Keisuke Tanigawa
Keisuke Tanigawa

「クラブ界の父」が語る、この時代だからできること

日本のクラブシーンを長年見守ってきたT.ISHIHARAに聞く

Mari Hiratsuka
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タイムアウト東京 > 音楽 > インタビュー:T.ISHIHARA

テキスト:須賀華呼
写真:谷川慶典

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)がもたらしたショックはアジアだけでなく欧米にも広がり、世界中で猛威を奮っている。日本では先日、『レインボーディスコクラブ』や『春風』などのフェスティバルが開催中止を発表。世界中のクラブの営業やフェスティバルの開催も中止や自粛に追い込まれており、運営側やアーティストをはじめこの業界に携わる全ての人々が苦境に立たされている。先の見えない状況の中、試行錯誤し、協力し合いながら困難を乗り切ろうとしているが、音楽やパーティーを愛する私たちにできることとは一体何なのか。

慎重ながらポジティブな意見を聞かせてくれたのが、『渚音楽祭』や『Body & SOUL Live in Japan』などのフェスティバル、そして国内最大のダンスミュージックポータルサイト、クラベリアなどを手がけてきたT.ISHIHARAだ。一昨年までは、オース(OATH)や青山トンネル、現在は代官山にあるミュージックバー、デブリ(Debris)などの小箱の顧問やパーティープロデュースも担う。1990年代から30年近くに及ぶキャリアの中で、さまざまな困難を経験しながらも乗り越えてきた「クラブ界の父」は、この時代をどう見つめるのか。

9年前の東日本大震災時の状況などを振り返りながら、日本のクラブシーンの今後を前向きな視線で語ってもらった。

 ※インタビューは2020年3月10日に実施

まずは自己紹介を簡単にお願いします。

T.ISHIHARAです、よろしくね(笑)。僕は1993年に独立して、自分の会社をはじめました。27年目になりますが、現在はフリーで仕事をしています。まあ、いろいろやってますけど、基本的にはパーティーとフェスの制作を専門にやってます。ちなみにクラベリアは、3年くらい社長を勤めました。それが2000年ですね。

ー随分と早い段階からインターネットを使ったビジネスを始めたんですね。

一応、その頃にはすでにインターネットはありましたからね(笑)要は、パーティーだけじゃなかなか食ってはいけなかった。やっぱりビジネスにしていくには、例えばレーベルやって、マネージメントやってDJもやってます、とかの形で業界にきちんと根付いていくとかじゃないとね。その頃はクラブ業界のマーケットもまだとっても小さかったんですよね。それでクラベリアという、パーティー情報を発信するプラットフォームを立ち上げてみようと。

ークラベリアの運営、そして渚音楽祭などの大規模なフェスティバルを並行してオーガナイズしていましたね。

ちょうどその頃、2001年くらいにソルティス(※1)が野外でパーティーをやる時に、うちは代理店みたいな仕事も担っていたのだけど、彼らのイベントにスポンサーがついて。1回目は1000〜2000人のはずが5000人、2回目が5000人言ってたのに1万人も集まってしまう大盛況で。『レインボ−2000(※2)』以降の日本のレイヴシーンっていうのかな。そういう時代に、彼らと一緒に仕事ができて、すごく刺激になりました。僕はもともとニューヨークハウスが専門だから、ジャンルは違うけどこういう世界があるんだって、いろいろ広がって。それでその間に知り合った人たちと何か面白いことやろうよ、ってなったのがきっかけで開催したのが、2003年の『渚音楽祭』。1回目はフリーパーティーだったんだけど、とにかくいろんな思い出がありますね(笑)。

ソルティス(※1):日本におけるサイケデリック、トランスミュージックシーンの基盤を築いたレーベル兼パーティープロデューサー。代表イベントに、『Soltice Music Festival』などがある。

レインボ−2000(※2):1996年から1999年にかけて開催されていた野外音楽フェスティバル。日本の「初期レイブ」と呼ばれている。

ーフリーパーティーっていう概念は、今ではあまり考えられないですね。

葛西の西渚浜ってちょっとややこしい場所で。手前の葛西臨海公園っていうのは東京都、奥は建設省のもので、要するに一帯が国の持ちものなんだよね。企画書もちゃんとしてものを書かなければいけなくて、「若い世代が集まる、世界的なトレンドだ」みたいなことを書いてね。じゃあ貸してあげるってことになって。都の持ちものだから安かったってのもある。

最初は1500人から多くて5000人くらいを見込んでいたんだけど、最終的には1万人も来ちゃったわけ。もうとにかくグチャグチャでしたね。やる側も来る側も何が何だか分からなかった(笑)。スピーカーの上に乗って踊ってる人とかいたりして。最後は機動隊の要請で終演しましたね(笑)。

