モチーフの意味と由来
ピーター・マクミラン(以下、マクミラン):私も家紋を作りたいと思っているのです。波戸場さんの家紋はなんですか。
波戸場承龍(以下、承龍):カタバミです。公家の冷泉家もこの紋ですよ。
マクミラン:冷泉家とつながりがあるんですか?
承龍:偶然同じ紋なのです 実は日本で一番多いんですよ。約9%の家がこのカタバミ草という雑草をモチーフにした紋を使っているのです。
マクミラン:クローバーに近い感じですね。アイルランドの象徴の植物は三つ葉なんです。クローバーというより、シャムロックに近いんですが。シャムロックって知ってます?
承龍:シャムロックって、カタバミですよ。クローバーは葉がハートじゃなく、楕円でしょう。
マクミラン:それはびっくりです。波戸場さんは名誉アイルランド人だ。ところで、多くの家紋が丸に入っているのはどういう理由なのでしょうか。
承龍:今は家紋を円から描くのですが、元々は丸がついてなかったんですよ。後から丸がついたのです。室町時代から裃(かみしも)が着られるようになって、それまでは大紋(だいもん)という大きな家紋をつけていたのですが、やはり家紋は丸の中に収まった方が座りがいいので、丸の中に描くようになっていきました。
マクミラン:家紋には、紋付袴以外どんな用途があるのですか?
承龍:暮石に刻んだりしますね。
マクミラン:ああ、そういうことなら我々のクレストと近いですね。公的なものでなく、あくまでも一族の、という。
波戸場耀次(以下、耀次):そうですね。でも届出はいらないんですよ。個人が家紋を持ってもよくて「母方と父方の家紋のどちらをつければいいんですか」という方には、「二つを混ぜて新しいものを作ってもいいのです」とお答えしています。
マクミラン:カタバミのほかには藤の紋もたくさんありますね。
承龍:藤原家がそうでしたね。土地の名前としてあったという説があります。藤はいっぱい花をつけるので、子孫繁栄のめでたい図案だったようです。
有職文(ゆうそくもん:平安時代以来、公家の装束や調度などに用いられた伝統的な文様)にも結構使われています。藤原氏は装束にその藤の紋様をつけるようになりました。それから段々代が下がってくると、中国から牡丹の花が日本に入ってきました。牡丹の花は「百花(ひゃっか)の王」というくらい、位の高い花だった。それで藤原氏はそれも自分の印として使うようになりました。
平安の後期になると、朝廷の中は藤原氏だらけになるので、自分たちの住まいである近衛(このえ)、九条(くじょう)など自分たちの住まいを苗字にし始めました。そこで初めて家という概念が生まれるのです。そして、家紋でいえば、近衛家は近衛牡丹を家紋にします。
九条家は最初、牡丹を使っていたのですが、近衛家が嫡流だから、傍流は藤にしようってことになって、九条藤ができるんですね。また、近衛家から鷹司(たかつかさ)家が分かれて、鷹司牡丹というのができて、九条家から分かれる一条、二条の方は、一条藤、二条藤という家紋をつくった。それが五摂家(ごせっけ)と言われるものになりました。
家紋というのはそうやって生まれてきているんです。江戸時代に入ると、庶民に苗字帯刀は許されなかったけど、家紋をもつことはなぜか許されたのです。だけど、規制の中で大名のものだったり公家のものは使えないから、似たものをほかのモチーフで作っていった。
そういうプロセスで江戸時代、とりわけ元禄時代に爆発的に数が増えたわけです。しかし増えるということは、そこで形が崩れるということでもある。今まで脈々と続いてきたものが全部かき混ぜられてしまうような感じだったと思います。