奪って生き延びている。これは欲望、嫉妬、絶望、そして復讐の物語であり、地獄のような湿地帯はそれ自体が忘れがたいキャラクターとなっている。

映像は冷ややかなモノクロで、口笛や荒々しいサウンドデザインも素晴らしい。「鬼婆」の不可解な葦の中には、多くのタッチ、サスペンス、美しさがある。

28. バトル・ロワイアル(2000年)

監督:深作欣二

ある世代にとって、このディストピアスリラーは日本映画への入り口となった。舞台は不況、失業、非行がまん延する近未来の日本。政府公認の人口を選抜除去するイベントで、中学生たちが1人だけ生きて脱出することを許されるという戦争ゲームを繰り広げる。

「ハンガー・ゲーム」との類似点が多いが、この作品では若者向けの暴力描写を薄めず、風刺も効いている。「イカゲーム」を知った現代でも、この作品における権威主義への批評は強く心に響く。

ーMatt Singer

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29. 修羅雪姫(1973年)

監督:藤田敏八

テレビが普及し、映画離れが加速した60年代後半。日本の大手映画会社は映画館へ観客を取り戻すべく、手軽にスリルが味わえるバイオレンスをテーマにしたエクスプロイテーション映画を作るようになった。そうしたシーンでスターになったのが、梶芽衣子だ。

梶を最も有名にしたのが、カルト的名作「修羅雪姫」。彼女は本作で、両親の罪を晴らすため血みどろの復讐に燃える雪を演じ、鋭い眼光を見せた。

クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」に大きな影響を与えたことでも知られている。雪が降る中庭のセットを見比べてみるといいだろう。

ーJames Balmont

30. 火垂るの墓(1988年)

監督:高畑勲

空襲で母親を亡くし栄養失調になった2人の子どもが、ホタルの光が差し込む防空壕に避難するという、スタジオジブリ制作の物語。戦時中の日本の民間人の生活が、これほどまでに切なく伝わってくることはないだろう。

高畑勲は、スタジオジブリの共同設立者である宮崎駿(「となりのトトロ」はこの作品と同日公開された)ほど知られていないかもしれない。しかし日本の観客に深い感動を与えたのは、間違いなく高畑の方だ。

彼はこの美しいアニメーションの傑作で、間宮道夫による感動的なスコアの助けも借りながら、子ども時代の気まぐれと悲惨な破壊を、心に染みるように並置した。クライマックスは圧倒的だ。

ーJames Balmont

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31. HOUSE ハウス(1997年)

監督:大林宣彦

1970年代後半に公開された時は酷評されたが、その後カルト的な人気を呼んだ「ハウス」は、広島県生まれの映像作家、大林宣彦の代表作だ。風変わりで独特なホラーコメディーは、人工的な感覚や、わざとらしく子どもじみた特殊効果を楽しんでいるように思える。狂気的な世界観をより一層高めているのが、コラージュのような映像だ。

不気味な物語の主人公は、「オシャレ」という名の女子高生。彼女は6人の友達と、ある家を訪れる。そこは文字通り彼女たちを食べる家だった。肉食のピアノが特に印象に残る。

ーKambole Campbell

32. 愛のコリーダ(1976年)

監督:大島渚

最も物議を醸したエロティックな「サイコ」セクシャルアート映画の一つ。(タイムアウトがまとめた「映画史上最高のベストセックスシーン50」では5位に入った)。大島渚の大作は、恋人を殺害し、そのペニスを切り取って何日も持ち歩いた元娼婦、阿部定のセンセーショナルな実話を元にしている。

彼女を題材にした映画は何本も作られているが、物語を最も印象的に表現したのは、日本のヌーベルバーグ監督こと大島だった。本作では愛する人への執着、欲望、嫉妬が露骨に表現されている。

ーAnna Bogutskaya

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33. 誰も知らない(2004年)

監督:是枝裕和

現代日本社会の問題を浮き彫りにした本作では、12歳の明が母親に捨てられ、3人の妹弟と自活することになる。食料は底をつき、小銭入れは空っぽ。世話してくれる大人もいない。

悲惨な状況だ。しかし監督の是枝裕和は、日常生活の微妙な痛みや苦い悲しみを、希望と温かさを持続させながら捉えるという独特の方法で描いた。是枝が小津安二郎の人間味あふれるストーリーテリングの継承者と呼ばれる理由が納得できる作品でもある。

ーEmma Steen

34. 薔薇の葬列(1969年)

