Shirakawa-go, Shirakawago
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Photo: Rap Dela Rea/Unsplash

日本で行くべき美しい世界遺産

広島平和記念公園や京都の古代遺跡など、歴史を巡る旅へ

Kasey Furutani
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タイムアウト東京 > トラベル >日本で行くべき美しい世界遺産

美しい観光地が日本に数多くあることは周知の事実だ。日本の史跡の多くは、自然災害や戦争で損傷や破壊されているため、今でも残っているものは希少で特別なものとされている。国連教育科学文化機関(UNESCO)は、世界の文化的、歴史的、自然的ランドマークを世界遺産に指定して保存することを目的としているが、日本には、伝統的な村落から神仏習合の神社仏閣まで、合計23の世界遺産がある。

観光はもちろん、日本の歴史を学ぶためにも最適。広島平和記念公園から京都の古代遺跡まで、日本の代表的な世界遺産を紹介しよう。

宮島の厳島神社

富士山に次ぎ、有名な厳島神社は、広島からフェリーですぐの宮島の沖合にある朱色の鳥居で知られている。朝早くから宮島に行き、満潮時と干潮時の両方の時間帯に一日かけて見学しよう。水が引いたときには、大鳥居を歩いてくぐることができる。

この神社は、自然と人工物の調和を生み出す典型的な神道建築の一例だ。また、宮島は鹿の生息地としても知られており(奈良に比べるとかなり少ないが)、ハイキングコースやもみじまんじゅうなどもある。

広島平和記念公園(原爆ドーム)

広島の原爆ドームは、日本の歴史の中で悲劇的でありながら、なくてはならないものである。1945年8月16日、広島市に最初の原子爆弾が投下され、全てが破壊された。奇跡的に焼け残った原爆ドーム。広島市は犠牲者を悼み、戦争と核兵器の悲惨な結果を思い起こさせるために、そのまま保存することを決めたのが原爆ドームだ。

ドームの周囲には、原爆で亡くなった数千人の犠牲者にささげる彫刻や折り鶴が奉納された平和記念公園がある。

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屋久島

九州の沖合に浮かぶこの小さな島は、太古のスギの原生林で、緑豊かな大自然の中にハイキングコースがある。島のあちこちに点在する屋久杉の樹齢は驚異的だ。森の奥にある樹齢2000から7000年と推定されるジョウモンスギは日本最古の木とされ、精神的にも特別な意味を持つ。

一番人気のハイキングコースは白谷雲水峡で、スタジオジブリの『もののけ姫』の舞台になったといわれており、ハイキング初心者でも安心して歩ける道が整備されている。森の妖精にも出会えるかもしれない。

古都京都の史跡(京都・宇治・大津)

京都は、古典的な日本をほうふつとさせる寺院や神社であふれている。その中でも、金閣寺と禅の石庭でくつろぐことができる龍安寺は見逃せない。また、京都の隣町である宇治市や大津市を訪れ、自然や伝統的な建築物と静かに触れ合うのもおすすめだ。

10円玉の裏に描かれた平等院で知られる宇治は、境内にサクラが咲き乱れ、宇治川の紅葉が見頃を迎える春から秋にかけて、静かに過ごすことができる。宇治名物の抹茶をそばやアイスクリームに混ぜて食べる茶屋にもぜひ立ち寄ってみてほしい。

そして、琵琶湖のほとりにある滋賀県大津市には、よりスピリチュアルで歴史的な場所がある。例えば、紫式部が滞在中に『源氏物語』を書いたとされる石山寺だ。かつて伝説の武家屋敷があった延暦寺に立ち寄ってみるのもいいだろう

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富士山

山梨の河口湖でも、東京から京都へ向かう新幹線の中からでも、東京のビルの屋上からでも、富士山を見ずして日本を旅したとは言えない。北斎の浮世絵の傑作『神奈川沖大波』をはじめ、何世代にもわたって芸術家たちにインスピレーションを与えてきた富士山だからこそ、芸術の源泉としてユネスコに認められている

偉大な山には、スピリチュアルな側面も。仏教徒の巡礼者は、浅間神社で祈りをささげ、火口に住んでいたとされる浅間大神(あさまのおおかみ)を訪ねるために山を登る。毎年夏場に開山され、最近は山の中腹にある五合目から登る人が多いようだ。

