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ギャング映画ベスト30

タイムアウトワールドワイドが選ぶ、映画史上最高のギャング映画をランキング形式で紹介

Dave CalhounZach Long
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タイムアウト東京 > 映画 >ギャング映画ベスト30

映画の歴史が始まって以来、映画人は法の外で生きる人々に魅了されてきた。この世紀余りの間、ギャングの神話にはトンプソン・サブマシンガンを乱射するハードボイルドなマフィアから、拳銃さばきを芸術の域にまで高めたヤクザの殺し屋、スリーピーススーツを着た大物マフィア、ブロックの端までしか縄張りを持たないストリートレベルのボスまで、多くのキャラクターが登場してきた。

ギャングという職業はじつに多様で、それはギャング映画も同じだ。確かに派手で暴力的な作品も多いが、頭脳的なもの、物悲しいもの、氷のように冷たく静かなもの、ロマンティックなもの、コメディタッチのもの、気味の悪いものなど、さまざまだ。ここでは、タイムアウトワールドワイドが選ぶ歴代最高のギャング映画から30作品を紹介する。

では、我々とともに銀行に押し入り金庫の扉を開けてみよう。大丈夫。取り上げた作品の中では犯罪は割に合うのだから。

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1. ゴッドファーザー(1972年)

「銃を捨ててカノーリ(イタリアの円筒形の菓子)を取れ」

フランシス・フォード・コッポラによる、ねじれた忠誠心と失われていくモラルを描いたこの不朽の悲劇がギャング映画の頂点に君臨していることに異論を唱える人はいないだろう。本作ほど力強く色あせない作品はほかにない。ベッドに置かれた(切り取られた)馬の頭、(殺されるときの)ルカ・ブラージの出目金のようになった目といった劇的な瞬間から、パン職人のエンツォの震える手、クレメンザのパスタのレシピといった最も小さな細部に至るまで、この作品では、全てが完璧に仕上げられている。そして、それら個々のパーツが、ひとつの間違いも許されることなく完璧に並べられているのだ。100年後にこの「ギャング映画30選」のリストを見直したとしても、この映画は首位を堅持していることだろう。

ーTom Huddleston

2. 現金に体を張れ(1956年)

「じゃあ、あんたの肩の上の何とも可愛らしい頭だが、そのまま肩の上に乗せておきたいか? それとも(肩から切り離して)これからは両手に抱えて持ち歩きたいか?」

スタンリー・キューブリックの長編3作目は、「(犯罪者が足を洗う前の)最後の仕事」というジャンルの最高傑作である。

この辛辣で嫌味たっぷりなノワール作品では、プロの犯罪者(スターリング・ヘイデン)が犯罪稼業から足を洗い、恋人と結婚するために必要な資金を得るため、競馬場強盗のチームを結成する。

キューブリックは虚無的にそして華々しくこの物語を締めくくった。それを見てしまったら「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」のラストでさえ「めでたしめでたし」と思えてしまうだろう。

ーDavid Ehrlich

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3. グッドフェローズ(1990年)

「俺が面白いって、どう面白いんだ? 道化師みたいということか? 俺がお前を楽しませているってことか? 俺がお前を笑わせるのか? 俺はここにお前を楽しませるためにいるってことか?」

マーティン・スコセッシの最高傑作といえる作品。この2時間強の間、さまざまなことが渦巻き、容赦ないペースで進む犯罪映画は、味わい深い台詞の数々(誰もが好きな引用があるはずだ)を聞かせてくれる。「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」やクエンティン・タランティーノが数年後に作り、映画の概念を根本的に変えた作品群に直接影響を与えた作品でもある。過去30年間で最も重要な映画と呼んでも過言でない。そして、まったくもって最も楽しい映画でもあるのだ。

ーJoshua Rothkopf

4. レザボア・ドッグス(1992年)

「なんで、自分のコードネームの色を自分で選べないんだ?」

クエンティン・タランティーノはこのきらびやかな物語で、映画界に火をつけた。5人の犯罪者たちが強盗のために集められたが、強盗は計画通りには行かない。本名を隠すため、それぞれ色の名前を付けられた犯罪者を、優劣をつけるのが難しいほど優れた俳優たちが演じる。

タランティーノは残忍なウィット、卓越したストーリーテリング、そして30年経った今でも素晴らしい台詞で、我々を血みどろの結末に導く。

ーDave Calhoun

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5. ミーン・ストリート(1973年)

