「なにもない」が育むもの
齋藤の同著は、改正の活動の過程で発生した障害と問題解決のためのノウハウを記した一冊であると同時に、そのルールメイキングのマインドをビジネスやカルチャーの最前線に応用するための指南書でもある。
齋藤は風営法改正を推し進めるなかで、カルチャーの活性化や新しいマーケットの開拓という広い視野での未来を見据えるために、問題解決の上でトップダウン構造を拒否した方法での改革を実践した。
深夜営業に関わる事業者のみならず、さまざまな業界がこの風営法改正の成功に大きな注目を注いだのは、今の日本において、しがらみを越えて利己主義的要素を限りなく排したかたちで変革がなされることがいかに稀(まれ)なことか、ということの証左でもある。
若林も、行政と連携する都市開発に関わる身として、改正にまつわる一連の事象に興味を持っていたという。複雑なしがらみがあるなかで、最良の結果を導くにはどうすればいいのか。そこで最重要視される、最適なレギュレーションや座組みをどう定めるか、といった課題に対して、齋藤は「ボトムアップ型のフレーミング」を提唱している。
これは、特定の業界や企業が主導権を取ってけん引する方法ではなく、複数のステークホルダー(企業などの組織が活動を行うことで利害が伴う影響を受ける関係者)が対等な立場で議論を重ね、課題解決のために合意形成をしていくという方法だ。要するに、利害関係による足の引っ張り合いを生まず、社会全体で次の一歩を選択するために有効なプロセスだ。
リソースがないところからムーブメントを起こした
多くの業界がトップダウン構造から脱却できない状況にある日本において、風営法改正にまつわる運動では、なぜこの手法が機能したのか。齋藤はその一因を、音楽に携わる人々が持っている特質にあると考える。
「(風営法改正は)署名運動などの古典的なやり方から始まって、ボトムアップで法律を変えようという動きにつながったという点で新しかった。ただ、だいたいの署名運動やデモが、一度盛り上がって終わってしまうなか、風営法改正ではなぜうまくいったのか。
盛り上がりの後にどう戦略的に変えていくか、という道筋がなにも用意されていない状況だったと思います。業界のような組織もないし資金力もない。政治や行政とのネットワークもない。
その『なにも持たない』ところからアプローチを生み出していくということが、音楽を作る人、音楽に携わる人たちはうまい、というか、もともとそういうマインドを持っているんじゃないかと思うんです。
例えば、サンプリングにしても、あるいはスクワッティングもそうかもしれない。リソースがない中で、どのようにして自分たちを表現していくか。ある種のDIYマインドによって、観光や不動産開発のような異業種、さらには政治や行政の巻き込みに成功し、具体的な成果につながったのかなと思います」(齋藤)
真空地帯がベルリンのテクノを育んだ
「なにもない」という環境が音楽の歴史においてイノベーションの起爆材となることを、若林はベルリンのテクノカルチャーの成り立ちから学んだという。
「長い年月にわたって東西に分断されて生きてきたベルリンの人たち、しかもお互い相手のことを悪魔のシステムのなかで生きていると考えてきた人同士が、いきなり一緒に暮らしてください、というのは相当ストレスフルな状況だったわけです。
片方がもう片方の土俵に乗ってしまうと差別される人が生まれてしまう、という状況のなかで、どちらの土俵でもない新しい環境というのは重要な役割を担う。
歴史のあるものは誰かのコンテクストに乗っかることになるけれど、テクノの歴史のなさとか、機械の音楽であることが、お互いのアイデンティティーを一時的にでも降ろして交わることができる空間を作った。
それが今のベルリンのカルチャーの根底にあるんだ、という捉え方を知って、合点がいった。だから、常にニュートラルな場所であるってことが彼らのなかでは価値のあることであり続けている。
そこは気楽になれる場所でもある一方で、それ以外にコミュニケーションを築く方法がないというくらいのシリアスさも背景にある。過去の価値観を持ち出されると血みどろになるってことを分かっているわけですよ」(若林)