テキスト:えるあき
トレードマークはおかっぱの髪形。2023年10月放送の「相席食堂」では自身の曲「今宵乾杯」を披露するなど、クセのある俳優として注目を集めているのが坂口涼太郎だ。フジテレビ系ドラマ『ビリオン×スクール』では教師役として圧倒的な存在感を発揮。ダンサーとしてデビューした坂口の経歴は、ピアノの弾き語りや演技など、各方面へ才能の光を飛ばし続ける。そんな、坂口が次なる舞台として選んだのが、劇作家・山本卓卓によるKAAT神奈川芸術劇場プロデュースの新作音楽劇『愛と正義』(演出:益山貴司)だ。
人を助けるヒーローたちが「愛と正義」を両立させる難しさに苦しみつつ、過去から未来へ縦横無尽に行き交い、戦う姿を描いている。5人の俳優と2人のダンサーで構成されており、主人公のいとこ役の「ウチ」とウチに憑依(ひょうい)して愛を食べる怪物「アク」を演じるのが坂口だ。 2025年2月21日(金)から「 KAAT 神奈川芸術劇場 」で始まる上演に先駆けて、その意気込みを語ってもらった。
――今回台本をお読みになり、感触はいかがでしたか。
坂口涼太郎(以下、坂口) :最初読んだ時は、多次元的なSFの要素を強く感じました。近年、マーベル作品や『X‐MEN 』、『エブエブ( エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス )』などマルチバースを描いたエンターテインメントが増えているので、お客さまもこの世界観を楽しんでもらえるなと思いました。
――以前、Xで山本卓卓(やまもとすぐる)さんの脚本を「言葉のユニバース 」と表現されていましたが、どういった点でそう思われたんですか?
卓卓さんの脚本や言葉には、普通に生活していたら紡がない言葉の並びがあって、少し詩を感じる部分があります。 読み手が、 古い言葉や最近の言葉を咀嚼(そしゃく)し直したり考えさせられることがあるんですよ。
「戯曲っていうのは詩なんだ」ともおっしゃっていました。卓卓さんが紡いだ言葉が詩になり、音楽に乗ると、とっても美しいです。
今作は多次元の要素があって、現在、過去、未来、と時間軸が交差します。あと、別の世界線っていうか、もしかしたらここで誰かが出会ってなかったら違う未来になっていたのかもしれない……というお話で、舞台で繰り広げられる未来、過去、現代の音楽が融合しています。異なる時間軸の音楽が同時に内在している感覚もあってそれがすごく宇宙っぽいんです。
Photo: Keisuke Tanigawa
「愛」だとは一見思えないことがターニングポイントに
――台本を読ませていただいた時に、坂口さんが演じる「ウチ」は自己評価がとても低い印象を受けました。「ウチ」と取り憑いている「アク」との関係性をどのように解釈されましたか?
そうですね。「ウチ」はやっぱり生きづらい人ですよね。この社会の中で「普通」っていうこととか、「世間一般」というものがもしあるなら、そこからは多分ズレているというか、疎外されている人だと思います。過去にも多分バッシングを受けて、たくさんの人からいろいろなことを言われて傷ついてきた人だと。
きっと今回の舞台をご覧いただくお客さまも、お一人お一人に悔しい経験、「自分はどうして普通にできないんだろう」と思っていること、社会と自分を相対的に見たときに「何かおかしいのかな」といったプラスではない気持ちや小さな傷を負った経験をお持ちだと思うんです。
だから、私も「ウチ」に感情移入して台本を読めました。悔しさや生きづらさをきっかけに「アク」のような行動に走ってしまうこともあると思うんです。「ウチ」は人との関わりを通して「愛し愛される」っていうことを享受できてこなかった部分があります。「アク」が取り憑いたのは、そういった理由があるかもしれない。
はたまた、「ウチ」がもしかしたら本当はこうやりたいけどできないっていう解放的な行動とか言動っていうのを、アクを通してやっているのかもしれない。一言では言えない色んな見え方ができたらいいなと思っています。
――アクのセリフには何度も「愛」という言葉が出てきますよね。アクにとっての愛とは、どのようなものなのでしょうか?
