マヒトゥ・ザ・ピーポー(Photo:Keisuke Tanigawa)
マヒトゥ・ザ・ピーポー(Photo:Keisuke Tanigawa)
マヒトゥ・ザ・ピーポー(Photo:Keisuke Tanigawa)

分断に迷い、混乱とともに生きたい

マヒトゥ・ザ・ピーポー、映画監督としての一歩を語る

広告
テキスト:三木邦洋
写真:Keisuke Tanigawa

ロックバンドGEZANのフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーが監督・脚本を務める映画『i ai(アイアイ)』の制作が目下進行中だ。公式サイトにあるステートメントの通り、本作のテーマは「同じ時代の雨に打たれているあいあい傘の下で、人と人が会って、別れて、また出会う青春映画」である。

バンドとしてのGEZANは、現在進行形で「会って、別れて、また出会う」時間の最中にいる。『FUJI ROCK FESTIVAL '21』の3日目、レッドマーキーで行われたライブは、ライブバンドであるGEZANにとっては長いブランクだった8カ月ぶりの、そしてベースのカルロス・尾崎の脱退を経て5月に新たに加入したヤクモアを迎えてから初のライブだった。GEZANにとってメンバーの交代劇を経験するのはこれで2度目だが、映画でストーリーの要となる森山未來演じるヒー兄は「わたしたちのバンドにとって最初のサヨナラ」となった存在なのだそうだ。

コロナ禍によってさまざまな場面で分断が加速していると言われているが、それは私たちの小さな日常でも起きている。フィルターバブルによってそれぞれが信じたい光景が細分化され、SNSはそうして出来上がるクラスタを可視化する。これまでなら同じ文化圏にいると思えた友人に対しても、考え方の細かな違いが気になり、疎遠になってしまう、なんてことが起こりがちになっていないだろうか。

マヒトゥ・ザ・ピーポーが映画で描こうとしているのは、自らが経験してきた別れを起点にしながら、「サヨナラ」という現象が今の時代においてどうしようもなく今日的な意味を帯びてきていることについての問いかけだ。

音楽、文筆、そして映画と、過剰な勢いでアウトプットを続けるマヒトゥ・ザ・ピーポーに、『i ai』製作の背景について、そしてコロナ禍を生きるなかで観測し捉え直したという「別れ」のあり方について話を聞いた。

一緒に迷って欲しい、と森山未來さんには伝えました

ー二度目のメンバー脱退を経て、新しいベーシストのヤクモアさんを迎えた新体制のGEZANが始まりました。彼が5月に加入してから『フジロック』まで、休みなく毎日スタジオリハーサルをしてきたそうですが、手応えはどうですか。

ヤクモアはまだ18歳なんですが、オーディションのときもまったくおびえがなくて。今思えばアホなだけだったのかもしれないんですが(笑)。GEZANのために東京に出てきて、今は目に映るものすべてが刺激的な状態で日々いろいろな人に出会ってる。

彼を選んだのはバイブスだけを重視したわけではなくて、ベーシストとしてのポテンシャルの高さを見込んだからなんですが、実際音を鳴らしてみるとセンスやひらめきもありますね。ちゃんと出会えたと確信してます。

だけど本当にアホで(笑)。「将来はロックスターになりたい」っていう人、今どきいないですよね。メンバー全員で見にいった灰野敬二さんのライブに相当面食らって体調悪くなりながらも食らいついて、翌週のワンマンライブも一人で観に行ってたり、そういう様子を見ていて、俺らも初心を思い出してる。ああ、こうやってバンドは再生していくんだなと実感しています。

ーバンドメンバーが変わる、という出来事は残されたメンバーにとってどんな変化をもたらすものなんでしょうか。

よく片腕を失う、みたいな言い方をしますが、まさにそう思います。昨年脱退したカルロスは、自分やバンド全体が迷ったときに根拠なく「こっちがええやん」と言ってくれる灯台のような存在だった。そんな彼に救われていたし、それによって作れていた足場があった。まあ、本当に言うだけで実働はしないやつなんですが(笑)。実働しないからこそ強気で。それで成り立っているバランスってあったんですよね。外側からは見えにくいかもしれないけど、自分はそういうところで頼りにしていた。