琉球王国のグスク遺跡と関連物件

グスク遺跡群は、琉球王国(現代の沖縄)の神聖で歴史的なランドマークを表している。ユネスコの遺跡は、12世紀から17世紀までの500年に及ぶ琉球の歴史を保存している九つの遺跡で構成され、そのうち四つは那覇にある。

最も有名な遺跡である首里城は、2019年に悲惨な火災被害を受けた。しかし、復元された部分や、近くにある園山嶽石門などの見学は今でも観光客に歓迎されている。城の南側には、元々は皇居の一部だった四季菜園の庭園があり、日本と中国の伝統的なデザインが見事に混在していることで有名。琉球王家の遺品を収蔵している玉雲殿は、歴史好きの人にぜひ訪れてほしい場所だ。

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紀伊山地の霊場と参詣道

ユネスコに指定された二つの巡礼路の一つである紀伊山地には、吉野、大峰、熊野三山、高野山の三つの霊場がある。緑豊かな山並みはハイキングに最適で、古来からの神道や仏教の自然崇拝の奥底にある静けさを今でも感じさせてくれる。

巡礼路を総称して「熊野古道」と呼ばれ、現代のハイキングコースは古代の道をたどっている。朱色の塔と133メートルの那智の滝を背景にした那智大社は、長いハイキングを終えた褒美に、絵はがきのような壮大な景色を見せてくれる。

白川郷と五箇山の歴史的な村

白川郷と五箇山の合掌造りの民家は、まるでおとぎ話の村のようで、旅人の目を奪う。山奥に隠れ、水田に点在するこの辺鄙(へんぴ)な農家の家は、斬新なデザインと、祈りの手を合わせたような斜めの屋根が保存されている。これらの特徴は、冬は断熱性を高め、夏は涼しさを保つのに役立っている。

現在、家の多くは伝統的な村の生活を紹介するためのツアーに開放されており、レストランやゲストハウスとして営業しているところもある。

世界遺産に訪れるなら……

  • トラベル

 世界にここだけにしかない場所、世界遺産の風景に溶け込みたい。そんな夢をかなえる特別な宿をリストアップ。寺に泊まれる宿坊での朝のお勤めや写経を入門、大自然に囲まれ動物たちの生態を観察するなど、バーチャルでは体感できない学びや冒険を味わおう。素泊まりで100万円という驚くべき宿坊や、歴史ある寺社に囲まれたスモールラグジュアリーリゾートなど、スペシャルな空間も多く、自分史上の記憶に残る旅となるだろう。

  • Things to do

日本で最も高い標高3776メートルの富士山は、その優美で完璧な対称をなす形状で息を飲むような姿を誇る。富士山は日本のシンボルであり、観光客なら一目は見たいと思うだろう。

運が良ければ東京の街中からでも、一年を通してその姿をおぼろげに見ることはできる。ベストシーズンは、空気が冷たくて清々しい、そしてほとんど雲がない鮮やかな青空の広がる冬だ。

ここで紹介する山梨と神奈川の風光明媚な5カ所は、東京から日帰りで行きやすく、富士山の撮影に出かけるのにおすすめの場所。日中は雲が出て眺めが遮られることもあるため、早朝か午後遅くに到着することを心掛けてほしい。

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  • Things to do
  • シティライフ
首里城が世界遺産としての価値を失わない2つの理由と、平和の砦としての価値
首里城が世界遺産としての価値を失わない2つの理由と、平和の砦としての価値

10月31日未明から11時間にわたって燃え続け、城の主要な建物である正殿や北殿、南殿などが全焼した首里城。連日の報道では「世界遺産が焼失」の文字が見出しに躍っているが、実は、今回の火災によって首里城が「世界遺産としての価値を失ったことにはならない」のだという。それはなぜなのか。外交官として「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」などさまざまな遺産の登録に携わってきた高橋政司(ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント)が、その理由を説く。

