Photo:Keisuke Tanigawa
大森立嗣×YOSHI(Photo:Keisuke Tanigawa)
大森立嗣×YOSHI(Photo:Keisuke Tanigawa)

映画「タロウのバカ」、主演のYOSHIと監督の大森立嗣にインタビュー

はみだしものの青春映画

Mari Hiratsuka
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タイムアウト東京 > 映画 > インタビュー:大森立嗣×YOSHI

インタビュー:マット・シュライ
写真:谷川慶典

大森立嗣(映画『日日是好日』『光』)による本作タロウのバカ』は、表の社会を避け、ヤクザ、犯罪、セックス、暴力に満ちた世界に堕ちていくタロウと、その友だちエージ(菅田将暉)、スギオ(仲野太賀)の生活を描く。大森は、若者たちの生き様を毅然と描き、見やすいシーンばかりではないのに、目を向けずにはいられないような作品に仕上げた。そして、学校に通ったことがなく本名さえ分からないタロウ役を、今作で俳優デビューとなるYOSHIが演じ、ベテラン俳優に匹敵する複雑で難しい演技を披露している。何に触発されてこの日本社会の暗の部分を探ることになったのか、監督の大森とYOSHIと語り合った。

アフリカの獣たちは意味を考えて飯食ってるわけじゃない

―本作『タロウのバカ』がまもなく公開するということで、おめでとうございます。なかなかインパクトのある映画でした。大森さんに質問させていただきたいのですが、なぜこういった内容の作品を制作しようと思ったのでしょうか。

大森:僕、1970年代生まれなんですけど、日本が戦争に負けた後に高度経済成長期の中で生きてきたんです。なんというか、経済的には発展して行くんだけど大事なものが失われちゃっているんじゃないか、という思いがずっとあって。今はもう2019年ですが、原発が爆発したりとか。この行き詰まってる社会の中でもう少しだけ幸せに生きる可能性を見つけられるかもしれないという思いがあって、こういう映画を撮ったんですね。

ー出演している俳優さんたちの熱量も伝わってきました。

大森:基本僕は俳優がすごく好きなんです。俳優がすごく好きというのは、映画を作るときって、脚本を書いたりカメラワークを考えたり論理的思考をしないといけないじゃないですか、日常生活でも。でも俳優は人と人と向き合ったときの体温とか熱量で演技できる。そういうものを基本的にものすごく信用しています。特にYOSHIは熱量だけで演技していました。もちろん演技の経験もなかったですしね。

YOSHI:何にも分かんなかったよ。

大森:よく、こう例えるんですけど、アフリカの獣たちは意味を考えて飯食ってるわけじゃないって。映画の中でも、意味からずれていったとき、(意味が)なくなったときに生物そのものの何かが見えてくる。そういう瞬間を撮りたいんです。そこにいつも、僕たちが生きることの大事な何かが隠されているんじゃないかって思っているんですよ。

YOSHIさんは演技経験がなかったということですが、準備はしましたか。

YOSHI:稽古だったよね。最初なにやったっけ?やっぱり人に気を遣っちゃうんだよね。単純に気を遣うのはアレだから、とりあえず怒ってみようってなって(笑)。

大森:そうだったよね。

YOSHI:まず「怒る」ということをやってみて。(怒らせるために)稽古でバーンって押されたとき、体重が軽いんでスーって飛んじゃって、おおーってなって。そういう稽古を重ねて、ちょっとずつ台本のシーンとかもやり始めて。初日はだいぶ心配だったんですけどね(笑)。で、ワンカット目をやってみて、「これはいける」と思ったんですよ。

なぜその瞬間に「いける」と思ったんですか。

YOSHI:自分の中でワンカット目っていうのは、とても大事だと考えていたんです。できなかったらバランスが崩れると思っていて。それで演じてみたら、ありのままの感情が出せたから良かったです。

割と長いカットがあるんですけど、そういったシーンの撮影はどうでしたか。

YOSHI:一番長いのはどれだったかな?公園で拳銃を打つシーンかな?これが面白くて。11時に入って夕方までやる予定だったんですよ、なかなか終わらないと思って。そうしたら3カットくらいで終わっちゃった。相当早かったですよね。意外とできてしまったという。