監督:松本俊夫

日本のヌーベルバーグシーンにおける重要なクィア作品であり、ドキュメンタリーとフィクションの過激な融合でもある。

ベースになっているのは「アポロンの地獄」。トランスジェンダーの「女王」であるエディ(黒澤明の「乱」に出演したアンドロジナスのアイコンで、ピーターが演じた)が、サイケデリックロック、マリファナ、オーガズムの場である夜間のネオン街、新宿を闊歩(かっぽ)する姿を描き、東京の新しいゲイシーンを鮮やかに表現している。

本作には、ウォーホルやゴダールのような西洋の先進的なカルチャーの担い手への無数のオマージュが登場。そのほか、テレビ界の著名人へのインタビュー、ポップな編集、目まぐるしい手持ちカメラワークが盛りだくさんだ。

ーJames Balmont

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35. 愛のむきだし(2008年)

監督:園子温

本作を観た後は、頭がクラクラするかもしれない。あらゆる不条理に4時間ぶっ続けで打ちのめされると、さすがに脳が疲弊してしまう。ただ、それが「愛のむきだし」の魅力なのだ。

園子温が監督した本作は、10代の性欲からカルト宗教まであらゆるものに触れた、挑発や刺激にあふれるとても奇妙な映画である。盗撮ネタや宗教的な比喩からハイパーリンク技法の派手さまでもが、型破りで哲学的、かつ扇情的だ。こんな作品はほかにはないだろう。

ーEd Cunningham

36. 女ばかりの夜(1961年)

監督:田中絹代

現代においても女性の映画作家は男性よりだいぶ少ないように、日本は昔から家父長社会だ。その中で、1920年代から女優として活躍し、1950年代になって監督業をスタートした田中絹代は、6本の作品を生み出して映画作家としての地位を確立した。しかしその裏では、非難を受けたり、かつての協力者である溝口健二が彼女の監督としての野心に抵抗したこともあった。

彼女の作品の中でもいちおしなのが、繊細な社会派ドラマである「女ばかりの夜」だ。売春防止法施行後の少年院を舞台に、一人の女性が新しい人生を歩もうとする姿を描いている。美しい演技と印象的なフレームで構成された本作は、過小評価された宝物といえる。

ーPhil de Semlyen

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37. タンポポ(1985年)

監督:伊丹十三

「ラーメンウエスタン」とも称される伊丹十三の本作は、食と性を紡ぎ合わせた「脱線」コメディーである。数十年たった今でも、甘く愛らしく、そして狂気を感じる。

日本のラーメン屋とそこで交錯する人々の物語を主軸とし、ロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」ように、短いサイドストーリーが展開される。

伊丹はこの作品の随所に、アメリカ映画的な風変わりなユーモアや性的なタブーを吹き込んだ。特に、生卵のエロティックな使い方を強調したのは有名だ。

—Matt Singer

38. 飢餓海峡(1965年)

監督:内田吐夢

ひどい嵐と旅客船の転覆で、時を同じくして行方不明になった3人組の強盗団についての物語。壮大な黄金時代と日本のニューウェーブにおける形式の実験が融合している作品だ。

残念ながら海外では過小評価され続け、欧米では2022年にようやく公開された。しかし日本では、地位はより確かなものとなっている。「キネマ旬報」が1999年に行った日本映画の最高傑作の投票では、3位に選ばれた。

ーJames Balmont

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39. 女が階段を上る時(1960年)

監督:成瀬巳喜男

成瀬巳喜男の社会派メロドラマは、黒澤や小津といった同時代の作家と比べると、海外ではあまり評価されていない。しかし、成瀬の「女が階段を上る時」は傑作であり、彼らの作品と同じように注目されるべきだ。

本作は、若い未亡人が夫の死後、彼の思い出を大切にしながら、自分の幸せを見つけようと奮闘する姿を表面的なストーリーを優美なタッチで、結末は殺伐と描いている。思わずガッツポーズをしてしまう展開は、彼の特徴といえよう。

ーMatt Singer

40. ソナチネ(1993年)

監督:北野武

コメディアン、俳優、映画監督として活躍する北野武(ビートたけし)は、かつて黒澤明の後継者と称されたこともある。今にして思えば大げさな表現とも思うが、彼は裏社会を淡々と、そしてしばしば奇妙な笑いを誘う映像で、日本映画に鮮やかな足跡を残してきた。

本作は彼の最も反省的で、暗く面白いヤクザ映画だろう。北野はヤクザのために、沖縄に閑散とした精神的な楽園を作り上げた。言うまでもなく、そこには暴力が溢れることになるのであった……。

これは、弾丸を持ったサミュエル・ベケットといえる。

ーPhil de Semlyen

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41. ドライブ・マイ・カー(2021年)

