初の全編インスト作品となる新作『La Di Da Di』を引っさげてバトルスが帰ってくる。今回のインタビューでは、メンバーのイアン・ウィリアムズ(Gt、Key)に質問を投げかけた。
ビョーク(Björk)のスケジュールはびっしり詰まり、彼女の時間を取れるのはチャットのみ、予約のわずか数時間後に取材が始まるほどの忙しさだ。いざやりとりを始めると、それはまるで巫女とチャネリングしているよう。それが、ビョークだ。
アイスランド出身アーティストのビョークは、40年にわたり、私たちの想像を超える新たなスタイルの音楽を作り続けてきた。9作品のソロアルバムと共に、多彩な感覚を統合し、マルチメディアを駆使した驚きのツアーも生み出した。一方で、非常に幅広い文化に目を向け、イヌイットの喉歌(のどうた)を継承するターニャ・タガックや、ナチュラリストのデイビッド・アッテンボロー、コメディ俳優のスティーヴ・クーガンら、あらゆる人たちとコラボレーションを行ってきた。
4月初旬にビョークと電話で話したとき、52歳のビョークは、アルバム『ユートピア』を引っさげたツアーのリハーサルに没頭していた。首都レイキャビークでツアーを開始し、今月には、ロンドンのハックニー地区ヴィクトリアパークで開催される『オール・ポインツ・イースト・フェスティバル』に登場する。
彼女にとって、ロンドンは特別な地だ。ビョークは、ソロ活動をしていた1990年代、ロンドンで暮らしており、クラーケンウェルのクラブ「トレード」などによく出没していた。ビョークは、「ロンドンにはたくさんの友人がいるので、いつも行くのが楽しみです」と語る。
−『ユートピア』発表から、6ヶ月が経ちました。このアルバムに対する思いに変化はありましたか。
ビョーク:今回のアルバムの性質上、あまり変化はありません。というのも、前回のアルバム『ヴァルニキュラ』は「傷心」がテーマでした。あのアルバムの曲に対しては、毎月感情が変化します。ですが『ユートピア』では、できる限りズームアウトしています。アルバムのテーマは、理想郷(ユートピア)の作り方を問いかけるものです。人間はみな、「人生がこうならいいな」という夢を持っていますが、現実は異なります。私たちは本当に不器用ですが、時々、正しく物事を行うことができます。そんな葛藤が『ユートピア』のテーマです。「どたばたスタイル」と言ってもいいですね。
−ユートピアのアイデアはどのように生まれたのですか。
ビョーク:私にとって、アルバム『ユートピア』は緊急事態を意味します。これはトランプの大統領選勝利への反応でした。トランプが何の対応もしない環境問題の数々が主な理由で、私は無力感を感じていました。私たちは今すぐ、私たちが何を求めるのかを明確にするべきだと思います。人類が物事に真剣に取り組み始めるのは、いつも重大なトラブルに陥ってからです。私たちは、素早い対処が必要な時代に生きているのです。私たちは、これからどう難題を乗り越えていくのかをはっきり示す必要があります。
−何か希望を感じた取り組みはありますか。例えば、大胆な銃規制を求めるデモ行進『マーチ・フォー・アワー・ライブズ(March For Our Lives)』には感動しましたか。
ビョーク:そうですね、間違いなく希望が持てる取り組みのひとつです。私がニューヨークに暮らしていた頃、私の娘は、(2012年に銃乱射事件が起き)人々が殺害されたサンディフック小学校から45分離れた学校に通っていました。アイスランドには軍隊がなく、暴力はなく、殺人はほとんどありません。だから、私にとってあの事件は恐ろしいものでした。私があの事件について話すと、人々は頭を左右に振り、「男子はどこまでも男子。諦めるしかないんだよ」と言って立ち去るのです。私には全く理解できませんでした。
あのデモ行進が、子どもたちが発言権を持っていることを示し、私はいろんな意味で満足しました。今では、「ノー!こんな社会は受け入れられない。僕たちが変えなきゃならない」という感じでしょ。とても素晴らしいことだと思いますし、きっと実現できるでしょう。
−音楽は、人々の考え方を変え、コミュニティー作りを促す力があると思いますか。