「20ドルある? じゃあ、映画に行こうぜ」

ギャングの夢の欲望に満ちた裏側にメスを入れた、マーティン・スコセッシの出世作。ギャングの世界の陰鬱な厳しさを描いた「ゴッドファーザー」とは対象的に、この作品では軽薄な都会の若者の生活が描かれている。ハーヴェイ・カイテルが演じる罪の意識に悩み続けるチャーリーが映画の中心だが、記憶に残るのはロバート・デ・ニーロが演じる破天荒なジョニーボーイのほうだろう。

ーTom Huddleston

6. 俺たちに明日はない(1967年)

「やつらは俺たちをつかまえられっこない。俺は銀行強盗よりも逃げることのほうが、ずっと得意だからだ」

現代から振り返ると明白そのものというわけではないかもしれないが、「俺たちに明日はない」は、60年代の映画ファンに衝撃を与えただけでなく、ハリウッドの形を変えた。

フランスのヌーヴェルヴァーグの考え方と美学を取り入れたこの作品では、犯罪界で最も有名なパワーカップル(ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイが演じており相性の良さが見て取れる)が、社会に対する脅威ではなく、カウンターカルチャーのヒーローとして表現されている。

批評家や映画製作会社の重役たちは背徳的で悪趣味だと失望したが、若い観客たちはこの映画を気に入った。そして、アメリカ映画界はその後10年間、道徳的な基準を曖昧にした無遠慮なリアリズムに彩られた物語を作り続けたが、この作品の混じりけのないクールさを実現した作品はほとんどなかった。

ーMatthew Singer

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7. ゴッドファーザー PART II(1974年)

「歴史が何かを教えてくれるとしたなら、どんなやつも殺してしまうことができる、ということだろう」

映画界で最も偉大な「続編」として知られる「ゴッドファーザーPART II」は、第1作が短編であるかのように感じられるほど巨大な怪物のような作品だ。

フランシス・フォード・コッポラは、時間を飛び越えた構成によって、コルレオーネ一族の世界を荒々しく魅力的な新次元に昇華させた。半世紀をまたいでもなお、第1話が持つ残酷なドラマは形を変えて維持されている。

ーDavid Ehrlich

8. ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984年)

「やるべきことだけやって、あとは黙っていろ。お前は何も聞いていない。何も見ていない。まさにバグジーのためにやっていたのと同じことだ」

セルジオ・レオーネが監督した大恐慌時代を舞台にした大作。この映画ほど、ニューヨークのロウアーイーストサイドの活気を生き生きと映し出した作品は、後にも先にないだろう。若さゆえの好奇心が、犯罪者の生活の高揚感や苦い犠牲と均衡するように描かれている。

「ゴッドファーザー」のユダヤ系ギャング版というだけでなく、レオーネのこの傑作は、彼のジャンルを超えた輝かしいキャリアの頂点に立つ作品でもある。

ーJoshua Rothkopf

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9. ミラーズ・クロッシング(1990年)

「手下たちにいつも言い聞かせていることがある。『必ず一発は脳みそにぶち込め』」

コーエン兄弟が禁酒法時代のギャング映画をアレンジした作品。ストーリーにはひねりと裏切りが多く散りばめられている。スピーディーでウィットに富んだ会話、目が釘付けになるような演技もいい。その中でも、信用ならないやり手だが自力ではどうにもならない状況に追い込まれる、バーニー・バーンバウムを演じたジョン・タトゥーロが印象的だ。

ーCath Clarke

10. 殺しの烙印(1967年)

「豚のように太って死ぬのも悪くない」

あまりに独特過ぎる映画を作り続けたことで、日活の重役たちを長年にわたっていら立たせてきた鈴木清順。このサイコでセクシーでポップアートなスリラーで、重役たちの堪忍袋の緒はついに切れてしまった。頬のぽっちゃりとした愛らしい顔立ちの宍戸錠はご飯が炊ける匂いを好む殺し屋・花田五郎を演じ、殺し屋ランキング上位の殺し屋たちとの知力を尽くした戦いを強いられる(戦いの開始時、花田は第3位)。

ストーリーは監督が実存主義的な考察をし、シュールな空想を羽ばたかせるための枠組みに過ぎないというのが、鈴木の常。鈴木はこの映画で結果的に専属監督契約を打ち切られたが、本作は、ジョン・ウーやクエンティン・タランティーノといった後進に与えた影響を考えると、作品としての価値が高い。

