ーまずは自己紹介を簡単にお願いします。
T.ISHIHARAです、よろしくね(笑)。僕は1993年に独立して、自分の会社をはじめました。27年目になりますが、現在はフリーで仕事をしています。まあ、いろいろやってますけど、基本的にはパーティーとフェスの制作を専門にやってます。ちなみにクラベリアは、3年くらい社長を勤めました。それが2000年ですね。
ー随分と早い段階からインターネットを使ったビジネスを始めたんですね。
一応、その頃にはすでにインターネットはありましたからね(笑)。要は、パーティーだけじゃなかなか食ってはいけなかった。やっぱりビジネスにしていくには、例えばレーベルやって、マネージメントやってDJもやってます、とかの形で業界にきちんと根付いていくとかじゃないとね。その頃はクラブ業界のマーケットもまだとっても小さかったんですよね。それでクラベリアという、パーティー情報を発信するプラットフォームを立ち上げてみようと。
ークラベリアの運営、そして渚音楽祭などの大規模なフェスティバルを並行してオーガナイズしていましたね。
ちょうどその頃、2001年くらいにソルティス(※1)が野外でパーティーをやる時に、うちは代理店みたいな仕事も担っていたのだけど、彼らのイベントにスポンサーがついて。1回目は1000〜2000人のはずが5000人、2回目が5000人言ってたのに1万人も集まってしまう大盛況で。『レインボ−2000(※2)』以降の日本のレイヴシーンっていうのかな。そういう時代に、彼らと一緒に仕事ができて、すごく刺激になりました。僕はもともとニューヨークハウスが専門だから、ジャンルは違うけどこういう世界があるんだって、いろいろ広がって。それでその間に知り合った人たちと何か面白いことやろうよ、ってなったのがきっかけで開催したのが、2003年の『渚音楽祭』。1回目はフリーパーティーだったんだけど、とにかくいろんな思い出がありますね(笑)。
ソルティス(※1):日本におけるサイケデリック、トランスミュージックシーンの基盤を築いたレーベル兼パーティープロデューサー。代表イベントに、『Soltice Music Festival』などがある。
レインボ−2000(※2):1996年から1999年にかけて開催されていた野外音楽フェスティバル。日本の「初期レイブ」と呼ばれている。
ーフリーパーティーっていう概念は、今ではあまり考えられないですね。
葛西の西渚浜ってちょっとややこしい場所で。手前の葛西臨海公園っていうのは東京都、奥は建設省のもので、要するに一帯が国の持ちものなんだよね。企画書もちゃんとしてものを書かなければいけなくて、「若い世代が集まる、世界的なトレンドだ」みたいなことを書いてね。じゃあ貸してあげるってことになって。都の持ちものだから安かったってのもある。
最初は1500人から多くて5000人くらいを見込んでいたんだけど、最終的には1万人も来ちゃったわけ。もうとにかくグチャグチャでしたね。やる側も来る側も何が何だか分からなかった(笑)。スピーカーの上に乗って踊ってる人とかいたりして。最後は機動隊の要請で終演しましたね(笑)。
Body & SOUL live in Japan
ー聞いているだけですごさが伝わってきます。『Body & SOUL live in Japan』は何年にスタートしたのでしょうか。
2002年ですね。そもそも、1993年に会社を起こした時に、何かコンテンツを残さないと、この業界に生き残っていけないと思ったのがきっかけですね。それで、僕自身ファンであった『Body & SOUL』を日本でもやりたいとニューヨークに向かいました。メンバーに会うために出待ちして。3年間で合計30回くらい通ったよね。
やっと顔を覚えてもらったところで、メンバーの一人、DJフランソワKとつなげてもらえて。ある日「あなたは何をしたいの?」って聞かれたんですよ。どうしても日本で開催したい、という気持ちを伝えたら、「じゃあ火曜日にミーティングしよう」って。そこから具体的な話になっていって。それまでに1年かかったね。その後も、色々なやり取りを重ねたのち、やっとフランソワと会場探しを始めました。それが、今はない六本木のディスコクラブ、ヴェルファーレでした。この時、スピーカーを42個追加したり、デコレーションの風船を2000個以上設置したりし、全国から来客があ