―YOSHIさんが演じたタロウと、共通点を感じましたか。

YOSHI:確実にあると思いましたね。タロウっていう主人公は演じやすかったし、脚本を読んだとき、なんか似てるっていうのがあったんだよね。まあ、僕も結構頭おかしいんで(笑)。

大森:俺に近いかもしれないって言ってたしね。まあ、両親との関係もあるんじゃないかな。

YOSHI:そうかもしれない。こんなに狂ってはないですけどね(笑)。僕の親も共働きで、家にも居ないことが多くて。それこそ、一人でアコーディオンを弾いているシーンをお母さんが見て、泣いたって言ってましたね。自分もそんな風に寂しい思いさせてるのかって。役柄も、根本的に「狂っている」ところが似ていました。

今回、菅田将暉さんや仲野太賀さんなど、俳優として経験が豊富なお二人と共演するのはいかがでしたか。

YOSHI余裕でした(笑)。余裕っていうか単純にキャリアとか関係ないと思うんですよ。俳優は俳優だし、映画は映画で一つのアートじゃないですか。なので、僕は有名かどうかはあまり気にしないんで。単純に友達っていうか人同士として演じてました。菅田将暉だからどうしようとかはあまりなかったです。スムーズにできましたね。

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僕たちが失っている、命そのものの輝き

劇中で主人公の3人は暴力を使ったり、叫んだりしています。これは3人のコミュニケーションツールなのかなと思ったのですが。

大森:言葉っていうのは割と意味を限定していくじゃないですか。僕自身それがあまり好きではなくて。だから演出をするときも、俺が役者にこう言ってほしいとか、こういう考えを持っているからこういう風にやってとか言うと、それだけになってしまうので。

YOSHI:わかるわかる。

大森:YOSHIには、本人がどう思ってるかが大事というか、だからあまり説明もしませんでした。「いいからやってみて」と言っていて。この3人が言葉を使って意味に入っていくと、3人の社会が、会社員とか、僕たちのような普通の社会になっちゃう。そういう意味を飛び越えることによって、僕たちが失っている、命そのものの輝きみたいなものに触れていけるんじゃないかという思いがあるので、あまり意味のある言葉は発したくないっていうのはすごくありました。

言葉といえば、とても大事なセリフがあって「好きってなに?」っていう。それは大森さんにとってどういう意味があるのでしょう。

大森:これは、作品に登場する3人、彼らみたいな人の方が、僕たちが勝手に好きだと思っているものや、世の中に普通にあるものとは違う、本当の好きっていうか、人を愛するとかそういうことに対して触れていこうという意識が強いから、「好きってなに?」という疑問が出てくるんじゃないかなと。そういう意味を込めています。

―では、YOSHIさんにとって「好き」ってなんですか。

YOSHI:なんだろう、超難しいなあ。感覚的なんですよねこの映画。いろんな意味が入っているんじゃないかな。深い意味でもあり、浅い意味でもあるというか。正解はない気がします。

死の象徴のようなシーンとして取り入れたかった

ドキュメンタリーのような撮り方をしていますが、大駱駝艦による非現実的な舞踏のシーンもあります。これはどうして入れようと思ったのでしょうか。

大森:これは死の象徴のようなシーンとして取り入れたかったんです。父親が主宰している大駱駝艦は「生まれてきたことを一番の才能とする」という様式があります。これは、もともと持ってる肉体とかそういうものがもう踊りの始まりだっていうことを言ってるんですよ。そういう事に僕自身が影響を受けているっていうのもありますが、そういうものが圧倒的な生物として、人間が生物としての圧倒的な肯定になっていくんじゃないかという思いがありました。

