1. 「野草」を哲学する。
「阿Q正伝」などの小説で知られる魯迅は、いわゆる西洋近代の方法論による文芸に、中国で最も早く挑んだ作家だ。日本をはじめ、広く東アジアで愛読されている。
「野草」も魯迅文学を代表する作品の一つだが、その作風はほかの小説や論考とは一線を画す。魯迅自身が「誇張していえば散文詩」と称する同作には、政治の混迷が極まる1920年代の中国で書かれた一連の詩が収められている。散文でつづられる日常の中に、突如として魯迅らしい精巧な筆致で濃密なイメージが立ち上がってくる。
おそらくは検閲を避けるためか、一見して分かりにくい描写もあるが、だからこそ強烈なイメージが喚起される強みもあるだろう。この「野草」のあり方を、アーティスティックディレクターのリウとルーは、「個人の生命の抑えがたい力が、あらゆるシステム、規則、規制、支配や権力を超えて、尊厳ある存在へと高められます。それはまた、自由で主体的な意思をもった表現のモデルでもあるのです」と、共感を示す。