里山十帖
Photo: Keisuke Tanigawa
Photo: Keisuke Tanigawa

古民家宿「里山十帖」創業者が語る、人の心をつかむサステナブルツーリズム

岩佐十良に聞く、地域の宝を住み継ぎ、食べ継ぎ、伝え継ぐということ

テキスト:: Risa Shoji
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持続可能な社会の実現を目指す流れが世界で加速する中、日本の観光産業においても「サステナブルツーリズム」は重要なテーマとなっている。アフターコロナの観光需要回復に向け、日本の観光産業はどのようにサステナブルツーリズムを実現していけばよいのだろうか。

地域の持続的な発展を前提とした観光のあり方にいち早く注目し、全国各地で自ら実践してきた株式会社自遊人の代表、岩佐十良に日本のサステナブルツーリズムが目指すべき未来とその可能性を聞いた。

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南魚沼にしかない価値を体感できる場

東京からおよそ2時間、新幹線とローカル線を乗り継ぐと、山あいに細長くひらけた新潟県南魚沼にたどり着く。

南魚沼は日本有数の米どころとして知られる。この地でつくられた最上級のコシヒカリは「日本一おいしい米」として全国的に有名だ。平地の中央を流れる魚野川沿いには青々とした水田が一面に広がり、穂先に黄金色をにじませた稲穂の群れが晩夏の涼風に揺れる。その奥には薄墨色の山々の稜線が幾重にも連なり、美しい陰影を描いている。

何百年と変わらないその光景は、まさに日本の原風景そのものといえるだろう。一棟貸切りの古民家宿「里山十帖 ザ ハウス イズミ(里山十帖 THE HOUSE IZUMI)」は、そんな景色を一望できる小高い丘の上にある。

「もうしばらくすると田んぼの稲穂が一斉に色づき始め、あたり一帯が黄金色に染まるんです。冬にはそれが一面の銀世界になり、春になれば美しい水鏡になる。ここには四季の移ろいとともに変化する美しい自然が常に目の前にある。すごく贅沢ですよね」

そう語るのは、宿を運営する岩佐十良だ。眼前に広がる光景に目を細めながら、岩佐は続ける。

「はるか昔から変わらないこの眺めと、日本一おいしいお米は、この地域の大きな魅力。ここにしかない唯一無二の価値だと僕は思っているんです」

元々は東京で雑誌の編集者をしていた岩佐がこの地でホテル事業を始めたのは、2014年。食と旅をテーマとする雑誌を自ら創刊し、「本当の豊かさ」を追求する中で南魚沼と出合い、2004年に移住。この地に息づく日本の伝統的な暮らしや食文化の中に、求めていた豊かさを見出した彼は、それらの魅力が体感できる場を作ろうと考え、宿泊型複合施設「里山十帖」をオープンしたのだ。

土地が持つ時間軸に意識を向ける

「里山十帖」の新たなプロジェクト、「里山十帖ザ ハウス」のコンセプトは非常にユニークである。「日本古来の『家』を残すこと、そしてつなぐこと。その土地の風土・文化・歴史を体感してもらうこと」だ。

「里山十帖ザ ハウス イズミ」は、このプロジェクトの第一弾として2021年にオープンした宿泊施設。建物は、当時の趣をできるだけ残すべくフルリノベーションした築150年の古民家。食事は派手な高級食材や特産品を使わず、極上のコシヒカリと地元でしか採れない山菜や地野菜が中心。露天風呂は絶景をほしいままに見渡せる設計にこだわった。

岩佐が言う「唯一無二の価値」を余すことなく表現した里山十帖は、瞬く間に人々の心をつかみ、一年中客足の絶えない人気の宿となった。地域の暮らしや環境を守ることと、経済的な成功を両立させた岩佐の手法は、まさにサステナブルツーリズムの本質そのものだといえる。まだ日本にサステナブルツーリズムという言葉が知られていなかった時代に、岩佐が先駆けてその概念を宿づくりに生かすことができたのはなぜなのだろうか。

