番台に座るだけ? 実はきつい銭湯の仕事
―まずは自己紹介をお願いします。中橋さんは喜楽湯の経営者に最近なられたんですよね。
喜楽湯の店長兼経営者の中橋悠祐です。現場運営を始めて4年半くらい、経営者になったのは2020年10月からです。
生まれは京都で、東京に来たのは2012年ごろ。当時は銭湯経営の意思が具体的に固まっていたわけではないけど、ずっと銭湯の仕事に携わりたいと考えていました。紆余曲折ありましたが、運が良くて今の立場まで来た感じかなと。
―今までも現場運営の責任者をしていたかと思いますが、経営者になって変わったことはありますか?
現場の運営に加えて、経理や会合への参加など、店の代表としてやることは、とにかくいろいろと増えたね。特に今年はコロナ禍で、売り上げの低下への危機感もあり今まで以上にバタバタした年になりました。
運営についてのスタンスも少し変えました。今までは、喜楽湯を広く遠くまで周知したいという思いで発信をしていたけど、コロナ禍で遠出を避けたりステイホームが叫ばれる中、遠方のお客さんに呼びかけるより、もっとローカルに、地域に根ざした店になりたいという考え方に変わっていきました。
―働き始めた頃の自分に何か伝えたいことはありますか? また実際に銭湯で働いてみてどうでしたか?
あの頃の自分に伝えたいことは、「無知であれ!」ですかね(笑)。何かをやりたいという人は、まず業界に飛び込んでしまえばいい。本当に勢いで始めたけれど、銭湯経営がどれくらい大変かを知っていたら、今ここにいなかったかもしれない。
当初は、十條湯の現店長、湊研雄君と一緒に住み込みで始めて、仕込みから夜の清掃、営業、薪集め、薪割りまで全て二人でこなして、休みは月曜だけ。売り上げは今の半分だったから、給料も低いし休みもないし、パッションだけでやってました(笑)。良かったのは、出会って3回目で一緒に住み込みを始めた研雄君と奇跡的に仲良くなれたことかな。
当時、そこまで銭湯がブームでなかったから、取り上げてもらったメディアを見て遊びにきた若者たちが、ピンチの時は風呂掃除なども手伝ってくれた。学生もいたし、社会人もいました。さすがにタダで働かせるのは悪いから、アルバイトとして雇うことになったりしてね。
―なるほど。そういう自然な流れで銭湯で働く若者が増えるって、すごく良いことですね。「銭湯で働きたい」という声とともに、「銭湯の仕事って番台に座っているだけの楽な仕事では?」ともよく耳にしますが、実際はどれくらい大変なんですか?
恥ずかしながら僕もこの業界に入る前は、「銭湯で働くことは番台に座ってゆるくやっているだけ」だと思っていました。でも、まったく違った。一見緩く楽に見える仕事や立場の人でも、大体裏では必死で頑張っている。
銭湯に高級ホテルほどのかしこまった対応はいらないけど、きちんとした接客は必要だと思います。さらに、清掃や湯沸かし、拘束時間も長いし、接客以外にもやることは山のようにあります。