東京オリンピックの目玉であるこのスタジアムは、1958年に完成した既存の国立霞ヶ丘競技場を解体した跡地に再建された。忘れてはならないのは、設計計画決定までの紆余(うよ)曲折の道のりだろう。当初、イラク出身の建築家ザハ・ハディド氏が設計を担当、2,520億円の費用が見込まれていたが、その金額などを理由に政府はこの案を白紙撤回した。
その後、隈研吾と伊東豊雄の各案が候補となり、両社によるコンペの結果、明治神宮外苑も位置している新国立競技場周辺地域との調和を重視した隈のデザインが最終的に採用された。
2020年に完成した新しい建築には、20万平方メートル弱の広さに1570億円の費用を投じられているが、ハディドの計画よりも大幅に小さく、費用も抑えられることとなった。その建築は、奈良県法隆寺の五重の塔からインスピレーションを得ており、裳階(もこし)のように、スタジアムの木製の軒は重なり合っている。日本の古典的な美学を象徴してもいるのだ。
スタジアムの外周を歩くと、きっと隈の建築の特徴である木の格子構造が目に留まるはずだ。隈によれば、このスタジアムのコンセプトは「生きている木」であり、47都道府県から集められた木材を使っているという。
庇(ひさし)は、隈が風の状態や空気の流れを分析、スタジアムを吹き抜ける風が最大限になるようにその角度を調整しており、冷房に頼らずに済むように工夫されている。単なる装飾ではなく、会場を涼しく保つための実用性と持続可能性を兼ね備えているのだ。