でも同時に、本当に必要な人とは必要なときに出会えるようになっていることもわかっていて。その時代時代で入れ代り立ち代りをくり返して生きていくものなんだろうと。今回の映画もそうなんですが、そのサイクルの果てに佐内(正史)さんや森山(未來)さんに出会ったんだと思うと、違った角度で現状を肯定できる。

自分たちの場合は空いた穴を理屈で埋め合わせないようにしていて。ベーシスト選びもオーディションでプロの上手い人もたくさん来たんですが、自分たちにいま足りないものはなんなのかを頭で考えずに、ちゃんと風に吹かれて風に委ねる。そうすることで本当に必要な人に出会えてきてると思っているから。それは今回の映画のキャストのオーディションでも大切にしてる当て感なんですよね。

ー映画『i ai』は別れや喪失がテーマの映画になるとのことですが。

自分のことを振り返ってみると、ずっと死や別れみたいなものの存在に追いかけられているという意識があって、そういう歌を歌ってきたんだと思うんです。言い方を変えると、生きるということに追いかけられているとも言える。

身近な話で言えば、カルロスの脱退は自分にとって大きな別れだったけど、日常には色々なさようならがあって、特に今の時代は考え方や認識のズレが可視化されやすくて、それによって人と疎遠になってしまったりする。大小のさよならが日常的にすごい速度で駆け巡っている。それとどう付き合っていくのか、ということはこれからを生きていく上ですごく大切だと思う。

じゃあ別れってただただ悲しいものでしかないのか。そんなわけがないだろうっていう抗いがこの映画で挑戦したいことなのかもしれません。ストーリーはあるバンドのひと夏の物語なんですけど、そこに今日的なテーマを映し出していきたい。僕がなにか答えを持っているわけではなくて、制作側にも観客側にも「さよならってどう思う?」ということを一緒に迷って、そこに浮かび上がってくるものをつかんでもらいたい。森山未來さんにもそういうことを伝えてオファーをしました。

他者にイメージを歪められることに喜びがある

ー森山未來さんとはロケハンも一緒に行かれたそうですが、どんなやりとりを重ねていますか。

森山さんへのオファーは早い段階から決めていて、この人しかいない、と。森山さんは大衆性のあるドラマからストイックなダンスの表現の世界まで幅広い世界で活躍している人なわけですが、僕はこの映画で彼の力を借りたいと思ってオファーしたわけではないです。「ヒー兄」という役を演じてもらうと同時に、森山未來は生や時間というものにどう向き合うんですか、という投げかけがしたい。

ー今回、音楽でも小説でもなく映画で表現したいと思ったのはなぜですか。

パンデミックによってこれまで通りの音楽活動ができなくなって、例えばモッシュやダイブみたいな人と人が物理的に交じりあう現場が失われたなかで、失われていくイメージや虚構の空間をそのまま作品として表現できる映画という媒体に惹かれたんだと思います。

映画やってみたいねという話は以前からあって、奥田(アキラ)と構想を膨らませていたりしたんですが、実行に移すきっかけになったのはまさにカルロスで「やろうや!今やで!」って言って煽られたからですね。カルロスの強引なまでのあおりがゴーサインに感じて、結局バトンを手渡された。

これまで『全感覚祭』の主催者として施工からなにから仲間たちでやってきたり、去年5月にやった『30時間ドラムマラソン』という企画では演出のためにドリルでベニヤ板を貼ったりなんてことを当たり前のようにやっていたわけなんですが、これって映画制作の現場と近いことをすでにやってるなと豊田組に参加した時に思って。もちろん経験やノウハウはまったくないですが、ストーリーを立ち上げて成立させるために必要な座組み自体は、GEZANや十三月でやってきた活動と同じだなと。

ー映画監督を務めるということに重い責任を感じることはないですか。

あんまりないんですよ。例えば、GEZANみたいにマネージャーも事務所も持たないインディペンデントな活動は孤立無援なものだと思う人もいるかもしれないですが、僕は孤独になればなるほど多くの人とつながれるものだと常々思っていて。

どこにも属していない、誰でもない自分でいると、同時にたくさんの人とつながっているような感覚があるんです。監督って実際にはカメラを回すわけでも演じるわけでもなくて、理想像を描いて現実に落とし込む役回りですよね。そういう意味では曲を作ったりフェスをやったりすることとあまり変わらない。

原型は持っていくけど、その後は手放して両手をフリーにしておく。そうすると色々な人と手を組める。その委ねて手をとる感覚は監督をする上でも一緒だと思っています。自分の描きたいものを他人に再現してもらう、道具としての他者には興味がなくて、元の絵がどんどんゆがんでいくことに喜びを感じてきたから。

ー映画を作る大変さにうんざりすることはないですか?

