ディスカバー能登ツアー
Photo : Keisuke Tanigawa
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創業200年、田谷漆器店の田谷昂大が案内する「ディスカバー能登ツアー」レポート

震災から8カ月、老舗店主が語る重要無形文化財・輪島塗の復興

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2024年8月30日、石川県能登半島で発生した地震から約8カ月が経過した。この日、外国人が参加する被災地ツアーとしては初の試みとなる「ディスカバー能登ツアー」が開催。スペインやイギリスなど企業の経営者ら8人が参加し、日本を代表する漆器「輪島塗」の産地として知られる石川県輪島市を訪問。震災を乗り越え再起を図る職人たちの姿を見学した。

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ツアーは輪島塗の老舗企業「田谷漆器店」の代表を務める田谷昂大が案内役を務め、同店のギャラリーでは、同店の器で日本酒の飲み比べなどを行ったほか、沈金と呼ばれる技法を披露。漆器の表面にノミで細かい線を彫り、金粉などを擦りこみ美しい模様を表現する職人技に客たちは嘆息を漏らしていた。

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Photo : Keisuke Tanigawa輪島 未来工房 mira-co.

田谷漆器店が運営する作業場や展示ギャラリー、宿泊などができる多機能トレーラーハウス「輪島 未来工房 mira-co.」内で作品を見学したほか、輪島塗のパネルが壁面に施されたギャラリーに隣接するカーディーラーの中で職人による実演が行われた。

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重要無形文化財・輪島塗の伝統と革新

田谷漆器店は200年以上の歴史を持つ老舗だが、震災で事務所棟・工場が全壊、さらに同年にオープンを目前に控えていたギャラリーが大火事で焼失という大きな被害を受けた。 ツアー中は、同店の代表を務める田谷昂大が、震災後の困難な状況にもかかわらず、輪島塗の伝統を守りながら革新を続ける姿勢や被災直後の様子などさまざまなことを語ってくれた。

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Photo : Keisuke Tanigawa

「用いる技術は伝統的なままずっと変わっていません。その技術を採用する商品が、新しいものに変わっていったりしています」と田谷。輪島塗は、その製造工程の厳格さから国の重要無形文化財に指定されている。この伝統と革新のバランスこそが、輪島塗の未来を支える鍵となっているようだ。

輪島塗が重要無形文化財に指定された背景には、その独特の製造工程がある。輪島塗の製造は木地、下地、上塗、呂色、加飾の蒔絵、沈金など、124の工程に分かれており、それぞれに専門の職人が携わるという。

「例えば、下地作りには珪藻土を使います。これは能登の地質が生み出した独特の素材で、輪島塗の強度の源です」と田谷は説明する。珪藻土は何層にも重ねて塗られ、それぞれの層で粒子の大きさが異なる。これにより、微細な隙間まで埋め尽くされ、驚異的な強度が生まれる。さらに、漆の塗りについても厳格な基準があるという。この徹底したこだわりが、輪島塗をほかの漆器と一線を画す存在にしている。実際、日本の伝統工芸品の中で、国の重要無形文化財指定を受けているのは、輪島塗と津軽塗のみだ。

「輪島塗の技術は、誰が作っても同じ品質になるよう厳格に規定されています。これは一見、創造性を制限するように思えるかもしれませんが、実はこの厳格さこそが、震災後の復興を支える力になっているんです」と田谷は語る。

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Photo : Keisuke Tanigawa|田谷漆器店の代表を務める田谷昂大

震災で工房を失った職人たちも、この厳格な基準があるからこそ、ほかの工房で作業を続けることができる。この特性が、産地全体での協力を可能にしているのだ。すでに製造量に関しては震災前と変わらない程度まで回復したという。

しかし、伝統を守るだけでは未来は開けない。田谷漆器店では、伝統的な技法を守りつつ、現代のニーズに合わせた新しい商品開発にも取り組んでいる。

興味深いエピソードとして、アメリカ合衆国大統領のジョー・バイデンに贈呈されたコーヒーカップの話があった。黒と青のグラデーションで仕上げられたこのカップは、能登半島の夜明けと海をイメージしたデザインで、新しい漆の技術も採用されている。

「当初は黒と赤のグラデーションを提案したんです。でも、それが前大統領であるドナルド・トランプのイメージカラーだと指摘されて急遽(きゅうきょ)、青に変更しました」と田谷は笑いながら語った。この逸話は、伝統工芸が現代の国際関係にも密接に関わっていることを示す興味深い例となっている。

また、この青色は、石川県の工業試験場が開発した雲母を混ぜ合わせた新しい漆を使用したことで、メタリックな印象を持つ新たな作品になったという。まさに伝統と革新の産物なのだ。

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珪藻土と禅の世界

ツアーでは能登半島の美しい自然も堪能した。内浦と呼ばれる穏やかな海岸線や、珪藻土でできた独特の地形は同地ならではの景観だ。珪藻土は輪島塗の重要な原料でもあり、地域の産業とは切り離せない要素である。

「能登半島は珪藻土のメッカなんです。元々は海洋プランクトンで、それが地殻変動で隆起して地表に現れたものです。無数の穴が開いていて、その特性を生かして輪島塗の下地に使うんです」(田谷)

この説明を聞いた参加者たちは、目に見えない微生物が何百万年もの時を経て、美しい工芸品の一部となる過程に感銘を受けた様子だった。

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また、総持寺祖院の見学も行われた。田谷漆器店は、漆器の製作・販売・修理における歴史と確かな技術を見込まれ、国宝や重要文化財の修復分野においても力を発揮している。田谷が8年前に家業を継いで初めての仕事が同寺院だったという。思い入れのある場所であることをしみじみと語っていた。

