—映画『ムーンライト』では、アイデンティティが男性らしさやセクシュアリティ、人種、階級と交差するさまが描かれています。黒人コミュニティで若い男性は「荒々しくタフに」行動しないといけないというプレッシャーが存在し、それがシャロンのカミングアウトを妨げていると思われますか。
そうですね、それは事実です。しかし、黒人コミュニティのみが原因だとは思いません。外部からの刺激、黒人社会を取り巻く社会への対応であり、世の中全体から自分自身と家族、コミュニティを守らなければ、という黒人男性が抱える必要性に対応するものだと思います。なぜなら、黒人に対してはステレオタイプが数多く存在するからです。黒人男性が通りを歩いてくるのを目にすると、人々はその男性についてあれこれ想定します。本作は本質的にインターセクシュアルだと思いますが、3人の俳優にシャロンを演じさせることで、人々の想定や思い込み、ステレオタイプが絶えずある人間に投影されている場合、自己のアイデンティティを見出すのは難しいという考えが浮かぶと思います。アイデンティティというものは自分に投影されたあらゆるものへの反応から派生するからです。純粋に黒人コミュニティ内から発生したものだとは思いません。アメリカの歴史では、黒人は居場所を見つけるためだけに、ネットワークというかこの種の防護壁を作り出す必要があったのだと思います。とはいえ、私はこの映画をそれほど知的に考えたことはありません。
—作品が公開された今、あなたは共同批評家として作品を分析しているようですね。
その通りです。「共同批評家」という表現は面白いですね。私が批評や解説に対応し、私の反応で批評や解説がさらに深まれば良いと思っています。これをやったことで自分が観客と同じような立場に感じています。
—振り返ってみて、自分自身の感情に変化はありましたか。
そうですね。観客はとても賢くて、登場人物の体験に自分自身の体験を重ねます。初めて見たわけではないことも、違う視点で理解することもできます。別の人の凝視を通して物事を眺めるのです。他人の視点はとても興味深いものです。少なくとも、自分が何を感じて決断を下したのか、それが何についてだと考えたのかについて、しっかりした記憶を持てるように、テルライド映画祭での最初の上映の前に、私は時間をかけて自問自答しました。
—皆さんから意見を聞く前ですか。
そうです。この映画について考えれば考えるほど、この映画が今ミレニアル世代でよく使われている「Think Piece」に最適な作品だと気付きました。しかし、「Think Piece」ということを念頭に映画を制作をしたわけではないです。