それはないんですよね。電車に乗ったりすることのほうが嫌かな(笑)。

広告

羽がなかったら捻挫してから考えよう

ーマヒトさんは音楽ではGEZAN以外にもソロやユニットを組んでいたり、他方で小説を書いたりと多彩なチャンネルを持っているわけなんですが、あれこれ手を出している、という印象がまったくない。それはためらいの無さから来るのかなと思うんですが、いかがですか。

実際、ちゃんと映画作りを目指して地道に頑張っている人からしたらうざいだろうと思いますよ。でも、キャリアを積んでからなにかを始めようとすることの危険さもあると思っていて。無駄なハードルが上がってしまって動き出せなくなる。

音楽も映画も、俺は無骨でもいいから出した方が良いと思う。人それぞれのやり方があると思うけど、自分は躊躇(ちゅうちょ)はしない。羽があると思って飛んでみて、羽がなかったら捻挫してから考えよう。なんなら捻挫している様を写真に撮ってもらおう、佐内さ〜ん!みたいな。

ーあの映画のあのシーンのような雰囲気に仕上げたい、みたいなイメージも持っているんでしょうか。

そういう技術は僕にはないですし、今集まってきているメンツからしてそういうアカデミックな組み方はできない座組みになっています。どういうメンバーでチームを作るかで自分から引き出されるものって違ってくるじゃないですか。

ある人といるときは自分のクリエイティブな面が引き出されたり、またある人といるときは自分のなかのアクティビスト的な性格が前面にでてきたり。どんな仲間を集めてくるかが結果を大きく左右すると思っていて。今回の映画に現時点で集まっているメンバーを見渡してみると、なるほどこれは大変な映画になるな、と思う。必然が燃えている。

ーそれは、狙い通りの座組みになったということですか。

そうですね。例えば、今のトレンドを鑑みてこんな内容がちょうど良いだろうとか、ここはウォン・カーウァイ風にドラマチックな色味にしてみよう!とか、そんなしょうもない話をする余地すらないメンバーになっているというか。カメラマンの佐内(正史)さんもすごい気合い入ってて「これで佐内は終わったと言われるようなカットを撮る!」って謎に意気込んでます。

僕らの活動は曼荼羅としか言いようがない

ー8月に『フジロック』で復活ライブをしたのち、9月からは神戸での映画撮影が始まるそうですね。

忙しい状態で頭がおかしくなりそうな時もあるのだけど、美しい人や面白い人に出会えているときは絶対大丈夫なんですよね。自分がどう思っているかよりも、周りにだれがいるか。そうやって自分の現在地を測ってきた気がします。今は周りにいる仲間が発光してるので怖いものがないです。

ヤクモアが入ってバンドが復活するってときに映画を撮り始めるって、どんなストーリーだよって、自分でも混乱しますよ。理屈でどうこうできないんだってつくづく思うし、こうやって散りばめられたものを手繰り寄せて大きな生命体になっていく、みたいなイメージかな。

例えばメジャーのアーティストだったら、作品をリリースしたらプロモーションの打ち方から時期まで戦略を立てて綺麗な直線を描くわけですけど、僕らの活動はそれに比べたら曼荼羅ですよ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)、森羅万象、あまたのレイヤーと対峙して、世の中のリズム感や損得とは違う領域に入ってやっている。危ないやり方だなとは思うんですが。

ーGEZANは2012年に16人の観客に対して1人1曲ずつ演奏するマンツーマンライブという企画もやっていましたね。やろうとしていることの根本はずっと変わらないんだなと思います。

