素晴らしい演技というのは、演技をしていないということ
ー本作を、改革開放や実際に起きたシエン村での暴動をベースに撮ろうとしたのはなぜですか?
シエン村は非常に複雑な地域です。そこは、改革開放以来の中国社会の縮図ともいえるもので、一つの空間に過去と現在が一緒に存在しているような地域といえます。そこでは、この改革開放の数十年の間に、金銭にまつわるさまざまな事件が起こりました。官僚と実業家の結託などの汚職事件、民衆の戦い、立ち退きの交渉に対する反対運動などです。ですので、僕がこの映画の中で描いたようなことは、この数十年来、頻繁に中国社会で起こっていたことなんですね。
2016年当時、シエン村は映画の中で撮られたような形で残っていたわけですが、今はもうほとんど消滅しています。 まさに僕の世代が、改革開放をバックグラウンドとして青春時代を過ごし、段々と中年に差しかかってというように、人生を改革開放の中で歩んできたわけです。映画『天安門、恋人たち』以降の社会の変化というものが、人生と重なる。そうすると、登場人物が、今この映画の中で中年になったというように、この作品は「天安門、恋人たち」の続編ということもできるでしょう。
ー制作を追ったドキュメンタリーでは、「なぜここでタバコを吸うのか」や、「なぜここを歩くのか」など、「なぜ」これをするのかということにとてもこだわっていらっしゃいました。確かに、人の些細な動きを追う、目線のようなカメラワークだったと思うのですが、どのように撮影をしていたのでしょうか?
役者にその人物になりきってもらうことが重要だと思っています。細かに指示をするのではなく、この人物だったらこういう風に動いているはずだというところを、カメラはただ捉えている。役者は、できるだけカメラを意識しないで、人物になりきって動いてこそ自由な幅が出てきます。だからこそ、撮影の現場では自由に演技してもらうことを心がけています。自分がその人物になりきっていれば、動きというのは自然に作ることができるはずです。
そうはいっても、このような撮り方というのは動きが急に変わってしまうので、撮影するカメラマンにとっても非常に難しい。やっぱり、自然な人間の行動を撮ろうとしたら、そういう撮影の方法にならざるを得ないのです。
スタッフによく言うんですが、一番素晴らしい演技というのは、演技をしていないということ。素晴らしいカメラワークというのは、ライティングやカメラの存在も気にしないで撮るということ。それが一番いいやり方だといっています。まあ、難しくはありますけれど。