「強いていえば、その地が持つ時間軸を常に意識しているから、でしょうか」

しばし考えた末に、岩佐は言葉を選ぶようにそう答えた。

「例えば、南魚沼は冬になると山間部では3メートルもの雪が積もる日本有数の豪雪地帯ですが、そういう厳しい土地だからこそ、発酵や保存の技術を駆使したユニークな食文化が育まれていったわけです。南魚沼でおいしいお米ができるのも、豊富な雪解け水があってこそ。100年、200年という時間をかけて醸成された歴史や伝統文化には、経済的な数字では測れない豊かさがある。僕は宿という場を通じて、その豊かさを表現し、伝えていきたいと思っているんです」

どんな地域でも、歴史や文化を丁寧にひも解いていくと、その地に受け継がれてきた、その土地ならではの宝が自然と見えてくる。しかし、その宝をただ単に守り受け継ぐだけでは、ビジネスとしての成功にはつながらないと岩佐は強調する。

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現代的な高機能性と伝統文化の融合

「地域の宝を観光資源に変え、サステナブルツーリズムとして成立させるには、利便性や快適さといった目線が不可欠です。いくら『ここでしか採れない野菜です』と言っても、料理がおいしくなかったらお客さんは喜ばないですよね。古民家だって、そのままの造りだったら寒くて不便でとてもじゃないけれど豊かな宿泊体験なんてできない。

そこはクリエイティビティーを発揮して、歴史や文化を深く理解した上で、新しい価値としてアウトプットすることがすごく重要なんです」

その言葉を自ら証明するように、岩佐は日本各地で「価値の再発見」を強みとした地域再生プロジェクトに取り組んでいる。滋賀県大津市の町家を再生し、昔から息づく文化や風土、人々の営みを観光資源化して地域の活性化を目指す「講 大津百町」、神奈川県箱根町の企業保養所を改修した本をテーマにしたインタラクティブメディアホテル「箱根本箱」など、その斬新で独創的な再生手法はいずれも高く評価されている。

「南魚沼には築100年を超える古民家がまだ残っていますが、有効活用されずに次々と取り壊されているのが現状です。それらを地域の大切な資源として後世に残していくため、一棟ずつ新たに手を加えて宿に再生していく予定です」

「里山十帖 ザ ハウス イズミ」も「里山十帖」と同様、築150年の古民家の貴重な構造材や風情はそのままに、古民家の最大の弱点である「寒さ」と「暗さ」を解消する再生手法にこだわっている。最新の技術で断熱性や気密性を高め、できるかぎり開口部を設けて明るさと視界を確保。さらに屋根からの落雪や雪掘り(雪降ろし)後の雪を溶かす融雪池を外構にめぐらせ、家が雪に埋もれないための工夫を凝らしているという。

「目指したのは、現代住宅の機能と日本の伝統建築が融合した新しい空間です。宿泊客は暖かい部屋で快適に過ごしながら、大きな窓から美しい棚田を眺め、囲炉裏のあるリビングでくつろぎ、満天の星空の下で温泉を楽しむ。多くの人が往時の雪国の暮らしに思いを馳せ、体感してもらえるような場になったらうれしいですね」

今回、再生にかけた費用はおよそ6,500万円。古民家1軒の改築費用としては異例の金額だ。「正直、新築した方が安くついたかもしれない」と岩佐は苦笑する。

「それでも古民家の再生にこだわるのは、新築にはない価値があるから。例えばあの太い梁(はり)。あれは地域の山から切り出したマツの大木です。マツは弾力性が高く、雪の重みをしなやかに受け止めるんですね。それを支える柱や差し鴨居は、全てケヤキです。ケヤキは非常に高価で、加工も難しい木材ですが、とにかく硬くて強度がある。3メートルの豪雪に耐える家を作るために、わざわざ樹齢200年の大きなケヤキを切って使っているわけです。

つまりこの空間は、構造計算なんてない時代に、この地の名も無き匠たちが長い試行錯誤末に生み出した知恵と技そのもの。僕にとって、それは有名建築家が手がけた作品と同じぐらいの価値があるんです」