ーMatthew Singer

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11. パルプ・フィクション(1994年)

「(変態汚職警官の)ゼッドは死んだぜ」

クエンティン・タランティーノのレガシーを確固たるものにしたこの傑作は、「永遠のクール」の泉の水を飲んでしまったかのようだ。90年代を特徴づける映画でありながら、その時代にも特定のどの年代にもとどまらず、クールであり続ける作品だ。

だから、気候変動で荒廃した地球の残骸を拾い集めるために、未来のこの星にエイリアンが降りてきたとき、彼らは廃墟の中から「パルプ・フィクション」のVHSテープを見つけ、サミュエル・L・ジャクソン演じる人生に疲れた(「クソ野郎」を連発する)殺し屋こそが、地上最悪だったということに、同意するだろう。

ーMatthew Singer

12. アンタッチャブル(1987年)

「アル・カポネを捕まえるにはどうすればいいかって? 向こうがナイフを出してきたら、こちらは銃を抜く。向こうが警官のひとりを病院送りにしたら、こちらはやつらのひとりを死体安置所に送ってやるのさ」

この作品ではブライアン・デ・パルマによる、アカデミー賞にふさわしい上質な映画作りを楽しめる。彼はエリオット・ネスが指揮した、マフィア撲滅に取り組むシカゴ特別捜査班の実話を、キャラクター主導のアクションで巧みにまとめあげた。

スローモーションの乳母車のシーンは、素晴らしい出来栄えだ。 このシーンは「戦艦ポチョムキン」からの引用だが、本作はこうした知識をデートで披露したくてたまらない映画オタクのためだけのものではないだろう。

ーJoshua Rothkopf

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13. インファナル・アフェア(2002年)

「(ジュリアス・)シーザーが偉大になるために、何千もの人が死ななければならなかった」

マーティン・スコセッシが本作のリメイク「ディパーテッド」を作ったが、我々に言わせればそれよりずっと優れた香港映画の「古典」だ。主人公はクールなアンディ・ラウとトニー・レオンと豪華。二人は香港の暴力的な地下犯罪組織の中で、まるで前世からの因縁のようにつながっていく。ラウは警察に潜入するマフィアのメンバー、レオンはそのマフィアに入り込む潜入捜査官を演じている。

警官と犯罪者は表裏一体であるという古い格言が、スクリーン上でこれほど見事に具現化されたことはほとんどないといえる。

14. スティング(1973年)

「黙って座っていてくれないか。あと、俺の期待に全部答えようとするな」

本作は(耳にしたことがある人も多いであろう)スコット・ジョプリンの(あのピアノの)ラグタイムを世に広めたことで、よく知られている。だが、ジョージ・ロイ・ヒルの巧みなセリフが散りばめられた犯罪コメディ映画は、作品としても永続的な価値があり、楽しく、裏切りが交錯する。それにこのリストのほとんどの作品よりも穏やかだ。ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードのようなスターも、その魅力を少しも損なっていない。

ーJoshua Rothkopf

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15. ボーイズ'ン・ザ・フッド(1991年)

「俺は何もやってない」

ジョン・シングルトンの、共感をかき立てるこの驚くべきデビュー作は、観客をロサンゼルスのサウスセントラルとアフリカ系アメリカ人であるトレ(キューバ・グッディング・ジュニア)の世界に引き込み、怖くなるほどの衝撃を与えた。トレは、同地域を支配するギャング同士の激しい抗争から逃れようとするが、うまくいかない。

ーDave Calhoun

16. 波止場(1954年)

「わかってないな。俺は能無しなんかじゃない。上品にもなれたし、チャンピオンの挑戦者にもなれた。何者かになれたかもしれないんだ。だが、今の俺は能無しだ。それは認めないとな」

エリア・カザンが人間の弱さ、判断の過ち、道徳的な勇気を描いた古典的物語。マーロン・ブランド演じる港湾労働者テリー・マロイが、素手で殴り合うような荒々しい正義を表現している。

ギャングとのつながりがあり、ニュージャージーの波止場を支配する賢者気取りで傲慢な、ジョニー・フレンドリー(リー・J・コッブ)は、いかにもマーティン・スコセッシの映画にも出てきそうな役だ。少なくとも、途中で殺されるまでは。

ーPhil de Semlyen

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17. パフォーマンス/青春の罠(1970年)

