映画「52ヘルツのクジラたち」​​インタビュー:志尊淳、若林佑真
Photo: Kisa Toyoshima
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映画「52ヘルツのクジラたち」​​インタビュー:志尊淳、若林佑真

トランスジェンダー役を巡る現状は

Hisato Hayashi
寄稿:: Mitsui Yoshida
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タイムアウト東京 > LGBTQ+ > 映画「52ヘルツのクジラたち」​​インタビュー:志尊淳、若林佑真

2024年3月1日公開の映画「52ヘルツのクジラたち」で、トランスジェンダー男性の岡田安吾役として出演した志尊淳のInstagramストーリーズが話題となった。

劇中で志尊がつけていたあごひげに対して、ファンから「似合わない」という感想に、「自分でも似合ってないなとは思います(笑)」と前置きしながらも、「世の中には似合ってるか似合ってないかじゃなくて、自分がやりたいから、好きだから、自分を表現できるからでやってる人もたくさんいます」と意見を投稿。「この映画でもこのひげは必要であり、演じた岡田安吾を守る大切なものです」と、あごひげをつけるトランス男性への思いを続けた。

これに対し、LGBTQ+当事者を中心に、「真摯(しんし)に向き合っている」「安心」など好意的な反響が広がった。

本作で志尊の「トランスジェンダーの表現をめぐる監修」を務めたのは、俳優で自身もトランス男性の若林佑真。2人はお互いに「思ったことは全部言い合う」と決め、二人三脚で岡田安吾の人物像を練り上げていったという。

トランスジェンダーの表現をめぐる監修とは一体どんなことをして、どう人物像を作り上げたのか?Instagramストーリーズ投稿の背景とともに、作品に込めた思いを聞いた。

テキスト:吉田ミツイ

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所作ではなく内面を深掘り

ートランスジェンダー監修とは、どういったことをされたのか教えてください。

若林:まず、脚本から参加して、トランスジェンダーに関するセリフや所作表現の監修をしました。具体的には、脚本の段階で「この描写は、観客に対してミスジェンダリング*を誘導してしまう可能性があるという指摘や、LGBTQ+インクルーシブディレクターのミヤタ廉さんとも話し合い、小説を映画化するに当たってどんな表現なら誤解を生まず当事者のリアリティーや物語を届けられるのかということを共有していました。

* 性別を誤認させるような表現、トランス男性を女性のように扱うなど

脚本ができた後は淳ちゃん(志尊)と一緒に、安吾という人物を深掘りしていきました。安吾はこういう経験をしているだろうから、このセリフの言い回しはこうなるんじゃないかなど、具体的な提案をさせていただきました。

美術やビジュアルなどにも及びました。安吾は自身がトランスジェンダーであることのコンプレックスが強い人だと感じていたので、きっと体にもコンプレックスを抱き、より男性的な体になるために日常的に筋トレをしていたのではないかと思い、「美術に筋トレグッズ入れるのがいいのではないか」と提案させていただいたり、あごひげも含めて安吾に関わることにはほぼ全て関わらせてもらいましたね。

ー志尊さんが当事者のあごひげへの逡巡(しゅんじゅん)を理解した上でつけられていたのには驚きました。

志尊:本作に限った話ではなく、役を演じるにはその役がどんな気持ちを抱えて、どんな表情をするのか、1シーンごと深掘りしないと演じることはできません。ひげも、佑真くんから言われるがままにつけたわけではなくて、ひげの長さ・幅など、佑真くんと僕で悩みながら選んでいったんですよ。

若林:ミリ単位でね。めっちゃ時間かかったよね。

志尊:何回もテストしてみて「いや、ちょっと幅が広くないですか」など相談して。

若林:ひげの感じはめっちゃ話し合いました。「議論しよう」ではなく、自然に、楽しく。淳ちゃんに似合うあごひげの形を、みんなでワイワイ盛り上がりながら考えたんですよ。

というのも、トランスジェンダー男性にとっては、ひげって他者から男性として認識してもらえる武器みたいなものでもあると思いますし、僕自身も生えてきた時はすごく嬉しくて。整えるのがめんどくさいこともありますが、そういった感情さえも”男性”を感じれる瞬間なので、そう言った意味できっと安吾も、毎日楽しみながらひげの形を整えていたのではないかなと思ったんですよね。淳ちゃんは、そういったことを伝えるためにあのInstagramストーリーズをアップしてくれたの?

