私の祖父はたった一度だけ子どもたちと孫たちに、自分の両親が朝鮮戦争で亡くなったことについて話してくれた。それは私が17年離れていた韓国に戻ってきたときだった。優しくもストイックな人であった祖父が、話をするうちに目に涙を溜めていく。祖父の両親が彼に「荷物をまとめ逃げるように、自分たちはすぐに追いつくから」と言ったとき、祖父はたったの13歳だった。家から数分の所で祖父が家を振り返って見ると、両親が中にいるまま家には火がついていた。この話を私にすることによって祖父は、故郷であると考えるべきだと彼自身が信じるこの地の重要性を、私に知ってほしかったのだと思う。
私の話は特別なものではない。多くの韓国人が、両親や、さらにその両親たちの似たような話を連想することができるだろう。ソウルは花開く街だが、私たちの首都の色はほんの少しここから車で離れた戦争と対比されるとき、よりいっそう明るくなる。休戦協定が1953年に調印されたが、厳密に言うと2つの朝鮮はいまだに戦争状態だ。人によって兄弟や敵とみなす彼らの、食べ物や文化や物語は、ここソウルではいまだに大変な意味を持つ。歴史はいやが応にも絡み合い、彼らは少なくとも私たちの隣人なのだ。
Hahna Yoon
※タイムアウトソウルの記事を転載