Body & SOUL live in Japan

ー聞いているだけですごさが伝わってきます。『Body & SOUL live in Japan』は何年にスタートしたのでしょうか。

2002年ですね。そもそも、1993年に会社を起こした時に、何かコンテンツを残さないと、この業界に生き残っていけないと思ったのがきっかけですね。それで、僕自身ファンであった『Body & SOUL』を日本でもやりたいとニューヨークに向かいました。メンバーに会うために出待ちして。3年間で合計30回くらい通ったよね。

やっと顔を覚えてもらったところで、メンバーの一人、DJフランソワKとつなげてもらえて。ある日「あなたは何をしたいの?」って聞かれたんですよ。どうしても日本で開催したい、という気持ちを伝えたら、「じゃあ火曜日にミーティングしよう」って。そこから具体的な話になっていって。それまでに1年かかったね。その後も、色々なやり取りを重ねたのち、やっとフランソワと会場探しを始めました。それが、今はない六本木のディスコクラブ、ヴェルファーレでした。この時、スピーカーを42個追加したり、デコレーションの風船を2000個以上設置したりし、全国から来客がありました。私はパーティやフェスを1000本以上やっていますが、この一番最初のBody & SOULの熱気が忘れられず今でもこの仕事を続ける原動力になっています。

急がば回れ、もう少し温めてさらに充実した内容に

ー今年の『Body & SOUL』の開催はありますか?

7月に企画をしているところです。ちょっとこういった状況なんで、様子を見ながらなんですが。

ー新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で、イベントの中止や延期が続いています。T.ISHIHARAさん自身も、早い段階で春に開催予定だった『SOUND CAMP』を延期されていますよね

『SOUND CAMP』は、今年初めて行う新しいフェスでした。規模も500人くらいで、子どもも来られる家族向けをイメージで。DJも子持ちの人を入れたりしてね。開催を10月に延期した理由はそこにありましたね。

個人的な話なんだけど、50代っていうのは僕にとっては暗黒の時代でもあったんだよね。それで60代は安定の時代にしたかったから、何か新しいことを仕掛けたかったってのもあって。今はそんなに規模は大きくなくてもいいから何かやってほしいっていうキャンプサイトとかもあるし、僕自身、去年は中規模くらいのフェスティバルに行ってみたりもして、状況を視察したり。

今年は最低でも二つはフェスを仕掛けたいと思ってたんですね。その中でも『SOUND CAMP』は大きい規模のフェスで。コロナショックっていうのはあるけど、僕たちは「まずやろう」というスタンスは変わらない。延期にはなったけど、急がば回れというか、もう少し温めてさらに充実した内容にしていきたいですね。

ーイベントなどの自粛、規模縮小が呼びかけられていますが、クラブ業界にはどのくらい影響しそうでしょうか?

やっぱり何が怖いかって、ウイルスは目に見えない。それと人々の過剰反応だね。これは日本だけの話ではないのだけど。トイレットペーパーを買いだめするとかいう人とか今まで馬鹿にしてたんだけど、先日デブリ(Debris)の店長に「石原さん、トイレットペーパーがなかったらお店営業できないっすよ」って言われて(笑)。そりゃそうだなあと思いました。

やっぱり、シンガポールの首相じゃないけど、パニックをあおるのではなくて、みんなで乗り切るしかない。まずは手洗いなども含め、やれることはしっかりやるしかないよね。それでも4月以降この状態が収束しないなら、『東京オリンピック・パラリンピック』の開催も難しくなるだろうね。

ーこういった状況だから逆にできることや、小箱だからできることなどのアイデアはありますか?

海外アーティストの来日が難しくなっている中で、僕自身は日本人アーティストもフューチャーしていきたいし、そういうパーティーもいくつか持ってる。実際、先日のR Loungeのゲイミックスパーティー、『SEASON』は規模を小さくしてやることになって。店としては閉めたくないし、でもパーティーとしては成り立たない状況だったね。

ーどのお店も閉めたくはないのが本音でしょうね。

そうだね。ちなみにそのパーティーはレギュラーDJが1人で5時間のロングセットをやってもらうっていう形で開催して。DJ自身も逆にロングセットでやる機会が少ないから面白みもあるし、もともとニューヨークのハウスシーンはロングセットが一つのアイデンティティーだしね。

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コミュニティが混ざり合うのが小箱の良さ

ー規模を縮小しても、本当に音楽が好きな人が集まるような内容のイベントはできそうですね。

最近はDJはやって長くても1時間半か2時間くらいで一つのイベントのDJの数は多いよね。これは集客面が大きな要素でもあるし、悪いことではないと思うけど、小箱の場合はガンガン踊るわけではないし、コミュニティーが混ざり合ったりすることが小箱の良さでもあるわけだからね。