志尊:僕は軽い気持ちで答えただけなんだよね。あんまり重く捉えてほしくなかったから。最初は「作品を観てもらえればいいや」って思ってたんですけど、ひげへの指摘を「たいした問題じゃない」と思われたままにしていることで、傷つく人もいるかもしれないなと思ったんです。

観てくれた人の中には「好きでやってるのなら、周りに何を言われても関係なくない?」という反応もあったんですが、「周りが言わなくてもいいことをわざわざ言うことで、傷つく人もたくさんいるんだよ」ってやっぱり伝えたかったんですよね。

演技以上に難しい「偏見を助長しないこと」

ー志尊さんは、これまでにもトランスジェンダー女性、ゲイ役を演じてこられました。今回と比較して、何か違いはあったのでしょうか。

志尊:どれも簡単に演じられるものではありません。ですが、ジェンダーやセクシュアリティーが何であれ、一個人を演じるという意味で差はないんですよ。 

ただ、僕の性自認は男性で、そこはトランスジェンダー男性と同じだからこそ、演じる上でどのように”男性”であることを表現するかは考えさせられました。一方で、出生時に割り当てられた性別は男性なので、トランスジェンダー女性の経験の方が想像しやすい側面があるかもしれません。 

今は当事者が演じた作品がほとんどない中、非当事者である僕が演じることで、偏見や差別を助長しかねない状況です。その点も含めて、安易に演じられるものではないとは、変わらず思っています。

若林:淳ちゃんは最初からトランスジェンダー男性というアイデンティティに留まらず、一人の人として、安吾という役にすごく向き合ってくれていたという印象があります。監修するに当たり、淳ちゃんは僕に「思ったことは全部言ってほしい」と話してくれて。実際に僕が指摘した時もふてくされたり嫌な顔ひとつせず、でも、「いや、待って。分かるんだけど、これはこういう意図でやってるんだ」って思ったことをはっきり伝えて対話してくれて、役に落とし込もうとしてくれました。そういう環境で監修させていただけたのは本当にありがたかったです。

正直に言うと……、僕は人に対して本音や反対意見を言うのが、めちゃくちゃ苦手なんですよ。「このタイミングで言ったら変な空気になるなー」とか、「これ以上は嫌がられるから言わないでおこう」と、本音を言わずにいたこともこれまでは沢山あって。

今回も、頭の中で「うわぁ……今言ったら絶対和を乱すよなぁ」と思った瞬間もあったんですけど、この監修のお話を受けた時、「おかしいと思ったことは絶対に妥協しないで全部言う」って決めていたんです。

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気付いたことは妥協なく伝えたい

ー「トランスジェンダー監修を妥協しないでやる」とはどういう思いから決められたんですか?

若林:監修と言っても、僕は「若林佑真」としての人生しか生きたことがないので、僕以外のトランス男性の方のことは分かりませんし、「トランス男性」といっても一人一人考え方は違いますよね。

でも監修を受けたら、僕一人の意見に重きが置かれます。そうなると、どんなに僕が考えを尽くしたとしても絶対に誰かを傷つけてしまうと思ったんです。その可能性を踏まえた上で、改めて自分にできることを考えて、出した結論が「絶対に妥協しないこと」。それが自分にできる責任の取り方だと思いました。

だから、僕が「この表現はおかしい」と感じたら、仮に進行に支障が出るとしても、全部言いました。監督にも、淳ちゃんにも。

志尊:今回、佑真くんとは、本当にたくさんやり取りをしました。佑真くんが現場にいない時でも、連絡を取って相談する、なんてこともありました。佑真くんは「めちゃくちゃ掘り下げて物事を捉えている人」だなと思うんです。「ああ、負けた」って思うぐらい、自分が考えていることのはるか遠くのものを読み取っていたこともありました。

佑真くんが「妥協なく」と言ってた通り、本当に「少しでも観てる人みんなが生きやすくなったらいいな」という気持ちを投げてくれていたんじゃないかと。僕も、責任を持って演じなきゃなっていうのはすごく思いました。

