横浜美術館
Photo: Keisuke Tanigawa
Photo: Keisuke Tanigawa

「第8回横浜トリエンナーレ」でしかできない5のこと

個人を苦しめるシステムを密やかに解体する「野草」の哲学

寄稿:: Kosuke Shimizu
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2024年3月15日、「第8回横浜トリエンナーレ」が開幕した。2001年に始まり、日本の数ある芸術祭の中でも比較的長い歴史を持つ同イベント。これまでも横浜の街らしい「国際性」を一つの特徴としてきたが、今回は北京を拠点に国際的に活動するアーティストでキュレーターのリウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)の2人をアーティスティックディレクターとして迎え、その強みを存分に打ち出してきた形だ。

中国近代文学の祖、魯迅(ろじん)の著作に着想を得た「野草:いま、ここで生きてる」という一見不思議なテーマを掲げた今回の展示は、グローバリゼーションの暴力性やナショナリズムの台頭など、さまざまな問題に直面する現代社会に丁寧に向き合った、非常に見ごたえのある内容となっている。

政治と芸術について極端な言説ばかりが飛び交う昨今にあって、アートが持つアクチュアリティをもう一度信じることができるような、勇気を与えてくれるものに仕上がっていると言えよう。

第8回横浜トリエンナーレ
Photo: Keisuke Tanigawa(横浜美術館の側壁にもSIDE COREの作品が)

メインとなる国際展「野草:いま、ここで生きてる」が、リニューアルを経た「横浜美術館」や、2020年まで「YCC ヨコハマ創造都市センター」が入居していた「旧第一銀行横浜支店」、「BankART KAIKO」などで開催されるほか、地域連携のプログラム群「アートもりもり!」も、横浜駅から山手地区におよぶ広いエリアで展開される。本記事では、充実の芸術祭に対して、ほんの一握りしか触れることが叶わないが、5つの観点で見所を紹介する。

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1. 「野草」を哲学する。

「阿Q正伝」などの小説で知られる魯迅は、いわゆる西洋近代の方法論による文芸に、中国で最も早く挑んだ作家だ。日本をはじめ、広く東アジアで愛読されている。

「野草」も魯迅文学を代表する作品の一つだが、その作風はほかの小説や論考とは一線を画す。魯迅自身が「誇張していえば散文詩」と称する同作には、政治の混迷が極まる1920年代の中国で書かれた一連の詩が収められている。散文でつづられる日常の中に、突如として魯迅らしい精巧な筆致で濃密なイメージが立ち上がってくる。

おそらくは検閲を避けるためか、一見して分かりにくい描写もあるが、だからこそ強烈なイメージが喚起される強みもあるだろう。この「野草」のあり方を、アーティスティックディレクターのリウとルーは、「個人の生命の抑えがたい力が、あらゆるシステム、規則、規制、支配や権力を超えて、尊厳ある存在へと高められます。それはまた、自由で主体的な意思をもった表現のモデルでもあるのです」と、共感を示す。

本展で取り上げられる作品も、「個人を苦しめるシステムを密やかに解体しうる、社会の裂け目に生きるアウトサイダー」と2人が呼ぶアーティストによるものが並ぶ。

日本でもファッション業界のあり方に関心を寄せる人々からの人気が高いスーザン・チャンチオロ(Susan Cianciolo)などもその一例と言えよう。本展に複数出品されている新作でも、チャンチオロらしい自由さが鑑賞者を楽しませてくれる。

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また、コンゴ民主共和国出身のサンドラ・ムジンガ(Sandra Mujinga)の作品にしばしば見られる「アフロフューチャリズム」的な態度も、西洋白人中心主義を解体しようとする思想的な潮流だ。

本展では、リニューアル前から横浜美術館を象徴する御影石の大空間「グランドギャラリー」の頭上高くに作品が展示されており、来館者に強い印象を与えている。

2022年の「ヴェネチア・ビエンナーレ」での展示も話題となった、今をときめく作家が日本で初めて紹介される機会になったことも喜びたい。

2.日中交流史はアートで学ぶ。

日中で活躍した魯迅を起点とした本展は、否が応でも近代における中国と日本の関係を思い起こさせる。とりわけ興味深いのは、「平凡の非凡な活動」と名付けられた一連の展示だ。