あとは、もちろん無理する必要はないんだけど、じゃあ家から出るなっていうか、日常生活を一気に変えるようなことは現実的じゃないし、長期間このままでいることは不可能でしょ。精神的にもきついし。例えば、20、30代の頃一緒にパーティーに行ってた仲間とかが歳を重ねるごとにどんどん来なくなって、会社立ち上げる30代くらいの時は「お前、まだクラブ行ってんの?」みたいに言われてたこともあった。

今はこれが自分の仕事なわけだから、誰も何も言わなくなったけどね。でも、彼らも当時は好きで遊びに行ってたわけなんだからさ。別に回数が少なくなっても、年に一度でもいいから来ればいいんじゃないのって思う。今回のコロナでも、回数が減ったり、もちろんこういう状態だから行かないっていう選択肢もある。

だけどそうは言っても、現場は常に誰かが頑張っているわけだしね。だから一瞬でもいいから顔を出したりしてあげてほしい。そういうつながりがあるのも小箱の役割だと思うし、こういう状況でもそこを大事にしてほしいね。

ー2018年にできたミュージックバー、デブリ(DEBRIS)の顧問をされていますが、お店について教えてください。

誕生してまだ1年半っていうのもありますが、まずこの隠し扉っぽい入り口だけで上がるよね。

ヴェニュー自体は、Cocaleroの社長や、『ZIPANG』のオーガナイザー達が作ったのだけど、こんな小さいところでこういう空間を作る発想は面白いし、酒もおいしい。あとは平日は夜7時から1時まで、週末でも3時までっていう今までにない、もっとラフな時間帯にこれるっていうのも魅力。「仕事帰りに一杯飲める、それで気持ちいい音楽も聴ける」という感じが、夜中になかなか来られない人に時間も場所もちょうどいい。そういった意味では新しいスタンスですね、エントランス料金もないし。

あと、デブリでは毎週木曜、僕がオーガナイズする『Mars』というパーティーをやっています。お酒も薬酒を取り扱っていて、ウイルスに負けないよう免疫力アップできそうな薬膳茶や酒なんかも用意してますよ。

海外から閉めろという声もある

ーオーガナイザーとして、東日本大震災の時に経験した事があったら教えてください。

2011年の『渚音楽祭』の開催が、4月の頭でちょうど震災から1カ月後でした。もちろんみんなで色々話をして中止も考えたのだけど。そんな時に、一人のスタッフの両親が東北で、津波で行方不明になってしまったんですね。

彼は急いで地元に戻ったんだけど、両親は結局行方不明で見つからなくて。その間身動きができない状態が続いて、やっと東京に帰ってきた時には、完全に自粛モード。彼の仕事もなくなっちゃって。その彼に「渚をどうしてもやってほしい」と、相談されたんですね。その一言が後押ししてくれた。

昼間の休憩の時間に黙とうの時間も挟んで、そういった意向で開催するっていう旨も公式サイトに書いたしね。まあ、今回のコロナの状況とはまた違ったわけだけどね。

ー世界中が大変な時代に突入していますが、今後の目標などはありますか?

僕は基本的に人類の未来は明るいものだと考えていて、滅亡するとは思っていないんです。見えないものに対してさらに先が見えないってみんな言ってるんだけど、そこは僕も怖い。でもそれを自分に問いかけてみてさ、果たしてお前は一カ月後の自分のこと、ちゃんと見えてた?って。見えてても大して変わんないでしょって思うわけですよ(笑)。だったらやっぱり、7月の『Body & SOUL』の話も、9月の『SOUND CAMP』の話も、一個ずつちゃんとやるって信じて、前向きに進めることが重要なのかな、と思います。

ー今が踏ん張りどころでもありますね。

今は大変な時期で、各店舗の判断で店を開けていると海外から閉めろというような声も聞こえます。店舗は2カ月も締めれば閉店につながる事態でもある事を理解して欲しいです。

だけど、もし大阪のライブハウスの様にクラスターが出たりしたら、非難とともに存続に関わる話になってしまう事も理解しています。結局、非常事態宣言が出ない限り、各自の判断に委ねるしかないんです。手洗いやうがい、消毒などまずできること、当たり前のことをやっていくしかないと感じています。

I hope you can meet at the bar counter or dance floor. Love…

ライタープロフィール

須賀華呼(すが・はなこ)

東京のさまざまなアンダーグラウンドなヴェニューでイベントをオーガナイズし、現在はバルセロナに在住。DJ活動をメインに、翻訳家、フリーライターとして、カルチャー記事を発信中。

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