手話がステージのセンターをとる
三浦が手話を覚えたきっかけは、妻である女優の忍足亜希子との出会いがきっかけだった。
「2002年の自分が所属する演劇集団キャラメルボックスの舞台で、忍足と共演したんです。その時、僕が彼女に一目惚れしてしまって(笑)。なんとか彼女とデートできるところまでこぎつけたんですが、彼女は聴覚障害、いわゆるろう者(ろうしゃ)なんですよ。彼女と付き合いたい一心で、必死に手話を覚えました」
三浦が手話ライブを始めたのは、今から2006年ごろ。自身が所属していた歌と芝居のコラボレーションユニットでの活動で、歌手に挟まれた役者に何ができるか、という葛藤のなかで編み出されたのが、歌と手話を合わせるというアイデアだった。
「手話っていつも端っこなんですよ。会見などの手話通訳を見ていてもそうですし、テレビのワイプを見てもそうじゃないですか。だからこそ、自分のライブのソロパートでは思いっ切り真ん中でやってやろうと思ったんです。その後も本格的に手話ライブを続けようと思ったのは、SOONERSという兄弟ユニットにゲスト出演してもらったことがきっかけです。彼らの楽曲に魂が震えるような感動を覚えて、どうしてもこの楽曲で手話をやらせてほしいとお願いしました」