ー若林さんは「表に立つのは志尊さん、杉咲さんだから」とよくお二人のことをおっしゃいます。お二人の存在は大きかったですね。

若林:本当にそうです。淳ちゃん、花ちゃん(杉咲)がこんなにも寄り添ってくれているのに、自分がここで投げ出すわけにはいかない、という思いがありました。

花ちゃんとは、脚本や宣伝の部分で話すことが多かったんですが、彼女も「何でも言ってください」と言ってくださっていたんですよね。矢面に立つのは役者さんであるからこそ、僕も一緒に最後まで背負いたいって思いました。

当事者の役者と比較できない現状を変えていく

ー今、世界的にも「トランスジェンダー役は当事者がやるべきだ」という風潮が高まっています。

志尊:僕が思うのは、「今、当事者が演じた作品を観てみたい」ということです。今って、当事者の人が演じた商業的な作品がほとんどありませんよね。僕は非当事者の立場で演じたわけですが、自分の演技を当事者の役者と比較することもできません。当事者の俳優さんが演じる作品は、何本もあってほしいです。比較もできない状態では何も言えませんが、少なくともより当事者の気持ちが分かる人が演じた方が、偏見を助長する可能性が減ることは間違いないでしょう。

それとトランスジェンダーの役者だけでなく、制作現場に当事者が関わることも大切だと思うんです。佑真くんの生い立ちを元に作られた「イッショウガイ」という舞台を観たことがありますが、皮肉とか笑いとか、当事者だからできる表現や演出がちりばめられていました。出演されていた俳優さんたちは当事者も非当事者もおられましたが、佑真くんが企画・脚本を担当していたこともあって、非当事者では描ききれない視点も含めて、とてものびのびと表現されていたんですよね。

当事者が現場に少ないことで、できることの幅が狭まって、観てくれる人の理解度を深める壁にもなっていると思うんです。なにより、当事者だからこその視点やできる表現は実際あると思うんです。

若林:淳ちゃんが言ってくれた通り、現場に当事者や有識者の方がいるということは、本当に大事なことだと痛感しました。というのも今回、僕もミヤタさんの存在にすごく助けられたからです。ミヤタさんはゲイの当事者として、僕とは違う視点を持っている方で、僕が脚本上で感じている懸念が「僕個人の懸念」なのか「監修者としての懸念」なのか僕一人では判断がつかなかった時、後ろ盾になってくださいました。

例えば、脚本にトランス男性を揶揄する言葉が入っていて、僕がそれに違和感を覚えた時、僕自身が当事者だから自分を否定されたように感じて違和感を覚えているのか、物語として違和感を覚えているのか、自分では判断がつかないことがあったんですよね。 そんなとき「物語として違うと思います」と、ミヤタさんが客観的な立場から意見をくれることが本当に支えになりました。

志尊:そうですね。佑真くんとは納得するまで話し合っているから当然信頼していますが、ミヤタさんもおっしゃるんだったら間違いないと、信じて突き進むことができました。当事者や有識者が現場にいること、そして当事者が演じることで、役者側もオープンになれる。それは、映画業界にとって確実にいいことなんですから。少しずつでも業界全体の風潮を変えていくために、僕らができることをやっていかなくてはと思っています。

志尊淳スタイリスト:九(Yolken)
志尊淳ヘアメイク:礒野亜加梨

作品情報

主演には第78回毎日映画コンクールで女優主演賞を獲得した杉咲花、共演するのは志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨と、最旬若手実力派たち。監督は第35回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞など10部門を受賞した「八日目の蝉」の成島出が務める。

原作は、2021年本屋大賞に輝いた町田そのこの同名小説。傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚(杉咲花)は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年(桑名桃李)と出会い、一緒に暮らし始める。やがて少年には、たった一つの“願い”が芽生える。その願いをかなえることを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り救い出してくれた、今はもう会えない安吾(志尊淳)とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時、聴けなかった声を聴くために、もう一度 立ち上がる。

