記号化できない東京を切り取る

大石始とVIDEOTAPEMUSICが語る、まだ見ぬ東京のレイヤーの見つけ方

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「現実世界と伝承世界を二重写しにすることで、奥多摩の世界が立体的に立ち上がり、何気ない山間の景色は突如フルカラーに変貌する」(『奥東京人に会いに行く』60ページ)

日本全国、世界各地の祭りや伝統音楽を追いかけてきたライター大石始が10月に上梓した『奥東京人に会いに行く』は、西端は奥多摩の集落、東端は江戸川区の東葛西、さらに絶海の孤島である青ヶ島など、まさに東京の奥地に焦点を当て、そこに住む人々との会話を通して、その地域固有の文化・習慣をルポ形式でつづったものだ。上記に引用したのは、本文からの一節である。

日々の暮らしのなかにエキゾチックを見出す

常に東京の外にあるものを追いかけてきた大石が、ここにきて「東京の奥」に目を向けたのは、一種の回帰だったという。

「僕は数年前から各地の盆踊りや祭りの取材を続けていて、徐々にマニアックなものが対象になってきて。取材に出かける場所が東京から離れていったんです。それがある時から東京に戻ってくるようになった。

それは感覚的にはアフリカや南米の音楽を探していたのが、ある時期から突然街中で流れているポップスや東京音頭に回帰しちゃった感じと似てるんです。自分の生活とは明らかに違うものを異国に求めるんじゃなくて、日々の暮らしのなかに『自分とは違うもの』、ある種のエキゾチックなものを求めるようになっていったんです」(大石)

大石始

大石にとって、その感覚にシンクロする音楽があった。トラックメイカー兼映像作家のVIDEOTAPEMUSICが2017年に発表した『ON THE AIR』がそれだ。

VIDEOTAPEMUSICの音楽を表すキーワードの一つに、エキゾチシズムという言葉が使われる。音楽ジャンルとしての「エキゾチカ」は、1950年代にアメリカで誕生したもので、南国の楽園をモデルにしたムード音楽として端を発した。それは、現地に赴いて音楽を体得するのではなく、ここにいながら「ここではないどこか」を夢想する音楽だ。

大石とVIDEOTAPEMUSICは、その「ここではないどこか」を距離の問題としてではなく、視点の問題として捉えることに可能性を見出した点で共通していた。

「2000年代に入ってから郊外やロードサイドについてさまざまな視点から語られるようになってきましたけど、文化的にはなにも見るべきものがなくて、語るべき物語がほとんどない不毛な土地だといわれることもあるじゃないですか。でも、そこに住んでいる人間がいて、そこに暮らしがある限り、『語るべき物語がない場所』なんてどこにもないと思うんですよ。

『ON THE AIR』のなかに『ポンティアナ』という曲がありますけど、埼玉県草加市・松原団地の熱帯魚店ポンティアナがモチーフになっていて、曲には近くの国道を走る車のエンジン音が入っている。『モータープール』ではパチンコ店の駐車場で録った暴走族のエンジン音も入っていますよね。団地やパチンコ店が並ぶロードサイドって、決して絵になる場所ではないじゃないですか。普通の映像作家だったら決してロケ地として選ばないですよね」(大石始)

VIDEOTAPEMUSIC

「自分がカメラを向けたい場所というのは『記号としての東京』を表した、例えば渋谷みたいなところじゃなかったんですよ。みんながカメラを向けない場所にも東京はあるし、そういう場所にこそ今の時代ならではの景色があるような気がしていて。

いろいろな土地に出向いた先で得るものをあるけど、自分の根底には人ってそんなに簡単にいろんな場所にいけるわけじゃないという気持ちもある。自分が生まれ育った場所に根を張り、そこから生まれる表現の強さもある。僕の音楽表現自体がそういうものに根付いてるところもあると思う。

自宅にあったビデオテープと鍵盤ハーモニカ、近所のリサイクルショップで買った中古楽器、そういうものだけでどれだけ飛躍した表現ができるのか。海外のアーティストとやるときも、あまり主語を大きくせずに、あくまでもローカルとローカルの交流としてやりたい。そういうやり方であれば、自分の根底を変えずにできるかなと思って。個人との対話を通して向き合っていかないと、大切なものを見落としそうな気がしていて」(VIDEOTAPEMUSIC)

『ON THE AIR』収録の『Fiction Romance』のMVは、福生にある米軍ハウスを舞台に撮影が行われ、地元のシニア社交ダンスクラブのダンサーたちが参加した

東京の記号化できない一面

語るべきもの=そこにコンテンツがあるか否かで東京を見渡すのではなく、会話を通してその地域に潜んでいる物語を覗き込む。大石が本のタイトルを「奥東京に行く」とせず、人に会うことをコンセプトにしたのはそのためだった。時代が進むにつれて記号化されていく街に、異なる視点・レイヤーを差し込むには、人を媒介にした物語が必要だったのだ。

「あくまでもそこに住んでいる人たちのポートレートにしたかったし、人と話し、その土地のことを知っていくというプロセスを踏んでいかないと、何も分からない。

この本はもともとは『令和元年のネイティヴ・トーキョー』という大仰なサブタイトルがついてたんです。最初は都心と対比する形で周縁地域の天然性、土着性を掘り下げるという意味でこのサブタイトルをつけていたんですけど、取材を重ねるうちに、『東京のネイティブ性って何なんだろう?』と思うようになったんですね。

青ヶ島で取材させてもらった太鼓奏者の方のおじいさんはもともと内地の生まれで、結婚を期に島に移り住んで、島の人間として生涯を全うした。佃島に住み始めたのは大阪の漁師たちで、いわば移住者だった。

そうやって一つ一つ見ていくと、必ずしもそこで生まれ育ったこと、ネイティブであることが重要ではなくて、土地に対する『思い』のほうが大切だと思うようになったんです。現代であれば移民や外国人労働者のこととも当然関わってくるわけですが、そういう意味でも、東京もまた、簡単に記号化できないぐらい多層なレイヤーで構成されているんですよね」(大石)


「東京は今、オリンピックを目前にして、海外の人が望む記号的な東京像みたいなものに自らの姿を寄せようとしているように感じていて、少し違和感を持つ時はあります。もちろん海外に向けて分かりやすくプレゼンしようとした結果なんでしょうけど、そういうタイミングで東京の別のレイヤーを提示するこういう本が出たのは良いことだと思います。

最近、焼き肉屋に行くのが好きなんですよ。チェーン系じゃなくてローカルなお店に行くと、朝鮮半島の文化と日本の文化が混ざり合っていて、すごく面白い。駅前のちょっとした焼肉屋にも違う文化の面影が見えることがあるんです。

韓国料理研究家の鄭大聲(チョン・デソン)さんの著書にはそういった歴史の話が出てきて面白いんですよ。メニューやタレでもその店のルーツが見えるし、それが東京のある地域で根付くなかで、独自の成熟を遂げている場合がある」(VIDEOTAPEMUSIC)

VIDEOTAPEMUSICのこうした姿勢は、音楽制作のモチベーションそのものでもあるという。過去のインタビューでは「古い映画のワンシーンに興味が湧いてその時代のことを知るように、大きな家や木の背景にどんな歴史があるのか、探し出してきてはそれをエキゾチックな要素として捉える」とも発言している。彼の楽曲にあるムード音楽以上の魅力は、こうした視点からくるものだろう。彼の音楽に導かれた大石は、風景の新しい見方を示唆されていたわけだ。