テキスト:長谷川あや
「お金」を嫌いな人が一体、この世にいるだろうか。一攫千金、
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「お金」を嫌いな人が一体、この世にいるだろうか。一攫千金、
東海道の第一宿である品川宿として栄えた場所に位置するが、神社の創始は、東海道ができる遥か昔、平安時代末期に源頼朝が海上交通安全と祈願成就を祈ったことにさかのぼる。社殿右に位置する「阿那稲荷(あないなり)神社」には、「一粒萬倍の泉(いちりゅうまんばいのいずみ)」と呼ばれる霊泉がまつられていて、この霊水を印鑑やお金などにかけると良い運気を授かるとされている。さらに、持ち帰った水を入り口や四隅に注ぐと商売繁盛につながるという言い伝えも。社殿左にまつられている弁天様、市杵島姫命(いちきしまひめ)の像も金運アップにご利益があるといわれているので、こちらにお参りするのもお忘れなく。そのほか、都内では最大級(高さ約15メートル)富士塚、陶製の狛犬、包丁塚など境内にはさまざまな見どころが点在している。
桜田門外の変で暗殺された井伊直弼が眠る豪徳寺には、膨大な数の招き猫が奉納されている。豪徳寺の招き猫は「招福猫児(まねぎねこ)」と呼ばれ、右手を挙げている。その愛嬌たっぷりの招福猫児が金運と商売繁盛を招くと言われているのだ。
豪徳寺の創建は1480(文明12)年。彦根藩藩主、井伊直孝(直弼の先祖で、当時の世田谷の領主)が、タカ狩からの帰りにこの寺の前を通りかかると、寺の飼い猫が中へ招き入れるような仕草をしたので寺で休憩をとることにした。すると激しい雷雨となり、猫のおかげで難を逃れることができたという。直孝はその後、豪徳寺へ多額の寄進をし、1633(寛永10)年に江戸幕府より井伊家に下賜され、同家の菩提寺(ぼだいじ)となった。
ゆるキャラ「ひこにゃん」は、豪徳寺の招福猫児がモチーフとなっている。
1212(建暦2)年、鎌倉幕府2代将軍源頼家の死後、遺臣の荒井智明が亡き主君の冥福を祈り創建。創建当時から、勝負運、出世運、成功運に御利益があるとされていて、多くの武将たちが戦に出る前に参拝していた。境内には木々が茂る境内には縄文時代の竪穴式住居(代々木八幡遺跡)の復元もあり、見どころは多い。
代々木八幡宮の敷地一帯は小高い丘になっていて、最も高い場所には出世稲荷神社が鎮座する。ここには出世稲荷大明神がまつられていて、出世運のほか、仕事運と金運がアップすると評判だ。足繁く通っている芸能人も少なくないとか。
5月に行われる『五社宮祭』は、かつては『金魚まつり』の名のもと親しまれていた。金魚は「金の魚」と書くことから、金運、財運につながり、また、金魚のすむ水はけがれを流すとともに禍をはらう霊力があるとされている。境内では、金魚提灯や金魚根付など、金魚に関するアイテムも取り扱っている。
建立は1092(寛治6)年。源義朝と頼朝に仕えた武将の渋谷金王丸(しぶやきんのうまる)の武勇に授かり、金王八幡宮と呼ばれるようになった。江戸時代に徳川将軍家の信仰を得ている由緒正しい神社だ。3大将軍家光の乳母、春日局が、家光を将軍にしようと祈願に訪れたことでもよく知られている。古くから商売繁盛、出世、金運アップの神社として有名で、武将だけでなく、近隣の人々も商売繁盛や殖産興業の祈願に訪れていた。赤い幟(のぼり)が目を引く摂社(せっしゃ)、玉造稲荷社がとくにパワーが強いと言われているので、要チェックだ。渋谷警察署の裏に位置しながら木々に囲まれた境内は、近隣のビジネスマンの憩いの場所にもなっている。
「こんぴらさん」の愛称で知られる、香川県の金刀比羅宮(本宮)の今宮。境内の至るところに御神紋の丸金マークが飾られており、とてもきらびやか。いかにも金運に御利益がありそうだ。1660(万治3)年、讃岐の国(現在の香川県)の大名京極高和が、領内の金刀比羅宮(本宮)のご分霊を勧請したのが起こり。1679(延宝7)年に江戸城の裏鬼門にあたる現在の虎ノ門に遷座した。江戸時代から、出世や商売繁盛、金運の神様として崇拝されおり、一度は没落した京極が復活して富を築いた際にも金刀比羅宮に祈願したという。本殿右側には、金運の神様「喜代住稲荷神社(きよすみいなりじんじゃ)」が鎮座しており、毎年、元旦から1月10日まで『福銭開運の御守』が授与される(詳細は公式サイトで発表される)。また、同じく本殿右側には、江戸時代、良縁を求める女性参拝者でにぎわったという「結(むすび)神社」がある。
麻布十番駅の出口の上にある神社。鳥居の左側には七福神が揃った宝船の石像が、右側には江戸時代に起った火事から屋敷を守ったとされる、伝説のカエルの石像がまつられている。1821(文政4)年、周辺一帯を襲った大火で、備中成羽(現在の岡山県西部)の領主、山崎主税助(やまさき ちからのすけ)の屋敷だけが火災を免れた。これは邸内の池の大ガエルが水を吹きかけて猛火を退けたためだと言われ、以来、山崎家に御札を求める人々が訪れるようになったという。
その後、お札は神社で配られるようになるが戦争を機に中断。1975(昭和50)年8月より、開運招福の『かえるお守り』として復活し、カエルの石像も奉納された。地元の人たちからは「かえるさん」と呼ばれ親しまれていて、財布に入れるのにちょうど良い大きさの『かえるお守り』のほか、ガマ池伝説縁の御神札『上の字御守(上の字様)』などの授与も行っている。金運や開運を願う人はもちろん、カエル好きにもすすめたい神社だ。
「湯島天神」という通称が一般化しているが、正式名称は湯島天満宮。458(雄略天皇2)年に創始し、江戸城を築城したことで知られる太田道灌(おおた どうかん)によって再興された。ご祭神は、北野天満宮から分祀された菅原道真(すがわらの みちざね)。道真というと「学問の神様」というイメージがあるが、もともとは『日本書紀』にも出てくる勝運や強運、スポーツ必勝の神、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)をまつった神社で、金運アップや強運、勝負運を願う人も足を運んでいる。南北朝時代の1355(正平10)年、住民の請願により道真を勧請して奉祀(し)した。
また湯島天神は、江戸時代に幕府公認の宝くじが売り出されていた場所(江戸の三富)のひとつだったことからも、宝くじ運や金運に御利益があるとされている。
独身たちが夢見ているのは「素敵な異性との出会い」か、それとも「平凡な幸せ」か。 1月20日が「玉の輿の日」と言われていることを知っているだろうか。1905年のこの日、米金融財閥モルガン商会の創立者の甥(おい)であるジョージ・モルガンが、祇園で見初めた芸妓(げいこ)のお雪と結婚したことに由来する。
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