日本はフランスもうらやむメセナ大国
―欧米では1970年代から盛んになったメセナ活動ですが、日本では90年代以降に本格化したように感じます。背景として各国と日本とではどのような相違点があったのでしょうか?
まず前提として芸術文化支援を意味する「メセナ」という言葉自体、国際的にどこでも使われているかというとそうではありません。フランス語なので、もちろんフランスでは使いますが、英語圏ではarts supportが一般的です。
その上で、各国の企業メセナの推進組織についての話をすると、いち早く誕生したのが旧西ドイツで1951年。アメリカに協議会(BCA:Business Committee for the Arts)ができるのが67年です。その後に続くのが74年のカナダ、76年にはイギリス(ABSA:Association for Business Sponsorship of the Arts)、79年にフランス(ADMICAL: Association pour le développement du mécénat industriel et commercial)にも協議会ができたんですね。日本はそれからずいぶんたって、1990年に民間企業が協力しあって「社団法人企業メセナ協議会」が発足します。
このように言うと日本が何十年も遅れているように聞こえるけど、それはあくまでメセナ協議会という運動体の設立が遅かったという話なんですね。さかのぼれば、日本に近代的な企業が生まれ始めた明治時代以降、1900年代初期から、企業という組織体の文化的活動は日本でも行われていました。
例えば、松坂屋は、東京フィルハーモニー交響楽団の前身である「いとう呉服店少年音楽隊」を1911年に結成しています。日本初の私立美術館である大倉集古館のオープンも1917年、資生堂ギャラリーは1919年に開廊しています。さらにさかのぼると江戸時代やそれ以前から、お上の命令ではなく、豪農や豪商、町衆たちが歌舞伎や文楽、絵師や俳人などを助けたり盛り立てたりしている。メセナという言葉が導入される前から、日本は歴史的に民間の文化支援大国なんです、意外とね(笑)。
―企業ではないですが、かつては篤志家という言葉が使われたりもしましたね。
そうですね、日本では篤志家の慈善活動も歴史がありますよね。メセナという言葉にしても、本来は企業による支援のみを指す言葉ではありません。フランス語でメセナデタ(le mécénat d'état)といえば国の支援、メセナプリベ(le mécénat privé)といえば民間の支援というように、メセナの主体はさまざまなのですが、日本では「企業の」と変換されています。
日本は民間企業の文化支援が昔から盛んで、それは世界に誇れる文化です。ただ、運動体の組織化はすごく遅かった。日本人は社会運動が苦手なんでしょうね(笑)。でも1988年に日仏文化サミットという会議が京都で開催された際に、フランスのメセナ協議会から、日本にも同様の組織をつくってはどうかと提案があったことから、90年に企業メセナ協議会が日本にも誕生したという経緯です。
―企業メセナ協議会ができたことで起きた変化を教えてください。比較的小さな企業による文化支援が増えたりしたのでしょうか。
そういうわけでもないんですよね。というのも、各地の地場の小さな企業などは、協議会ができる以前から長く活動しているところがたくさんあるんです。景気の波はあっても、変わらず昔から文化支援を続けている。社名に地元地域名が入っていたりすればなおさら、文化支援をはじめ、地域そのものを盛り上げる活動が、そもそも社業と両輪です。資金が潤沢にある大手企業にも劣らない面白い活動をしている企業が全国各地にたくさんあります。
では、協議会ができて何が良かったかというと、企業が文化を支援する意義を社会に対して明確に示せるようになったことと、企業がお互いにリソースを共有し合ったり学び合ったりできるようになったことだと思います。
―なるほど、ともすれば長期的なものになりがちな文化支援だからこそ、なぜそれをやるのかを社会に説明しやすくなったのは良いことですね。
そうそう、でもね、メセナ協議会ができた直後にバブルは弾けているんですよね。