監督:濱口竜介

日本映画界の新星、濱口竜介が、チェーホフと村上春樹を控えめに融合させたような作品。日本映画としては初めてアカデミー賞の作品賞にノミネートされ、劇中に登場した車「サーブ900」を、再びクールなものにすることにも貢献した。

妻を亡くした演劇監督が「ワーニャ伯父さん」の公演を監督するため、広島を訪れる。難解な車保険のため、現地での運転手としてあてがわれたのが、若いみさきだ。

その後に続く絆は、間違った(つまりハリウッドの)手にかかると、甘ったるく、予測可能なものになるが、濱口が捉えたのは人間の複雑さ、孤独とつながりの相反する欲求。芸術、悲しみ、癒やしが合わさった感動的な物語は、徐々に膨らんでいく。

ーPhil de Semlyen

42. 野火(1959年)

監督:市川崑

市川崑の反戦映画は壮絶なまでに殺伐としている。カニバリズムが出てくる前からそうだ。観た後にはぐったりしてしまう。本作の劇中に登場する負傷した歩兵の気持ちに近いだろう。彼は飢えに耐えながらボロ布をまとい、焦土と化したレイテ島を足早に歩く。この光景は敗残兵の、そして戦争における道徳の劣化の象徴ともいえる。

市川の評判は常に、黒澤や小津のような人たちよりも一段も二段も低い。しかし、大岡昇平の小説を無慈悲かつ哲学的に映画化したこの作品は、彼が先達の仲間になるに値するということを改めて証明するものである。

ただ、この作品を企画した映画会社は、おそらく同意しないだろう。なぜなら彼らはアクション映画を期待していたからだ。

ーPhil de Semlyen

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43. 楢山節考(1983年)

監督:今村昌平

「ディグニタス」が活動するずいぶん前から、日本には70歳を過ぎたら山頂に登り(もしくは登らされ)、死を待つという「姥捨て(うばすて)」という棄老の風習があったといわれている。

棄老がテーマの小説「楢山節考」を原作とする傑作映画は2つある。社会福祉は進歩した時代ではあるが、後から作られた今村昌平のバージョンほど、死を前にした老女のことをこれほど強く訴える映画はないだろう(木下恵介の歌舞伎風の陰鬱なバージョンも探す価値はある)。

本作は、スコセッシの「喜劇王」、ブレッソンの「ラルジャン」、大島の「戦場のメリークリスマス」を抑えてパルムドールを獲得した。それこそが、哲学的で心に残る作品であるという証だろう。

ーPhil de Semlyen

44. 東京流れ者(1966年)

監督:鈴木清順

本作では、喜び勇んで映画を撮った男、鈴木清順のパンクなエネルギーが躍動している。まるでイエーガー・マイスターのショットで「大酔い」した映画「サムライ」のようだ。

超パワフルなヤクザ映画のように始まる本作は、おそらくさほど意味はなく、途中でモノクロから文字通り全ての色を帯びる。鮮やかなビジュアルの中で目にするのは、バカバカしいほどかっこいいセットの「オースティン・パワーズ風」のナイトクラブや大塚のアジトだ。

(これも重要ではないが)筋書きは、足を洗おうとしていたヤクザの殺し屋が、敵対する組に追われるというもの。リハーサルなしで数週間かけて撮影されたこの作品は、そのまとまりのない自発性によって生まれた。これは映画的無秩序の激しい爆発といえる。

ーPhil de Semlyen

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45. 地獄門(1953年)

監督:衣笠貞之助

13世紀の絵巻物を映画化した作品。高潔な戦士が激しいクーデターの余波を受け、守ると誓った女性に執着する物語が展開される。サスペンスフルで悲劇的なクライマックスに忍び寄るこの映画は、シェイクスピアのドラマと豊かな色彩の撮影、豪華な衣装、複雑なセットが融合。約30数年後に発表された黒澤明の傑作、「乱」の誕生を予感させる。

監督の衣笠貞之助は、1926年に発表したサイレントホラー映画「狂つた一頁」でも知られている。この映画は日本映画史初期からフィルムが現存する偉大な作品の一つで、衣笠はアカデミー賞を2度受賞している。

ーJames Balmont

46. 鉄男 (1989年)

監督:塚本晋也

低予算で制作されたSFホラー「鉄男」は、肉と金属が織り成す邪悪な性愛を描いた作品。日本のサイバーパンクを最も残酷に表現しているといえる。

金属に徐々に体を支配されるという無名のサラリーマンに起きた不穏な変化を、塚本晋也はハイコントラストな16ミリのモノクロフィルムで鮮明に捉えている。

続編は期待に応えられなかったが、1作目はアンダーグラウンドの名作として君臨している。

ーKambole Campbell

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47. 狂い咲きサンダーロード(1980年)