「あなたたちの仕事は、すべて俺のためのものだ」

1960年代半ばから後半の「スウィンギング・ロンドン」の時代が舞台。ジェームズ・フォックスが演じるコックニーの乱暴者、チャスはロンドンの潜伏先で、ミック・ジャガー演じるスラムに出入りし自由奔放なロックスター、ターナーと同居する。チャスは、ターナーと過ごすうちに、激しい衝撃を体験することになる。

こうしたサイケデリックな実存主義的ギャング映画というサブジャンルが、決して興行的に成功しなかったのは残念だ。

ーTom Huddleston

18. ウォリアーズ(1979年)

「ウォリアーズ、出ておいで。遊びましょ」

ギャング映画とギリシャ悲劇は共有しているDNAも多いが、ウォルター・ヒルは直接このギリシャ悲劇に原作を求め、クセノポンの「アナバシス」を鮮やかに脚色した。傭兵の小隊が非友好的な地域を抜けて故郷に帰るために戦わなければならないという物語を、現代のニューヨークのストリートギャング映画として最もワイルドなものに刷新したのである。

ーTom Huddleston

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19. クライム・ゲーム(2021年)

「俺が好きなこと、何だか分かるか? 人生が偉大な小説だとしたら、長く忘れられていた登場人物たちがエンディングに現れて、これまでの物語の余白がすべてきれいに埋まる瞬間だ」

スティーブン・ソダーバーグのひねりの効いたこの映画は、デトロイトを舞台にばらばらでまとまりのない実行犯たちが、引き受けたものの計画が大きく狂っていく仕事に対処する様子を描く。組織化されていない犯罪の描写としては、最も優れているものだろう。

超広角の撮影はそのよさを感じるまで時間がかかりそうだが、自分が助かるために奮闘する複雑な犯罪者を演じるドン・チードルとベニチオ・デル・トロは、超広角の映像に慣れていなくても見る価値がある。

ーZach Long

20. 東京流れ者(1966年)

鈴木清順が殺し屋に追われて東京をさまようヤクザのボスを描いた本作は、日本のヤクザ映画の様式美の最高峰である。そのDNAは「殺しの分け前/ポイント・ブランク」からジョン・ウーやクエンティン・タランティーノの作品群に至るまで、あらゆるところに散りばめられている。この作品が文化的な話題に上るようになってから半世紀が過ぎるが、本作に匹敵するものを作った者はまだいない。

ーAndy Kryza

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21. フレンチ・コネクション(1971年)

「おい、そこの天パ野郎、どこへ行く?」

引退したジーン・ハックマンに復活してほしいと思わせる作品。彼はこの熱狂的でどろくさい犯罪映画で、フランスから来た怪しげな麻薬王(「フロッグ1号」「フロッグ2号」と名付けられている。「フロッグ(Frog)」はフランス人をカエルに見立てた蔑称)を追う、強引で荒っぽいニューヨークの警官を演じている。

ーDave Calhoun

22. カジノ (1995年)

「よく聞け。ここで何かをする時には3つのやり方がある。正しいやり方、間違ったやり方、そして俺のやり方だ」

マーティン・スコセッシが1970年代から80年代にかけてのラスベガスのギャンブルシーンを舞台に、「グッドフェローズ」的な栄枯盛衰を描いた作品。マフィアに任命されたカジノのボス(ロバート・デ・ニーロ)の苦難に満ちた人生は、マフィアがラスベガスを支配していた時代の晩年を象徴している。

ーDave Calhoun

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23. シティ・オブ・ゴッド(2002年)

「これは神からのメッセージだ。『正直者は報われねえんだよ、バーカ』」

フェルナンド・メイレレス監督とカティア・ルンド共同監督が手がけたノンストップ犯罪ドラマ。まるで自分がその場にいるかのように感じる、何十年にもわたるこの物語を「ブラジル版グッドフェローズ」と呼んでも、単純化し過ぎるということにはならないだろう。

しかし、舞台がリオのスラム街という性質上、「グッドフェローズ」とはまったく異なり、社会経済的な条件が暴力、絶望、視覚的なエネルギーを増幅する物語が展開される。メイレレスとルンドは、自分たちが持っているあらゆる映画制作のテクニックを駆使し、冒頭から勢いよく発射された弾丸のように飛ばしまくり、その勢いは。

ーMatthew Singe

24. 仁義(1970年)