―音楽もすごく作品に合っているなと思いました。大友良英さんのシタールがすごく印象的でした。

大森:僕もそんなに音楽に詳しい訳ではないんですけど、シタールについては知っていて。大友さんに言わせるとシタールっていうのは西洋音楽の音階にはまってこないそうで。そういうところが、僕が最初にこの映画を作るときにずっと思ってた、どこか、息苦しい意味から外れていくっていうことと共通点があるのかな、ってこれは後から思いましたね。ただ、シタールってインドの印象が強いじゃないですか。音の印象として。そこは大友さんに、あんまりインド感を強くしないでほしいというのは伝えました。

―また、映画にはダウン症の俳優が登場しますね。

大森:彼らを見ていると、ある自由さを感じるんですよね。僕は俳優が演技するとき、全部を解放していいと思っているのでそういう普段社会から隔離されているような生き方をせざるを得ない人たちに、ものすごい自由であるということを、映画として求めていました。

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いい芸術を作る人はたくさんいるからそこには可能性はある

映画の中でタロウは学校に行ったことがないという設定ですが、はっきりしたは説明せず、少しぼかしていますよね。

大森:そうですね。日本では、親が育児放棄したりとか、子どもが生まれても届けを出していないとか。普通に学校に行ってない子たちって結構いるんですよ。巣鴨の14歳の置き去り事件のニュースを見たときに、こういう映画が作れるかなと、思ったのが始まりなんです。でもそれを説明しても面白くないと思ったりもして。

 映画を見て、日本の社会は暗いなと思いました。日本の未来には希望があるでしょうか。

大森:僕が見ている限りではかなりきついな、と思うね。

それはどうしてでしょう。

大森:そりゃだって、基本的に政治もそうなってないし。受け取るこっち側も、そこで変えなくてもいいなっていう感覚が強いんじゃないかな。でも、いい芸術には力がある。(こういった社会の中で)いい芸術を作る人はたくさんいるからそこには可能性はあると思いますよ。

YOSHIさんは出来上がった映画を見てどう思いましたか。

YOSHI:すげーなって思いました。生っぽさっていうか、獣感っていうか。普段はプライベートでこういう映画は見ないんで。単純に、人間の生命を感じたんですよね。エネルギッシュで。で、なんかいろんな社会にも触れてるわけじゃないですか。面白いなと思いました。確実に。

次回はどんな作品に出演したいですか。

YOSHI:うわー!どうするよ、これ(笑)。次はあれですね、学園ものですね。AKB48みたいになってるかも、アイドルグループみたいな。うーん。多分『タロウのバカ2』にすると思います(笑)。

映画『タロウのバカ』
2019年9月6日(金)テアトル新宿ほか全国公開

配給:東京テアトル
監督・脚本・編集:大森立嗣 
出演:YOSHI、菅田将暉、
仲野太賀、奥野瑛太、植田紗々、國村隼  

公式サイトはこちら

大森立嗣(監督・脚本・編集)

1970年、東京都出身。大学時代に入った映画サークルがきっかけで自主映画を作り始め、卒業後は俳優として活動しながら荒井晴彦、阪本順治、井筒和幸らの現場に助監督として参加。2001年、プロデュースと出演を兼ねた奥原浩志監督作『波』が第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞「NETPAC AWARD」を受賞。その後、荒戸源次郎に師事し、『赤目四十八瀧心中未遂』(03)の参加をへて、2005年『ゲルマニウムの夜』で監督デビュー。第59回ロカルノ国際映画祭コンペティション部門、第18回東京国際映画祭コンペティション部門など多くの映画祭に正式出品され、国内外で高い評価を受ける。 

YOSHI

2003年2月26日生まれ、東京都出身。香港人の父、日本人の母を持つ16歳。13歳にして『OFF-WHITE』のデザイナー兼『ルイ・ヴィトン』のディレクターVIRGIL ABLOHに独自のファッションセンスを賞賛され、それをきっかけに有名ブランドのモデルやショーへ多数出演。また、『Forbes』が開催した次代を担う30歳未満のイノベーターを表彰する「30 UNDER 30 JAPAN」にて、「The Arts」部門に選出された。本作『タロウのバカ』で主演として俳優デビュー。ファッションのみならず、自らアクリル絵具や油絵具を使って創作活動も行なっている。 2019年5月15日には1st アルバム『SEX IS LIFE』をリリース。

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