「52ヘルツのクジラたち」絶賛公開中

出演:杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨 桑名桃李/余貴美子 倍賞美津子
監督:成島出/原作:町田そのこ「52ヘルツのクジラたち」(中央公論新社)
主題歌:「この長い旅の中で」Saucy Dog(A-Sketch) 2024年|日本|カラー|ビスタ|5.1chデジタル|136分|配給:ギャガ ©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

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主演・鈴木亮平、共演・宮沢氷魚による独りよがりな愛の献身映画「エゴイスト」が、2023年2月10日から全国公開された。注目してほしいのは、クレジットに「LGBTQ+インクルーシブディレクター(inclusive director)」という見慣れぬ役職が入っている点だ。同職は、映画などの作品に脚本の段階から参加し、性的マイノリティーに関するセリフや所作、キャスティングなどを監修する職業である。

実はこの肩書を日本で名乗るのは、同作にキャスティングされたミヤタ廉が初めて。アメリカにはさまざまなエンターテインメント作品に対して、性的マイノリティーに関する表現の監修やアワードなどを発信している「GLAAD」を筆頭に、同種の役割を担う組織が存在する。

日本でも、LGBTQ+コミュニティーに関するトピックやコンテンツは増えており、社会の認知・理解度も深まっている。こうした時代背景の中で、多様なコンテンツをよりリアルで、魅力的なものにしていくためのプロフェッショナルが求められるのは自然な成り行きだろう。

エゴイストは、ゲイであることを公表していた高山真の自伝的小説を映画化したものである。同作において多様なゲイに関する表現を監修したことで、日本初のLGBTQ+インクルーシブディレクターとなったミヤタに、同作での役割と一体どんな魔法をかけたのか話を聞いた。

  • LGBT
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わずか、数百人の勇気ある歩みは、
やがて、数千人の行進に変わった。
次は、社会を変えるため。私たちは進み続ける。

(東京レインボープライドクラウドファンディングページのプロジェクト本文より)

東京レインボープライド2024」の開催に伴い、特定非営利活動法人東京レインボープライド事務局がプライドパレード開催30年を振り返る冊子「PRIDE 30th」刊行のためのクラウドファンディングを、2024年4月26日(金)23時まで実施している。

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映画『片袖の魚』は、文月悠光の詩を原作に、自分に自信が持てないまま社会生活を過ごすトランスジェンダー女性が新たな一歩を踏み出そうとする物語だ。日本初となる、トランスジェンダー女性の俳優オーディションが開催されたことでも注目を集めている。今回、主人公の新谷ひかり役に抜擢(ばってき)されたイシヅカユウに、映画の裏話をはじめ、映画界におけるトランスジェンダーの描かれ方についてインタビューした。

映画やテレビ、舞台などでキャリアを重ね、注目を浴びる俳優、高橋一生。先月にはハードなアクションシーンを含むドラマ「インビジブル」が最終話を迎えたばかりの彼が次に挑むのは、一人芝居「2020」だ。

戯曲は芥川賞作家の上田岳弘による書き下ろしで、演出は高橋と何作もタッグを組んでいる白井晃。高橋自身が両者を引き合わせるなど、企画段階から深く関わっている。彼は一体どのような思いで、どんな舞台を世に送り出そうとしているのだろうか?

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「カムバック」と呼ぶのは正確ではないかもしれないが、2023年はメジャー映画が再び輝きを取り戻したかのようだった。確かに、盛り上がりの多くは正反対2作、「バービー」と「オッペンハイマー」に集中していたし、両作品が同日公開されたということも大きいだろう。

「#バーベンハイマー」という造語にもなったこの両作品は、結局、昨年のポップカルチャーを特徴づけるものとなった。それらに続くのは、ライブツアーの記録映画「テイラー・スウィフト:THE ERAS TOUR」で、興行成績もそう悪くなかった。こうした活気を感じられたのはいつぶりだろうか。

そして、2024年に向けての問いは「この盛り上がりがこのまま続くのか」だ。確かに、ハリウッドはそこに挑戦しているようだ。今年は大作の公開が多い。30年かけて作られた続編シリーズの数々もあれば、期待の集まる初公開作品や大物主演の続編もある。不思議なことにミュージカルもたっぷりだ。ここでは、2024年に最も楽しみな映画を紹介しよう。

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