懐かしいですね(笑)。本当にずっとしんどいことをやってる人間なんだなって思います。誰にも頼まれてもないのに、しんどいことばっかり思いつく。ほんとに勘弁してほしい。頬を殴りたい。

ーそこに必然性を感じる人が集まってきたから『全感覚祭』のようなイベントができあがったんだと、とても納得がいきます。そういうマヒトさんやGEZANが体現している「汗のかきかた」みたいなものが、多くの人にとって無視できないものになっている。

俺とかGEZANの活動をポイントで拾って否定するのってすごく簡単だと思うんですよ。でもこの状態をマクロで見た時に説明できる人っていないと思う。本当に曼荼羅(まんだら)としか言いようがない。

広告

自分と見ている景色が違う人がいるっていうのは面白いし美しい

ーお話を聞いていて思ったのは、対立を生むな、と叫ぶのではなくて、そもそもそういうものが生まれない環境を作る、というのがマヒトさんのスタイルなのかなと。

理解を求めるんじゃなくて、一緒に迷って欲しいということですね。以前、折坂悠太の母校のフリースクールでイ・ランと3人で歌ったことがあるんですが、そこに通っている生徒たちが、自分にはすごく健全に見えて。

元々通っていた学校に馴染めず不登校になった子供たちなんかが集まっているわけなんだけど、彼らがなによりも健全に見えた。先生に褒められることが正解と信じきり行動する子供たちがいるとしたら、僕にとってそれは健全の対極の存在で、危うさすら感じる。

ここまで世の中が混乱している現在において、本当に健全なことってなんだろう。優しさってなんだろうってことを考えると、「迷う」ことは必要な行為だと思う。無限にレイヤーが細かくなっていて「自分はこうで、あの人はこうだから」という視点がひたすらシビアになっているなかでは、向こう側の立場や環境を想像する、というところにしか対話は存在しないし優しさもありえない。

2016年に当時のドラマーのシャークが脱退するとき、自分はツアー先で眠れなかったんですよ。解散するのか、という思いがぐるぐる巡っていたんですけど、他の3人を見たら全員いびきかいて爆睡してて。その時に、こんなに同じ窯の飯を食った仲間同士でも人って分かり合えないんだなって思った(笑)。

その通じ合えないということに良さを感じることがあるんです。ステージで自分が調子悪い時に横にいるイーグルを見たら、今日の俺100点ですみたいな顔でギターを弾いてる、とか。自分と見ている景色が違う人がいるっていうのは面白い。美しいことだと思う。

とかく自分はこっち側であの人はあっち側、というふうにカテゴリーや集団に分けていこうとするわけだけど、本当はそんなことをする必要はなくて、そもそもみんな孤立していて違った意識をもったまま浮かんでいる。こんなにメンバー同士で意思を固めてきたGEZANですらバラけるんだから、集団なんて曖昧でしかない。あってないようなものなんだって思ってる。

だからこそ、別れを表現するときは、喪失や別離という現象についてじゃなくて、出会いの奇跡や誰かとハモれたその一瞬のことを言いたいですね。

『 i ai (アイアイ) 』

監督:マヒトゥ・ザ・ピーポー
出演:森山未來
撮影:佐内正史
制作プロダクション:スタジオブルー

現在、映画の制作資金を募るクラウドファンディングに挑戦中。詳細は映画の公式ウェブサイトにて。2022年劇場公開予定。


Instagram : @i_ai_movie_2022
Twitter : @iai2022

マヒトゥ・ザ・ピーポー

2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動のほかに、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。

映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである『全感覚祭』を主催。また中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年ははじめての小説、銀河で一番静かな革命を出版。GEZANのドキュメンタリー映画 Tribe Called DiscordがSPACE SHOWER FILM配給で全国上映開始。バンドとしては『FUJI ROCK FESTIVAL』のWHITE STAGEに出演。2020年1月5th ALBUM『狂KLUE』をリリース、豊田利晃監督の劇映画『破壊の日』に出演し、全国上映。初のエッセイ『ひかりぼっち』がイーストプレスより発売。

Instagram : @mahitothepeople_gezan
Twitter : @1__gezan__3

音楽を楽しむなら

おすすめ
    関連情報
    関連情報
    広告