何百年もの時間軸を持つ家を住み継ぎ、その歴史を未来につなぐこと。それはいわば、古民家の「家」としての価値を再発見する試みでもある。「ザ ハウス」という名前には、そんな岩佐の思いが強く反映されている。

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世界に誇る米大国

地方に宿る「本当の豊かさ」を信じ、その魅力を伝え続けてきた岩佐の一貫した姿勢は、コロナ収束後のインバウンド需要回復を見据える日本の観光産業のあり方にも、多くの示唆を与えている。インタビューの最後、そんな彼にグローバルな観光市場における日本のサステナブルツーリズムの強みとは何か、と尋ねてみた。

「日本を世界の中の一つの地域として見たとき、その唯一無二の価値がどこにあるかといえば、僕はやはり『米』だと思うんです。米は日本人の主食であるだけでなく、年貢や石高という言葉が象徴するように、経済の中心でした。また、今も日本に残る祭りや神事の多くは、豊穣への祈りや感謝の儀礼が起源とされ、米は日本人の精神にも深く結びついています」

岩佐によれば、米は衣食住にも深く関わっているという。

「米の収穫後に取れるわらは、草履(ぞうり)や屋根ぶき材のほか畳床(畳の芯となる部分)にも使われているし、精米によってできる米ぬかは、ぬか漬けを始めとする発酵食の文化を生み出しました。米酢や日本酒、もちや煎餅など米からつくられる食品も無数にあります。でも、ほとんどの日本人は、米にまつわる歴史や文化を知りません。日本の社会は、いわば米とともに発展してきたとも言えるのに、米の存在が身近過ぎてその価値に気付けないんです」

そんな米が育んだ素晴らしい伝統文化を、どのようにツーリズムと結びつけて表現するのか。どのように日本の貴重な資源として後世に受け継いでいくのか。

「やはり実現する可能性が一番高いのは、『食』の領域だと思うんですよね。食べることは人間に不可欠な営みですから、どんな地域にも必ず固有の食文化が根付いているもの。もちろん、林業が盛んな地域なら『住』の領域でチャレンジしてもいいし、織物や染物の産地なら『衣』で新しい取り組みを考えてもいいんです。

僕はそういう、地域の人々が脈々と受け継いできた素晴らしい価値を伝え続けながら、100年後、200年後まで受け継いでいきたいんです。悠久の時の流れの中で、今を生きる私たちのそういう営みは、巡り巡って地元の人々の誇りとなり、地域の持続的な発展につながっていく。サステナブルツーリズムにおいて重要なのは、地域の観光に携わる一人一人がそういう視点を持ち、行動することなのではないでしょうか」

岩佐十良(いわさ・とおる)

クリエイティブディレクター/編集者/株式会社自遊人 代表取締役/株式会社IMD 代表取締役

1967年池袋生まれ。武蔵野美術大学でインテリアデザインを専攻。在学中の1989年にデザイン会社を創業し、のちに編集者に転身。2000年に雑誌「自遊人」を創刊。2002年、雑誌と連動した食品のインターネット販売を開始。2004年、新潟県魚沼に活動拠点を移す。マーケティング&デザインから原材料の選定、レシピ開発、適切な加工場とのマッチングまでを行い、食のプロデュースや農業問題の専門家として、行政府などが招集する委員などを務める。2014年、新潟県大沢山温泉にライフスタイル提案型複合施設「里山十帖」をオープン。

その後、2018年には自身が企画・ディレクションした「講 大津百町」(滋賀県大津市)、「箱根本箱」(神奈川県箱根町)が開業し、多数の賞を受賞する。2020年には「松本十帖」(長野県松本市)と「SILVER MOUNTAIN LODGE」(新潟県魚沼市)を開業した。

また、全国各地で商品開発やリブランディングも実施。 ライフスタイル提案を軸にした「モノ」や「ヒト」「空間」の「リアルメディア」化を得意としている。2016〜18年、2021年〜にはグッドデザイン賞審査委員も務める。

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