法人化への経緯
ー寶船が結成された経緯を教えてください。
徳島出身の父が1995年に結成して、僕や姉の同級生が参加していました。当時の僕は小学4年生で、それからずっと踊っています。結成当初は、子どもたちの連という感じでしたが、踊りの熱量のようなものは今も変わっていないと思います。
ー米澤さんはミュージシャンとしても活動されていたそうですね。
19歳から26歳までは「音楽で生きていきたい」と思うぐらい、本気でバンド活動をしていました。バンド活動の間も阿波踊りを続けていましたが、家族との接点であり、ライフワークという意識でした。
ただ、ミュージシャンとして音楽を作っていくなかで、他人の真似事ではなく、「自分独自の表現をしないといけない」「自分らしさとは何か」という壁にぶち当たってしまって。そして、バンドは解散しました。
バンドが解散する前に、自分自身のやりたいことを冷静に見つめ直した期間があったんですが、そこで「阿波踊りには、何百、何千人という人々を熱狂させるパワーがある。自分がバンドでやりたかったことは阿波踊りでできるんじゃないか」ということに気がついたんです。
そんなことを考えている時に、寶船初の海外公演をハワイで行なったり、東日本大震災が発生したり、バンド解散が決定したりと、いろいろなことが重なって、「阿波踊りで人の心を明るくしたい、阿波踊りに人生を賭けたい」と思うようになりました。
ー2012年に寶船の運営団体を法人化して、日本初のプロの阿波踊り団体になるわけですが、プロになった理由は何でしょうか。
イベント会社からオファーを受けたり、クライアントと仕事をしたりする時に、法人化した方が動きやすかったというのが一つです。
高校の同級生に「鼓童」という世界的な和太鼓グループに所属しているメンバーがいて、彼が世界中で活躍している姿に、憧れの気持ちがありました。
そこで「太鼓で世界を回れるなら、踊りでも世界を回れるんじゃないか」と思い、エンターテインメントで生きている人たち、三味線からブルーマン、アイドルまでを研究し尽くして、戦略を立てました。そして、法人化を決めたんです。