本当は「ロックフェスティバル」という名前にもしたくなかった
ー『フジロック』の初期のころに日高さんが発信されていた「これはロックフェスティバルで、大型コンサートではないのだ」というメッセージを、改めて新しいお客さんにも知ってもらいたいとか、そういったことは考えたりされますか。20周年ということもあり。
日高:ないない(笑)。20年だからどう、とか考えてやってきたことは一度もないんだよね。今日を過ごしたら明日があって、毎日面白いことがないかってことを考えて過ごしてる。子供のときから。音楽業界に初めて入ってから30代までで、これはおかしいという矛盾をたくさん感じて、「もっと音楽を楽しめないかな」っていうことを考えて、その延長線にあったのがフェスティバル。音楽を中心に遊べる場所っていうのが俺にとってのフェスティバルのというものの原点だから、10年目とか20年目っていうのは関係ないよね。そりゃ、お客さんの安全に関わることだから、お客さんがそれぞれやり方を身につけてくれるように、ということは当然考えるし、そういう意味で当初は発信していたんだよね。
で、そのほかのイベントで、フェスティバルになっているものと、そうじゃない、単なる大型音楽スーパーマーケットになっているものがあるわな。はい、ここに並んでくださいっていう、動物園か水族館みたいなさ。俺はそういうの嫌いなんだよな、どっちが観られてるのか分からない動物園とか水族館みたいなものって。気候の違う土地に連れてきて檻の中に入れてさ、不自然じゃない?どっちがお客さんでどっちが演奏者なのか、それは自分らで考えることであって。これは特定のイベントを指しているわけじゃなくて、一般論。
だから、ひとつ言いたいのは、馴らされるのは嫌だっていうことなんだよ。この列を辿っていけばどこかに行けますなんていうのは。フジロック的なるものっていうのがあるのかどうか俺には分からないけど、こういったものをやりたかったし、正しいことかどうかもわからないけど、「やりたい!」となったら止まらないんだよ。10代から30代で南極と北極以外の色々な国をまわったけど、それぞれの音楽とそこにある文化を、日本の人たちにももっと観てほしいし知ってほしいと思った。
70年代とか80年代からの日本の音楽ファンはインドア派が多いんだよな。聴いて、詞とライナーノーツを読んで、っていう。それはそれで素晴らしいんだよ。エルヴィス・コステロも褒めてたけど、言葉が違うのにこんなに自分たちの詞をしっかり読んでくれている国はないって。それはひとつ誇り。だけど、そこから横に伸びていかないんだよね。
日本っていう国は、カテゴライズするのが好きな国なんだよな。そうすると安心するというか。九州の人は酒が強い、とか嘘をつけって(笑)。音楽でも絵画でもそう。そうすると停止しちゃうんだよな人間って。自分の目とか耳を肥やすってところまで行かない。音楽とかアートとかって、次から次へぶち壊すものが出てくるのが当たり前なんだよ。それはロックンロールと呼ばれたかもしれないし、パンクと呼ばれたかもしれない。でも、ずっと同じことばかりやっていてもそれはロックでもパンクでもなんでもない。それは演歌になっちゃう。マイクの持ち方はこうで、女は振られたら北に行くとかね。なんで北に行かなきゃいけないの?隔離政策かって(笑)。とにかく、ぶち壊す作業だと思ってる。ビートルズもプレスリーとかの影響を受けて、ぶち壊している。じゃあ、そういうロックンロールも大きな源であるアフリカの音楽とかをお客さんに観てもらって、楽しんでほしいというのが原点だったよね。色々な音楽を聴いてほしかった。でも、正しいかどうかは分からなかった。でも1回目、チケットがソールドアウトしたときは、時代が来ていたんだなと思った。
ーフェスティバルの中身を考えるときに、お客さんの頭の中からそういったジャンルとかカテゴライズしてしまう思考が吹っ飛ぶようなものになるように、と。
日高:うん。本当は「ロックフェスティバル」という名前にもしたくなかった。世界中の音楽を呼びたかったから「ロック」と付けたくなかった。でもまあ……安全策かな。
ー1999年に苗場へ移ってから、ステージのバリエーションができました。そうして色々なジャンルやスタイルの音楽がなんでもありの状態で、そうした状況をお客さんが受け入れて、理解して楽しんでくれているな、という手応えはどういった時に感じますか。
日高:簡単だよ、お客さんの笑顔だね。嬉しいよ、見てて。俺の夢っていうのがあって、もし俺が客だったら、チケット買ったけど、なにも観なかったと。
ーなるほど(笑)
日高:いい天気だなってひっくり返って、ビール飲んで。どっかのステージの音と、あと、バッテリーのエンジン音ね(笑)。やかましいなあと思いながら、みんながキャーキャー言いながら、すごくフリーで。それがなにより、一番楽しいよね。疲れたな、辞めようかなと思っても、そういう顔を見ることができる限りは、やれるかな。