シディーク ナショナルマート 新大久保店
取締役の味庵(みあん)・ラムザン・シディーク(Photo: Kisa Toyoshima)
取締役の味庵(みあん)・ラムザン・シディーク(Photo: Kisa Toyoshima)

「会社ではなくあなたを信用している」、ナショナルマート取締役が語る東京の20年

パキスタン出身の味庵・ラムザン・シディークにインタビュー

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東京都生活文化局の調べによると、東京都内で生活する外国人は184カ国と地域の約54万6000人(2021年1月1日時点)を数える。10年前から比較すると、その数は12万人以上増加した。

街に出ればさまざまな国旗が掲げられたレストランやショップを目にするだろう。そんな多文化都市としての横顔にスポットを当てるべく、東京で活躍する外国人にインタビューをしていくシリーズ『International Tokyo』を企画。実際に東京で生活する外国人がどんな思いで暮らし、人や街とどんな風に関係しているのかを聞いていく。

第1回は、パキスタン出身で2012年に日本国籍を取得した味庵・ラムザン・シディークに話を聞いた。味庵は、パキスタン料理店のシディークやアジアン食材店のナショナルマートなどを経営する和新トレーディングの取締役を務め、東京にハラルやパキスタン文化を浸透させている立役者だ。

彼は日本の魅力や東京でビジネスを成功させるコツ、東日本大震災やコロナ禍の影響などを語ってくれた。

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日本は一生懸命やっていれば成果が付いてくる

―日本でビジネスを始めたきっかけを教えてください。

1995年に日本へ留学したのがきっかけです。15歳ごろから食に興味も持ち始め、1997年に勉強の傍ら、パキスタンの家庭料理店、シディーク1号店を新宿に開店(2021年現在、都内に7店舗、千葉県に1店舗展開)しました。

もともと貿易に興味があって日本に留学したため、妻と共同で和新トレーディングを立ち上げ、ハラルやパキスタンの食材を日本に輸入するほか、自社工場での製造販売も行っています。2010年にパキスタンマンゴーの輸入販売を本格事業化させ、日本の大手スーパーマーケットへの販売を開始。2021年3月にシディークナショナルマートを製造拠点がある木更津にオープンしたのです。

また、日本は治安の面など安心・安全が実現していると感じ、この国に住みたいと思っていたのも、店を始めるきっかけとしては大きいですね。

―シディークはカレーの激戦区である『神田カレーグランプリ』に出場し、3年連続準優勝を獲得、ナショナルマートもSNSを中心に大きな反響を呼んでいます。こうした事業を成功に導くための秘訣(ひけつ)はありますか。

休まず働き続けることですね(笑)。ほかには「何でも一生懸命にやり抜く」ということはいつも気をつけていました。自分の情熱や考えが相手に届けばうまくいくんじゃないかと思いますよ。

シディークの1店舗目は、人通りが少なく立地的に良い場所ではなかったんです。それでもめげずにオフィス街の客層に合わせて、ランチメニューを提供したり、価格や量を調整するなど、さまざまな工夫をしました。当初は客単価が安くなってしまい、店の運営費が捻出できず、別のアルバイトで補填するなど大変な時期がありましたが、やがて口コミで話題の店になったのです。

対して、パキスタンで事業を始めるのは簡単なことではありません。3つの要素が必要だといわれています。1つ目は資金。2つ目はさまざまな場所で通用するコネクション、3つ目は社会的に有力な支援者です。お金があるだけでは何もできないのです。

日本は真面目に法律を順守して、一生懸命やっていれば問題はまず起きません。それに、本当に困ったときはお世話になった人たちが助けてくれました。

東日本大震災の影響で事業売却

―具体的にはどんな助けがあったのでしょうか。

シディークは、2011年の東日本大震災の影響で多くの店舗が閉店し、残った店舗も別会社が経営することになりました。それでも、付き合いのあった業者は「会社ではなく、あなたを信用している。だから頑張ってほしい」と離れずに私と取引を続けてくれました。

そのおかげで、私は残っていた和新トレーディングの貿易事業に注力し、経営が上向いたとき、シディークを再び自社経営に戻すことができたのです。そうした助けがなければ、私は事業を復興させることはできなかったでしょう。

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コロナ禍が生んだチャンス

―新型コロナウイルス感染症拡大は、ビジネスにどんな影響がありましたか。

シディークの売上は8、9割減になってしまい、2店舗閉店しました。2021年は国からの補助金によって何とか踏みとどまっています。ほかにも、ビザなどの関係で自分の国に一時帰国した従業員が戻って来れなくなってしまうなど、なかなか大変でした。