テキスト:高橋政司


首里城焼失の映像を目にして、私は今、深い悲しみの中にいる。私にとって沖縄は、アジアの歴史や文化を学ぶ上で極めて重要な地域であるのみならず、その風土や風習は、常に特別な輝きを放ち、魅了されてきた場所なのだ。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、2000年に世界遺産に登録された。世界遺産に登録するためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value=OUV) が必要であることは、これまでnoteでの連載でも幾度となく触れてきたが、今回は、少し角度を変えると見えてくる、琉球王国の世界遺産の価値について考察してみたい。

琉球王国は、1429年に、北山、中山、南山と呼ばれていた3つの国が統一されて誕生した。首里城は、琉球王国の居城として15世紀から廃藩置県まで約500年にわたり琉球王国を統治し、沖縄の政治経済・文化の中心地であった。同時に、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた。

首里城は沖縄戦を含め4度焼失。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後、復元事業が推進され現在に至っている。復元された首里城は、18世紀以降のものをモデルとしている。

ノートルダム大聖堂の尖塔の焼失との違い

今回、「世界遺産焼失」の報道を受けて、「世界遺産の価値が失われたのか」という質問を複数の方からいただいた。パリのノートルダム大聖堂の尖塔の焼失の際も同じ質問があったが、実は、この2つの建物の焼失は、登録されている構成資産が何かという点で異なっている。

ノートルダム大聖堂は、焼失した尖塔を含め大聖堂全体が世界遺産であるのに対して、首里城は、「首里城跡」が構成資産の価値として認められている。どういうことか。本殿の下の「遺構」、すなわち、石積みの部分に世界遺産の価値が認められているのである。従って、地上の建物の焼失をもって世界遺産としての価値を失ったことにはならない(仮に遺構が損傷していたとしても、それをもって世界遺産の価値を失うことはなく、ノートルダム大聖堂についても尖塔の焼失で価値を失うことはないと考える)。

世界遺産は琉球王国と人々のストーリーで結ばれたスピリチュアルな領域その全体である

世界遺産の価値を失わないと考えるもう一つの理由は、世界遺産の登録名称にある通り、この構成資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」であること、すなわち、この世界遺産は、首里城跡を含め合計9カ所の構成資産を琉球王国とその人々の歴史という一つのストーリーで結び、御嶽(うたき=聖地、拝所)のスピリチュアルな領域として、その全体の価値が認められて登録されたからである(と、以前の私なら説明戦略を立てる準備を開始していたかもしれない)。

平和と繁栄を築く拠点として

しかし、私の心が痛んでやまない理由は、首里城が世界遺産であるか否かには全く関係ない。関係者の方々の英知と努力の結晶で、長い年月を費やし2019年3月に全ての復元整備工事が完了した直後に、沖縄の方々の心のよりどころであり、かつ、私を含む世界中の多くの人々に慕われている琉球王国の象徴の一つを焼失したことである。

ご存じの方も多いと思うが、琉球王朝の栄華は一路順風ではなかった。それは、琉球王国が270年もの長きにわたって中国と日本の支配を受けたことにある。その象徴として、正殿の両側にある北殿と南殿は、それぞれ中国と日本の様式に分けられ、全体が赤に染められた中国様式の北殿は中国使節を受け入れる場所として、ほぼ着色がない(わびさびのように私には感じられる)日本様式の南殿は薩摩藩の使節を迎える場所として造られている。

すなわち、列強勢力に挟まれた国が、国家の存亡をかけて、持てる外交力を最大限駆使しなければならない状況にあったわけである。しかし、それは同時に、近隣国と良好な関係を構築することで、貿易や人的交流が活発化し、独自の文化を育み、平和と繁栄を築く原動力となったと考えることもできる。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」

これはユネスコ憲章の序文である。今回の首里城の焼失は本当に無念な出来事であったが、この機会に、是非、沖縄を訪れ、琉球王国の歴史に触れ、御嶽にて平和のとりでとなる新しい首里城を建てるために、自分が何ができるか考え行動していきたい。

 

高橋政司
ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント
1989年 外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共和国などの日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2005年、アジア大洋州局にて経済連携や安全保障関連の二国間業務に従事。2009年、領事局にて定住外国人との協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。2012年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET事業部長を歴任。2014年以降、UNESCO業務を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」などさまざまな遺産の登録に携わる。

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