監督:石井岳龍

日本のアンダーグラウンドな映画制作シーンと、ディストピア的なサイバーパンクシーン(「AKIRA」や「鉄男」など)の両方に影響を与えたことを考慮すると、石井岳龍のインディーズ暴走族映画が2022年まで適切な国際配給を受けられなかったのは、信じられないことである。

石井が大学から借りた機材を使い、実際の暴走族をキャストに起用し、底予算で撮影された本作は、「マッドマックス」に対する日本からの混沌(こんとん)としたフィードバックといえる。本作を東映が大々的に公開したのは1980年。予想外の成功は、全世代のゲリラ映画作家を刺激した。

ーJames Balmont

48. おくりびと(2008年)

監督:滝田洋二郎

アカデミー賞長編国際映画賞を受賞した「おくりびと」は、売れないチェリストが静かな故郷に戻り、葬儀屋として新しい仕事を始めるという、B級ホラー映画と同じような設定で始まる。

しかしこの映画には、死体や復讐に燃える幽霊は登場しない。火葬のための遺体の手洗いなど、日本の伝統的な葬送儀礼に見られる深い親密さを強調している。生と死、複雑な家族の絆について考えさせられる、魅力的で涙なしでは観られない作品だ。

ーEmma Steen

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49. 萌の朱雀(1997年)

監督:河瀬直美

河瀬直美は近年、撮影現場での暴力行為などの疑惑にさらされ、非難を浴びている。しかし、河瀬は男性主導の映画文化の中で、稀有な女性映画監督であり、唯一無二のインスピレーションを与える存在であり続けている。

奈良の伐採村を舞台に、頓挫した産業開発によって悪化していく家族の姿をドキュメンタリーの手法で描いてブレイク。カンヌ国際映画祭で新人監督に贈られる「カメラ・ドール」を史上最年少で受賞した。

ーJames Balmont

50. カメラを止めるな!(2018年)

監督:上田慎一郎

上田慎一郎のメタゾンビコメディーは和製「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」のようなもので、低予算の独創性を示す記念碑的な作品だ。テレビ用の安っぽいホラー映画を撮ることになった撮影隊が、現場で実際にゾンビが発生したことに気がつく。

そう聞くと、必見の名作というよりは楽しい目新しさを感じるが、本作は「ショーン・オブ・ザ・デッド」に匹敵するエネルギーと、スマートで輝きを見せるユーモアでポジティブに爆発している。わずか300万円で製作されたこの映画は、全世界で30億円の興行収入を記録した。

ーMatt Singer

もっと日本映画を見たいなら

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平成は日本のアニメ史においても重要な転機であり、重要な作品を多く生み出した時代だった。「オタク」というワードが世界中に浸透し、アニメ文化そのものが国境を越えたのは、平成時代に生み出されたアニメが国際的に評価されるようになったからだろう。また、この30年の間に制作面でも手描きからCG技術へと大きな進歩もあった。

令和を迎えて早くも2年。現在はスタジオジブリの新作から、大人向けのマニアックな作品までが多言語に訳され、アニメの舞台を訪れるために訪日する外国人も増えている。ここではもう一度じっくり見たい、アニメの黄金期を代表する作品を紹介しよう。

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今観るべき映画といったわけでもなく、全くもって自由に、東京をテーマに10の映画を選ばせてもらった。とは言え、東京の括りでは膨大な数の作品が対象になるので、ここでは「東京で実際に撮影されていること」「比較的近年の作品」そして主に「海外の監督の作品」を中心に紹介する。

さまざまな特徴を持った複数の街の集合体である東京は、その全体を一本の作品の中に包括的に映し出すことは難しいと言えるだろう。だが、ここで挙げる作品は、ある側面から見た東京の魅力や相貌を何がしかの方法で捉えようとしている。そのような共通項目を持つ映画郡をまとめて顧みることで、新たな映画と東京の可能性を探り当てる機会となれば幸いだ。

これはベスト10ではなく、あくまで10選なので、選外となってしまった作品も多い(『ロスト・イン・トランスレーション』もその一つ。西新宿にロケした数ある映画史上最高の一本と言える)。あなたにとって、東京を魅力的に描いた一本は何だろうか。

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銭湯を舞台にした映画4選
銭湯を舞台にした映画4選

心も体も温めてくれる銭湯。近所の常連や部活帰りの学生、ふと入りにきた客など、さまざまな交流が生まれる場でもある。ここでは、そんな銭湯を舞台にしたコメディーや人間ドラマ、サスペンス映画と、実際に撮影が行われた銭湯とロケ地もあわせて紹介する。印象的なあのシーンを思い浮かべながら湯につかってみてはいかがだろう。

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