「平凡」とは、日中交流に尽力した版画家の李平凡(リー・ピンファン)のことで、「非凡な活動」とは言ってしまえば言葉遊びなのだが、魯迅の提唱した版画による社会運動「木刻運動」に触発された李の、まさに非凡な生涯が、関連作家の作品とともに紹介されている。

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しかしながら、本展で最も特筆に値する出展作家としては、厨川白村(くりやがわ・はくそん)の名を挙げるべきかもしれない。

大正期に文芸評論家として活躍した厨川は、当時こそベストセラー作家として一世を風靡(ふうび)したが、日本では次第に忘れられ、ただ「恋愛論」の文脈でのみ言及されるきらいがある。だが、魯迅による翻訳に恵まれた中国語圏では、厨川による論考は今なお影響力のある文芸理論として位置づけられている。

1923年に逝去した、それも芸術家ではない厨川が本展で具体的に貢献している部分は、著作「象牙の塔を出て」の一節が展示室の壁に記されるという、決して面白みのある展示ではない。

ただ、このサント=ブーヴによる「象牙の塔」という言葉を日本に紹介した厨川が、本展において重要な役割を果たしているのは、まさにアーティストが「象牙の塔」に立てこもるのではなく、現実の社会に応答することを奨励しているという点だろう。

魯迅の頃とは時代が違えど、現在も検閲が当然のものになっている国で活動するリウとルーのディレクションだからというと邪推が過ぎるかもしれないが、思わせぶりな暗喩によって鋭いメッセージをしたたかに伝える作品の多い印象のある本展にあって、トマス・ラファ(Tomas Rafa)の姿勢は非常に明快である。

スロヴァキア出身の映像作家がレンズを向けるのは、チェコやポーランド、ハンガリーなど、いわゆるヴィシェグラード諸国で、今世紀になって勢いを増すナショナリストやネオナチストたちの集会だ。あまりにストレートな作品だが、「象牙の塔を出て」いる最も顕著な例と言えるだろう。

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3.ささやかな革命を実践する。

横浜美術館をいったん離れて、旧第一銀行横浜支店とBankART KAIKOで展開されている展示も、美術館という象牙の塔を出た内容と表現するのがふさわしいかもしれない。深い理解に基づいたストリートカルチャーの引用で、アート界に風穴を開けるような活動が支持を得るSIDE COREの作品が大通りからも目を引く旧第一銀行横浜支店では、日常の実践の中でささやかな革命を起こす試みが取り上げられている。

日本からは、高円寺のリサイクルショップ「素人の乱5号店」の松本哉(まつもと・はじめ)や、アパレルブランド「途中でやめる」で知られる山下陽光(やました・ひかる)の活動が紹介され、雑然とした空間が来場者を飽きさせない。ロックダウン中の中国で、他者とのコミュニケーションに飢えた人々が、カンフーの稽古を口実に公園に集まるという映像も愉快だ。

BankART KAIKOでは、横浜美術館にも作品が展示されている丹羽良徳(にわ・よしのり)や、ミャンマー出身の若手作家ピェ・ピョ・タット・ニョ(Pyae Phyo Thant Nyo)らの作品が紹介される。パピーズ・パピーズの名で知られるジェイド・グアナロ・クリキ=オリヴォ(Jade Guanaro Kuriki-Olivo)も、日本人の母とプエルトリコ人の父を持つ1989年生まれの注目アーティストだ。

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ちなみに、この2会場で展開される展示には「すべての河(All the Rivers)」という章タイトルが付けられている。イスラエル出身のドリット・ラビニャン(Dorit Rabinyan)によって2014年に書かれた小説の名だ。ユダヤ系イスラエル人の女性と、パレスチナ人男性との恋愛を描いた同作は、イスラエルで物議を醸したという。

4. 作品に苦悶を読み取る。

「すべての河」のほかにも、同展では「流れと岩(Streams and Rocks)」や「密林の火(Fores in the Woods)」といった詩情にあふれたタイトルによる章分けが行われている。中でも注目したいのが「苦悶の象徴(Symbols of Depression)」だ。「苦悶の象徴」という名前も、前述の厨川による著作名に負っている。ベルクソンやニーチェ、フロイトなど、当時最新の西洋の哲学や芸術理論を取り入れた本書において、厨川は人の生命力が抑圧されたときに生まれる苦悶(くもん)を表現するものが文芸だと主張する。

