−新しい作品展は、ガスマスクや手錠、自転車などの物に焦点を当てたものとなっていますが、それらの間にあるつながりは何ですか。
アイ:これらは、私の小さな世界に関連のあるモノです。例えば、『Forever』の自転車は、私が子供の頃に使っていたメーカーのものです。私の育った村には、ちゃんとした道路はなく、モノを運ぶ時はいつも自転車で持っていかなければなりませんでした。人々は自転車に親しみを持っているので、彫刻作品としてふさわしいと思ったのです。自転車は人体に合わせて設計されており、体の力で動かします。今ではそういうモノはほとんどなくなりました。
−ロンドンを訪れることができる生活が恋しいですか。
はい。ロンドンは真に市民社会と呼べるものであり、中国では「市民社会」という言葉すら口にできません。彼らはそれを、ある種の汚い言葉のように考えているのです。現代のイギリスの文化は非常に洗練されています。私はイギリスで過ごした時間の一分一秒にいたるまで満喫しました。できることなら、いつかまた訪問できればと思います。特に拘留を解かれた後、ロンドンの人々や芸術界の人々がこれほど多大な支援をしてくださっているのを見て、本当に感動し、衝撃を受けました。彼らは、私の置かれた状況に公然と立ち向かい、言論の自由に対する支持を示しました。それを感じることができたからこそ、私は自分の置かれた個人的な状況に耐えることができたのだと思います。
−現地に行くことができない時は、どのように作品展示を管理しているのですか。
私は最高の芸術家ではないかもしれませんが、遠隔芸術家としては本当に右に出るものはいないと思います。インターネット、Skype、ありとあらゆるコミュニケーション手段を利用しています。私はこれまで、何十もの作品展を現地に行くことなく開催してきました。現地に足を運ばなくても、主催者や来場者とコミュニケーションを取っているからです。
−あなたに対する中国当局の態度には変化があったと思いますか。
彼らは私に対して前よりずっとオープンになり、はるかにリラックスした姿勢を取るようになってきました。外出しても尾行されなくなりましたし、もう外にも車は止まっていません。中国国内ならかなり自由に旅行できますし、「どこに行くんだ」と聞かれることもありません。彼らは私に、仕事をするにあたっても、こうしてあなたと話すことについても、最大限の自由を与えてくれていると言うべきでしょう。ですので、私に対して非常に友好的な態度を取ってくれていると判断しています。
−当局はあなたの芸術を規制しようとしましたか。
いいえ。彼らはその点についてはずっと、非常に明確にしていました。ですが私は、彼らが本当に結果に満足しているとは思っていません。 彼らは私の芸術に何らかの意味や、裏に流れる陰謀があるに違いないと考えています。
−あなたの作品と、行っている活動は別のものであると考えていますか。
いいえ。私の活動は実のところ、私の芸術や私の本質的な権利のためだけのものなのです。それらの権利を守るために、私は「活動家」と呼ばれるものになったのです。その2つを切り離すことは不可能です。芸術は守られなければなりませんし、言論の自由も守られなければなりません。私は芸術を通して主張を行っており、主張を通して芸術を生み出しているのかもしれません。
−あなたが高名な芸術家・活動家であることで、あなたと同じ主張を持たない芸術家が見劣りしてしまう可能性については気にかけていますか。
私は、この世界は競争でできていると思います。自由を得ることにさえも、競争はあります。ある主張の裏に思想があるのであれば、誰もその主張を見劣りさせることなどできないと思います。私は長い間、自分が国際的な有名人だということすら知りませんでした。有名になった数年間はここ(自分のスタジオ)にいて、世界を訪れてはいませんでしたから。当局にも言いましたが、私の人気をここ数年間で前よりもずっと高めたのは当局ですよ。
−中国での人気も高まったと思いますか。
以前よりもずっと。主に、外の情報を得ることができ、インターネットを使用できる人々から人気ですね。若い人たちの方が多いと思います。彼らはただただ、なぜ私がこのように処罰されなければならないのか理解できないのです。多くの人々は、この国には(変革の)可能性はないと考えていますが、私は少し甘い考えを持っているんです。夜には非常に絶望的で失望した気分になりますが、朝になるとまた心機一転するのです。
−今では、携帯カバーや傘などアイ・ウェイウェイグッズを購入できるようになりました。あなたの写真の商業化についてどう感じますか。
そこに象徴的な意味があるのであれば、人々が私の写真を使用することに何の異存もありません。もちろんゴミやクズのようにできの悪いものは嫌ですが、私の立場では、たとえコントロールしたいと願っても、それはできませんから。
−あなたは大きなスタジオを運営しており、作品の多くは職人たちに外注されたものです。あなたの芸術が個人的なものでなくなってきていることを気にしていますか。
いいえ。私は、自分の作品ができる限り個人的なものでなくなることを願っています。自分がそれほど重要な人間だとは思っていないからです。私は最初に始めた人間であり、指導し、アイディアを統制している人間ですが、私の作品であるかどうかはどうでもいいと思っています。人々は、芸術とは何かについて幻想を抱きすぎています。芸術とは、アイディアであり、決断であり、表現であり、コミュニケーションです。私は表現とコミュニケーションにとても優れているのです。私にとって完璧な手本となる存在は、アンディ・ウォーホルです。
−あなたの作品がコミュニケーションにまつわるものであるなら、あなたが行っているインターネットでの活動は、あなたの芸術の延長、またはあなたの芸術を代替できるものであると思いますか。
実のところ、インターネットが私の芸術の延長なのではなく、私の芸術がインターネットの延長なのです。もしインターネットがなければ、現在のアイ・ウェイウェイは存在しません。私は純然たるインターネットの産物です。