ビョーク:私は若いころ、ベルリンの壁崩壊前に、西ベルリンでパンクバンドのツアーを始めました。私が参加していたバンドは、何年もお金を貯めて、オンボロの中古車を買って、ヨーロッパ中を車で移動し、誰かの家の床の上で眠りました。私はそういうDIYな感じでやってきましたが、毎回、自分たちのショーには満足していました。名声を得ることは一度も考えたことはありません。気の合う仲間たちと出会い、世界中を旅し、人とつながることが目的でした。今でも同じように感じています。
−『ユートピア』の発表は、『ヴァルニキュラ』の時と同じくらい緊張しましたか。
ビョーク:『ヴァルニキュラ』では、弦楽器と打楽器を使って、10代の頃からプレッシャーを感じていた領域に足を踏み入れた作品です。つまり、苦悩するエディット・ピアフ(フランスのシャンソン歌手)やジャンヌ・ダルク(フランスの愛国者)のような女性像です。西洋文明では、これら典型的な女性の歌手が求められます。ひたすら歌い続け、燃え尽きて死ぬような女性歌手です。
私の中にはたくさんの人格が存在します。普通の女性のようにね。50種類以上の人格はあるでしょう。『ヴァルニキュラ』の女性は、そのうちの1人です。『ユートピア』では、新たな感覚を生み出そうとしました。勇気ある主張の形として、より創造的なアルバムができたと思います。音楽オタクとしての私の本領が発揮されています。
−『Blissing Me』の歌詞は、誰かにMP3を送ったり、曲に恋をするストーリーです。あなたも頻繁に誰かにMP3を送りますか。
ビョーク:私の大切な人に、ということですか?そうですね、相手に心から気に入ってもらえる適切な歌を見つけるように頑張ります。難しそうですが、そのうちきっと見つけられるでしょう。そういう謎解きは楽しいですから。友達にはたくさんの曲を送りますよ。私から受け取るメールには楽曲1曲が添付され、あとはエクスクラメーションマーク(「!」)とタイトル、それだけです。時として、言葉は邪魔になるのです。友達が、何を言うでもなく、ちょっとした曲をくれる時が嬉しいですね。朝目が覚めるときにその曲をかけると、「よし!」という感じになります。
−あなたは数年前、今までのキャリアで、プロデューサーとして認められないことが多かったと告白しました。あなたが未だにそんな扱いをされているとは驚きです。
ビョーク:銃規制や#MeToo ムーブメントと同じことです。短距離走ではなくマラソンのように時間がかかるのです。変えるには、まるまる1世代くらいかかるかもしれません。当時、私は率直に意見しました。1人の女性として不満を述べた、初めての体験でした。2日前に、知り合いから大手音楽サイトの記事を受け取りました。その記事では、『ヴァルニキュラ』の収録曲『ブラック・レイク』のクレジットを、私が共同作業したアルカ(Arca)に与えていたのです。確かにアルカは、曲のビートを担当しましたが、私は、彼がプロジェクトに参加する数ヶ月前に、すでに曲を書いていました。ウェブサイトでは、アルカがその曲をすべてプロデュースしたと記していました。共同プロデュースではなく、です。
こういうものを見るたびに腹を立てたりはしません。時間の無駄ですからね。優れたフェミニストになるには何をすべきなのでしょうか。不平を言い続ければいいのでしょうか。そのウェブサイトにメールを送ればいいのでしょうか。そんなのは馬鹿馬鹿しいですよね。
−「女性ミュージシャン」と定義されることで、何か制約を感じたことはありますか。
ビョーク:私は、自分の母を含むすべての女性が、1970年代にたくさんの闘いに挑むのを見ました。たくさんの勝利とたくさんの敗北がありましたが、彼女たちは現在の我々世代のため、多くのことをやり遂げてくれました。彼女たちが闘ってくれたわけですから、私は自由な人間になることこそが、自分の役割だと思いました。私は女性ですが、男の子がすることはすべてやってきましたし、不平も言いませんでした。私は30年間そうしてきたのです。
その質問への答えはありませんね。私たちは次の世代のために行動しなければいけません。あらゆる機会を利用し、常に自ら判断するのです。これは自分のためではなく、すべての女性のためだということを覚えておかなければいけないと思っています。