本章で取り上げられるのは、広告におけるジェンダー表象を扱った作品で知られるピッパ・ガーナー(Pippa Garner)や、ファウンドフッテージの技法を用いて現代社会を批判するジョナサン・ホロヴィッツ(Jonathan Horowitz)などだが、苦悶を表現するアートという視点は、本章に限らず本展全体を通じて見られる態度と言える。

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特に「わたしの解放(My Liberation)」と銘打たれた章では、富山妙子による作品が大々的に取り上げられている。2021年にこの世を去った富山は、幼少期を旧満州で過ごし、戦後は日本の戦争責任や韓国の光州事件などに強い関心を抱きながら類まれなる制作を続けた。章タイトル「わたしの解放」も、富山による自伝的エッセイに由来している。一部屋全体が富山の作品のみによって占められている展示空間は、まさに圧巻としか言いようがなく息を呑む。

5. 黄金町を探検する。

これまで見てきたように国際展「野草:いま、ここで生きてる」だけでも充分に満足できる内容なのだが、街なかで開催されるプログラム群「アートもりもり!」も今回の魅力となっている。「BankART Staton」での展示「BankART LIFE7 『UrbanNesting:再び都市に棲む』」と、京急線の黄金町駅から日ノ出町駅までのエリアで展開される「黄金町バザール 2024」がその筆頭だ。ここでは黄金町バザールに的を絞って紹介したい。

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かつて非合法で売買春が行われてきた歴史を持つ黄金町。今年で15回目の開催を迎える⻩⾦町バザールは、「世界のすべてがアートでできているわけではない」と題して、京急線の高架下を中心に多種多様な展示プログラムを展開する。

公式プログラム以外に、独自にアトリエを開放する作家もいるので、細い路地を探検するように巡ってほしい。売買春という目的に特化した、独特の狭い2階建ての建物群からも、時代が生んだいびつな歴史を感じ取れるだろう。

展示として注目したいのが、「八番館」で開催されている展覧会「寄る辺ない情念」だ。地主麻衣子や柴田祐輔といった、吉祥寺のアートスペース「Art Center Ongoing」に関わる実力派アーティストの作品が観られる。なお、会場である八番館の外観は、柴田によって定期的に新たな姿へと変貌させられるという。

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また、平戸桜木道路という大通りに面した「竹内化成ビル」には入場無料の特設ショップも設けられ、参加アーティストのグッズなどを買い求めることができる。

黄金町バザールのディレクターを務める山野真悟や、キュレーターの天野太郎、美術ジャーナリストの村田真らが所蔵していた展覧会パンフレットなども販売されている。リーズナブルな価格で掘り出し物を見つけられるかもしれない。美術ファンなら一見の価値はあるだろう。

第8回横浜トリエンナーレの会期は6⽉9⽇(⽇)まで。原則的に木曜日が休場となる。

国際展「野草:いま、ここで⽣きてる」のみの鑑賞券のほか、「BankART Life7」と「⻩⾦町バザール 2024」のパスポートがセットになったチケットも販売される。なお、18歳以下および高校生以下は無料。横浜市民を対象にした割引チケットもあるので、詳細は公式ウェブサイトで確認してほしい。

この春、もっとアートを満喫したいなら……

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東京の人気ギャラリーや美術館で開催するアート展を紹介。2月から3月にかけては、日本最大級の国際的なアートイベント「アートフェア東京」や、3年1度の都市型芸術祭「横浜トリエンナーレ」、ニッチを極めた「専用すぎる腕時計展」、国立西洋美術館初の現代美術展など注目の展示が目白押し。ぜひチェックしてほしい。

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2024年3〜4月にかけて、人気アニメや有名漫画の展覧会が続々と開催される。見逃せないのは、アニメ「葬送のフリーレン」、ホラー漫画の鬼才・伊藤潤二や、人気漫画「弱虫ペダル」の大規模展だ。

緻密で繊細な原画を楽しんだり、制作の裏側をのぞいたり、空想の世界を自由に楽しもう。濃密なアニメ展示を体感してみては。

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