「愛」だとは一見思えないことが起きた時に言ってたりするんですよ。何かを無理やり飲ませてゲホゲホしているときとか、「え、大丈夫?」ってなるような場面。でも、そこがターニングポイントになっていて、未来につながり出すんです。 そう思うとアクの「愛」は一見、暴力に見える。でも、切り口を変えれば自分があえて悪になっている部分を感じています。ちょっとずつ未来を変えていく、じゃないですけど、そういうことでもあるのかもなと。
Photo: Keisuke Tanigawa
――坂口さんご自身は、どのような愛情を受けていましたか? 愛情、そうですね。私はわりと愛に包まれて生きてきた人だと思います。でも、その愛に包まれていたからって、悔しいとか傷つく経験をしないわけではないですよね。でも「愛された」とか、「愛する」っていう経験をしたことがあるかないかって、その人のコアの部分に割と関わってくるかもしれない。
この人は、自分の気持ちを想像してくれているんだって思える出会いみたいなのってすごく大きいことだと思うので。そういう経験がなければ、人に対して諦めてしまうじゃないですか。
だからそういう意味で、何かちょっとしたこと、例えばすれ違う人に「落としましたよ」と声をかけるとか、そういうことがなんとなく自分の中に積み重なっているなと思っています。
自分が世界平和に必要な道具になるとしたら
――ウチが「自分はアクにとっての世界平和を達成する道具だ」と語るセリフがありました。もし坂口さんが世界平和に必要な道具になるとしたら、どんな役割を果たす道具になると思いますか?
「道具気分」は、今もあるかもしれないですね。
私はエッセイを書いたり、テレビとかで自分のことを話したりするんですけど、その根源にあるのは「こんな人もいるんだよ」とか、「私も失敗してて、できないことがあって、全く完璧ではないよ。苦手なことも怠惰な自分もいるよ」と、自身のウイークポイントをいかに面白くお伝えするかを意識しています。「ああ、こんな人もいるんだから、今の私ってまあまあイケてるじゃん」とか「この人よりもちゃんとしてるな」と安心してもらえるといいなあと。
私もこれまでさまざまなエッセイや映画・演劇を読んだり観たりして、「自分のこの気持ちを持っていていいんだ」「自分みたいに考える人もいるんだ」とか、「この人こんなにすごい人なのに、こういうことが苦手だったんだ」という気持ちが励みになってきた。だから、面白く、おしゃれに自分のそういう失敗とかイケてないところを晒すことで、誰かの気づきみたいになればいいですね。 SNSなどではなく、自分の周りにいる人、半径5メートルぐらいの人たちとそういうコミュニケーションができていけば、「安心」がだんだん広がっていく。本当に小さいことの積み重ねですけど、そう感じます。
やっぱりこうやって人と会って話したりとか、自分の周りにいる人たちと「どう思う?」とか話して、それがなぜおかしいことなのかとか、「私はおかしいとは思わない」とか、そういうコミュニケーションみたいなものが世界平和にもしかしたらつながっていくんじゃないかな。
だから、私は、誰かの生の部分に「安心感」を与える道具ですかね。
Photo: Keisuke Tanigawa
――「生の体験」として、今回の舞台では、どういったものをお客さまに吸収して帰っていただきたいですか? それは、皆さんが劇場に入ってみて分かること。「私たちも出演者だ」ってなると思うんですよ。「みんなでこの空間、この時間を一緒に過ごそうぜ!」という空気を会場から感じ、演出や私たちのパフォーマンスでお客さま自身も出演者の一人だと思ってもらえるはず。演劇を行うのは私たちですけど、物語を進めているのはお客さまなんですよ。 座席に座る人間が違えば、1回ずつ違う。本当に不思議で……。もちろん、同じことをやっているんです。でも同じようにできないし、同じようにさせてくれない。言葉じゃなくて、波動っていうか、空気で「今だよ」とか「違うよ、こうやった方がいいんだよ」というのがね、本当にあるんです。だから、稽古場で作って、本番が始まって、本番でお客さまが入ったところでやると、日に日に変わっていくんですね。
そして、『愛と正義』っていうタイトルじゃないですか。タイトルに「愛」が入ってる時点で「愛って言われても何だよ、愛って」と、ちょっと構えちゃう。愛って難しいとか、大き過ぎて分からないってなりがちなんですが、もしかしたらすごく小さいことに愛が入ってたりするのかもなって思うんですよね。「何かを得よう、吸収しよう」というよりも、みんなで楽しんでほしいですね。「負けるな!」とか「頑張れ!!」とか言ってくれてもいいし。空間の自由度、開かれたパフォーマンスこそが「演劇」だと思うので。
身体でやるとすごく面白くて笑えるし、ユーモアもある。何て言うか、時空やマルチバースがどうなっているのか理解できなくても、その物語の流れに身を任せていれば、きっと楽しい部分とか面白い部分とか、入ってくる言葉とかっていうものがあると思うんですよね。
だから、ジェットコースターに乗る前のようなワクワクした気持ちでご来場いただければと思います!