「人はみな、罪を犯している。生まれたときは罪とは無縁だが、それは長くは続かない」

ジャン=ピエール・メルヴィルが、アメリカ的なギャング映画をフランスに持ち込んで作った、クールでダークな強盗モノのノワール作品。ヴァンドーム広場での無言の宝石強盗のシーンが見事に演出されている。

ーCath Clarke

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25. キッズ・リターン(1996年)

「俺たちもう終わっちゃったのかなぁ?」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」

北野武は2人の親友たちの高校卒業後に何が起こるかを、感情を排しつつも心を込めて見つめ、この作品を手掛けた。1人はボクサーに、もう1人はヤクザの子分になり、異なる道を歩む。北野の眼差しがもたらしたのは、思春期が終わり大人になっていく苦悩を描いた分かりやすい物語に包み込まれた、日本の男らしさについての切れ味鋭い分析だ。

ーTom Huddleston

26. レオン(1994年)

「人生っていつもこんなに辛いものなの? それとも辛いのは子どもの時だけ?」

ハリウッドのアクション映画とヨーロッパのアートシアター系映画が融合した、リュック・ベッソン初の英語作品。(映画「マイ・フェア・レディ」に代表される、男性が理想の女性を育て上げるという)「ピグマリオン」の物語の系譜の中で、映画史上最もひねりが強いものといえる。孤独な殺し屋レオン(ジャン・レノ)と、彼が殺人術を教える12歳にしては世慣れた賢さを持つマチルダ(ナタリー・ポートマン)との交流を描いている。

ーCath Clarke

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27. 男たちの挽歌(1986年)

「一度盗みをやったら、堅気に戻るのは簡単じゃない」

ジョン・ウーの作品は、犯罪映画の名作リストに何度も名を連ねるに値する。しかし、不正を取り締まる側と捜査される側との兄弟の絆をスタイリッシュに切り取るという彼の持ち味が、これほど完璧に表現されたものは、このヒット作以外にはないだろう。

チョウ・ユンファを一躍スターにし、香港のアクション映画が世界的な脚光を浴びる道を開いた中心的な作品でもある。

ーJoshua Rothkopf

28. 地獄でなぜ悪い(2013年)

「やつらは命懸けで戦い、俺たちはそれを撮る」

これは、ヤクザ映画であり、カンフー映画であり、映画へのラブレターでもある。園子温の「地獄でなぜ悪い」はリアリズムを否定したヤクザ映画だ。

本物のヤクザの抗争を映画にしたいと強く思っている若き映画人たちに続き、ヤクザそのものもスターとして登場する。

演出はコメディタッチでかつ血なまぐさい。ある時はヤクザ映画特有のセリフや映像をからかい、次の瞬間には恥ずかしげもなくそれを受け入れているところが、園の映画の面白いところだろう。

ーZach Long

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29. アイリッシュマン(2019年)

「3人が秘密を守れるとしたら、2人が死んでいるときだけだ」

マーティン・スコセッシは、若返りの特殊効果の助けを借りて、実在のマフィアの殺し屋であるフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)の数十年にわたる物語に感動的なひねりを加えた。必然性のない暴力を描いたシーンもいくつかあるが、それに対しては犯罪に身を捧げた人生がもたらしたものについてのより深い考察でバランスを取っている。

ーPhil de Semlyen

30. ハートブルー(1991年)

「究極のものが欲しいのなら、究極の代償を払う覚悟をしろ」

パトリック・スウェイジが演じるのは、マレットヘアが決まっているサーファーのボーディ。禅の世界に傾倒した物静かな彼でさえ、自ら好んでスリルを求める銀行強盗団「Ex-Presidents」(ギャングと呼ばれている)にはまってしまうのは、ありえないように思える。

だが、キアヌ・リーブス扮する彼らに心を惹かれていくFBI捜査官がすぐ気付いたように、この気持ちが揺さぶられるような犯罪者たちは「ボーイ」に登場する90年代のストリートギャングに非常によく似ているのだ。彼らの場合、スカイダイビング、夜のサーフィン、エロティックなビーチでのフットボールなどの独自の仲間入り儀式があり、容赦なく即座に適用されるグループ内の行動についての掟を持つ。

とはいえ、どんな名前で呼ばれようとも、ギャングはギャング。たとえ 「bruh」(「兄弟」の意)が、 「consigliere」(マフィアの「ボスの相談役」という意)よりも上品に聞こえないとしても、だ。

ーAndy Kryza

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