かつて禅宗の大本山として栄えたこの寺院は、輪島塗の全国的な普及にも貢献したとされている。修行僧たちが使用した「応量器」と呼ばれる輪島塗の器が、日本中に広まったという歴史が紹介された。

「応量器は簡単に言うとスタッキングできる器です。修行僧たちが持ち歩きやすいように工夫されていました」と田谷。禅の精神と実用性、そして美しさが融合した輪島塗の真髄を、参加者たちは肌で感じることができた。

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復興ツアー開催への思い

「今、能登半島に来てくださいと言うのが、いいのか悪いのか判断が難しいところですが、私はやっぱり能登半島をみなさんに見てもらいたい。能登半島以外の人たちが定期的に足を運んでくれれば、そこに観光も仕事も産業も生まれると思います。その結果、能登から出てしまった人たちも帰ろうかとなと思ってくれるのではないかと思っていました」と田谷は語る。いつかはこうしたツアーをやらなければいけないと感じていたという。この度、JTBの企画に対して、ぜひうちも携わりたいと手を挙げて、同ツアーが実現した。

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震災の影響と復興への道のり

ツアーでは、震災の爪痕が残る朝市なども訪れた。田谷は自身の体験を交えながら、震災直後の状況を生々しく説明した。

「1月1日の輪島は、まるでゴジラが通って街を壊していったような有様でした。しかし、その時と今日ではその風景は全く違います。今は取り壊しも進んで更地が増えてきました。電信柱もまっすぐになりましたし、電気も水道も通っています」

田谷は「復興が早いか遅いかを議論するのは難しい」と慎重に言葉を続ける。課題はまだまだ山積みだからだ。

震災は多くの人々の生活を一変させたが、同時に新たな可能性も生み出した。田谷はRECOVER NOTOという会社を立ち上げ、能登の復興と地域産品の販売促進に取り組んでいる。生産者の思いと商品のストーリーを伝え、単なる復興支援を超えて、能登の魅力を再発見し、長期的な地域振興につながっている。

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RECOVER NOTO:久保夫婦のギャラリー再建

復興への取り組みの中で、特に印象的だったのが久保研二と美樹夫婦の物語だ。元々は金沢市内で働いていた二人が輪島に移住したのは、能登の魅力に惹(ひ)かれたからだった。「ドライブで能登を巡るうちに、この地の文化や自然、食の素晴らしさに魅了されたんです」と久保は語る。

輪島に移住して間もない頃、二人は田谷と出会う。輪島塗の新しい可能性に挑戦し続ける田谷の姿勢に共鳴した久保夫婦は、田谷漆器店のギャラリー開設を手伝うことになった。しかし、その矢先に震災が起きたのだ。

「震災直後は、本当に先が見えませんでした」と久保は振り返る。夫婦で営むはずだったギャラリーは、オープン直前に全焼。「テレビで自宅が焼ける様子を見て、笑ってしまったんです。今思えば、精神的にかなり不安定だったんでしょうね」

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そんな絶望の中で、田谷から投げかけられた言葉が二人の人生を変えた。「働くお店と自宅が焼け、全てを失ったお二人にこう言うのは、きついかもしれませんが能登復興のために、お店と会社を再建するので一緒に頑張りませんか?」。この言葉に、久保夫婦は再び前を向く勇気をもらったという。

「物資や見舞金ももちろんありがたかったですが、一番嬉しかったのは友人や家族からの『何とかなるよ』『応援するよ』という言葉でした」と久保は語る。

その経験から、二人は能登の復興に携わることを決意。現在は「RECOVER NOTO」の活動に参加し、地域の魅力を発信する新たなギャラリーの再建を目指している。

「能登には、まだ知られていない素晴らしい産品がたくさんあるんです。単に同情で買ってもらうのではなく、本当に良いものだから買ってもらい、それが復興につながる。そんな好循環を作りたいんです」

生産者の思いと商品のストーリーを伝え、単なる復興支援を超えて、能登の魅力を再発見し、長期的な地域振興につながっている。

さらに、久保夫婦にはうれしい出来事があった。震災から5カ月後、待望の赤ちゃんが誕生したのだ。二人は子どもに「希(のぞみ)」と名付けた。

「娘には復興する街を見てほしい。頑張っている人たちを見てほしい。能登の自然の中でスクスク育ってほしい」。そう語る久保の目には、確かな希望の光が宿っていた。

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自分の子どもが育っていくのを見守るように

田谷は、「自分の子どもが育っていくフェーズを楽しむように能登半島にずっと関わってほしいです。現状を見て、そして語っていただきたいと思っています。定期的に足を運んでくれれば、そこにやっぱり僕は観光も仕事も産業も生まれると思います」と述べ、観光を通じた復興支援の重要性を強調。今後はほかの漆器店や観光業者にも呼びかけてツアーを実施し、被災地全体の復興を目指していくという。

また、若い世代の職人育成にも力を入れており、産業の持続可能性を高める取り組みも進めているという。

震災の記憶を風化させず、長期的な視点で復興を支援していく。そんな取り組みの第一歩として、このディスカバー能登ツアーは大きな意義があったと言えるだろう。

能登の復興は、一歩一歩着実に進んでいる。このツアーは、その過程を見守り、支援する重要性を参加者たちに強く印象づけた。能登の人々の強さと希望、そして美しい自然と文化が織りなす物語は、これからも多くの人々の心を動かし続けるに違いない。

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神田にある創業130年の老舗洋菓子店「近江屋洋菓子店」が、「令和6年能登半島地震」で被害に遭った被災地を支援するため、原料から一次加工、印刷・郵送など全ての過程を石川県内で行うチャリティーエコバッグを作成した。全収益は、地震の義援金として送付される予定だ。

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