また、インバウンドが止まったことで米や和牛などの原料が値崩れしたのです。卸売りは大打撃でした。ハラルの牛肉業者は、買い手が見つからず大変だと聞きましたよ。

しかし、コロナ禍のおかげでチャンスも生まれました。シディークナショナルマート 新大久保店は、物件に空きが出たおかげで入居できましたし、東京タワーにもシディークを出店できました。ほかにも、時間が空いたために新規事業として米や野菜、キャッサバなどの農業に参入しました。今後は農業にも力を入れたいと考えています。

補助金をもらうために専門家を雇用

―東京がより国際化していくために改善してほしいと感じる点はありますか?

就労ビザが取りづらい点は改善してほしいと感じています。それに、行政に出すべき申請関係の書類はあまりにも細かく、煩雑。日本人でも一般事務員では分からないくらい難しいと思います。

例を挙げると、コロナ禍における補助金の申請です。日本語が分からない外国人には本当に大変で、諦めて補助金をもらわなかった人も知っています。結局私たちも、補助金をもらうために専門家を雇わなければいけませんでした。

困っていて、国から補助金をもらうために、その何割かを支払うというのはあまり賢い話ではありません。英語の案内があるなど、外国人でも分かるようにシンプルにしてほしいと願います。

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ハラルフードも客の目がシビアに

―オープン当時と比べて、東京が国際的になったと感じる点はどんなところですか?

当時はまだハラルが珍しく、遠方からわざわざ訪れる人も多かったのですが、今はいろいろなところで食べることができますね。またSNSが普及して、情報も素早く入手できるようになりました。そのためハラルやパキスタンフードでも、おいしくて、常識的な価格にしないとお客さんはすぐに見抜きますよ。

―今後、東京で実現したいことなどがあれば教えてください。

デリやスイーツがその場で食べられるフードコート併設型のアジアンスーパーマーケットは日本にはまだ少ないので、今後もっと増やしていきたいですね(12月下旬ごろには八潮市に新店舗をオープン予定)。

海外になかなか行けない今、パキスタンの人々が故郷の味を手軽に食べられる場所になればいいと思います。また、多くの日本人にパキスタンのローカルフードを楽しんでもらい、おいしいものだと知ってくれたらうれしいです。

味庵・ラムザン・シディーク

和新トレーディング株式会社取締役

パキスタン・ラホール出身。1995年に日本へ留学。1997年、在学中にパキスタン料理店、シディーク1号店を新宿に開店。2012年に日本国籍を取得。2018年に農業組合法人アクア緑菜農園を譲渡。2021年アクア水産を設立(7月に千葉県木更津市に海鮮浜焼き店、和新をオープン)。同年3月に自社スーパーマーケット、シディークナショナルマート 木更津イオンタウン朝日店を開店させるなど精力的に事業拡大している。

アジアンカルチャーを探索する……

大手町からわずか15分。西葛西は、IT系技術者のインド人のビジネスマンが多く住むエリアだ。ほかのエスニックコミュニティーと違い、ヒンドゥ語の看板も目立たず、観光的な要素はなく、街に自然となじんでいる。

本格的なインディアンレストランが点在し、インド系ファミリーの日常に寄り添った店が多い。東京では珍しい家庭料理やスイーツ、食材店などもあるので、旅する気分で散策したい。インド料理がカレーとナンだけでないことに驚くはず。

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  • レストラン

注目されつつも、なかなかブームの波が来ないビリヤニ。ただ、その認知度は確実にここ数年で格段に上がっていて、特化したレシピ本が刊行されるなど、大波がそこまで押し寄せている。

2021825日に、満を持して神田にオープンしたのがビリヤニ大澤。出店のためのクラウドファンディングはわずか2日間で達成し、最終的には1,300万円を超えるなど、目標をはるかに上回る支援を集めたビリヤニ専門店だ。

  • ショッピング
  • スタイル&ショッピング

新大久保の魅力は韓国料理やK-POPのファンショップだけではない。イスラム横丁があり、多くのネパール料理店があり、スパイスショップがある、ということを知る人は数年前よりも増えていると思うが、蔵前で人気のアンビカショップが新大久保にも進出したことはご存じだろうか。 

アンビカは1998年創業のベジタリアン、ビーガン向けの食材店。インドを中心に各国から輸入した本場の食材やスパイスを扱い、一般客だけでなく多くのインド料理店やカレー店も利用している老舗である。

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