私の故郷の味を日本人にも食べてほしい
塔野は、戦後にボリビアに渡った伯父を頼って、日本から家族で移住。その後、一家はボリビアのラパスという街で電化製品や金物を扱う店を経営し、成功を収めた。
塔野が19歳で帰国した時、日本はバブルの絶頂期。次々に建設されるゴルフ場ではブラジルやアルゼンチン、ペルー、ボリビアなどたくさんの南米人がキャディーとして働いていた。塔野自身もキャディーとして働くつもりが、日本語が話せることを見込まれ、通訳として採用された。
当初、契約期間の2年で貯金がたまったら、ボリビアに戻るつもりだったが、迷った末、日本での生活を選んだ。「日本人は正直で礼儀正しいし、街もきれいで安全で暮らしやすいです。ボリビア以外の国も訪れましたが、やっぱり日本が最高」と語る。
その後、結婚、出産、離婚を経験。一人娘を育てながら働き、いつか自分にとっての故郷の味であるサルテーニャを日本人に食べてほしいという夢に向かって資金をため、この度、念願の開店に至った。